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『完全無――超越タナトフォビア』第六十七章
さて、
「ひかり、あれ!」と声を荒げるよりも、「ひかり、ある!」と忍び音(しのびね)を心密かに漏らす方が、より正しい世界への呼ばわりとなるだろう!
このマクドナルドの店内において、このような新しい思想へと突き進むわたくしたちに追いやられた時空の帆が孕むものは、真偽を超えたひかりでしかない。
原初のひかりよりも、それは吹き荒れやすく、肌を枯らし、舌を燃やし、鼻腔を凍らせ、耳をつんざき、目の玉を激震させることだろう。
わたくしたちのこの場には、そのようなひかりが隠れているような真空はな
い!
秘められているものは――あらかじめすでにこれからも――「ある」ということだけであり、秘められているものをこの作品が暴いている、ということに過ぎない。
元より宇宙に完全なる真空がないのと同じように、いや、真空などというものが、実際は電磁波で満ち満ちているように、ひかりという比喩で代替される存在そのものは、世界において完結していて、間隙のひとつもありはしないのである。
真空内におけるたった一度の不確定性の発動によっても、全くの真空などないことは明らかであるが、それは科学の領分だ。
ぜひわたくしたちは、神をも科学をも「認識的」かつ「体感的」に超えようではないか!
原初の神々に別れを告げよ。
さらばアダド、さらばアッシュール、さらばアッハーズ、さらばアヌ、さらばイシュタル、さらばエンリル、さらばザババ、さらばシャマシュ、さらばシン、さらばダムガルヌンナ、さらばティアマト、さらばナブー、さらばニヌルタ、さらばネルガル、さらばマルドゥク。
サムシング・グレートが「ひかり、あれ!」と自らの外側へと、祈り、嘆願し、命令することなく、ひかりは――あらかじめすでにこれからも――「ある」ということなのだ!
(と、わたくしきつねくんは一気呵成にというよりも、所々その熱意の熱を拡散させつつ躓きながら、なぜだか天井に向かって言い放った。
そして、尖ったあごを撫でさするその左手の指の隙間から、ちっちゃな風が顔を覗かせるような気がしたとき、さらにこのように言の葉を付け足した。)
ところで、「Zero-point motion」という物理学(量子力学)における現象をここで少し触れておこう。
ゼロ点振動ともいうZero-point motionとは、絶対零度においても不確定性原理の影響ゆえに原子は止まることなく振動する現象のことであるが、わたくしたちは、そのような単なる物理学的応答にのみ胸をときめかせている場合ではない。
なぜならば、あらゆる振動の始因(しいん)と終因(しゅういん)とを定める際に、物理学的プロセスの援用をどのような角度から設定しようとも、世界そのものに始まりと終わりがないという【理(り)】のたった一撃によって、世界から剥離してしまうからである。
真空の中で、二枚の金属板をほんのちょっとの距離を隔てて、平行に並べ立て、カシミール効果万歳! などとモノの動きに執着することのみに横着している場合ではない。
いやしかし、その言い方はちょっと愛想が悪かったかな。
第六十七章まで来て、ちょっとコンフュージョンしているのだ、わたくし自身の思考も。
あれやこれやと論旨が揺れることは構わんのだが、ここまでやって来て予感するのは、不安を誘うなにものかが頭をもたげている、ということだ。
だがしかし、章は進めねばなるまい。
章そのものは生き急いでいないとしてもだ。