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『完全無――超越タナトフォビア』第七章
チビ
「チビ的にはアウトかなー。きつねくんのこの作品はまずオリコン(死語?)でナンバーワンはとれないねー。もっとプヨプヨしたかわいい系の話しないとー。たとえば、しろくんが爪切りのときにとんでくその爪よりも速くでんぐり返しで爆進できるかどうかコーナーを描くとか。『クマのプーさん」にも負けないくらいのアクの強さが必要かなー。なんてねー。」
きつねくん
「この作品は、ローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』ではないのだから、あまり遠回りはしたくはないんだが(と、言いつつもほんとうはちょっと意識しているのだ)、まあ、チビのアドバイスはことわざレベルで的を射ることが多いので、いいだろう。許可。しろのおはなしちょびっとしてみせよう」
しろ
「してみせよう……ぐふふ(と、しろがわたくしの声音を模倣しつつ、《よう》のところで若干はにかむ。さては名付けて魔女っ娘メグならぬ真似っ子しろだな、貴様。うわ、わたくしの発言つまんね)」
わたくしきつねくんは、しろの「ぐふふ」に脱力しながら、しろがいつだったか真夏の盛りにお友達の家に遊びに行ったときの小話をちょっと聞いてくれ、とチビたちに懇願した。
それは確か、町一番のおっきい道路を渡った先の警察署に差しかかるちょっと手前にある戸建の家の庭の柵越しだったが、よくコーラアップの話やチョコバットの話なんかをしろとのんびりほっこり語り合ってた「しばいぬじ君」の家だったね。
と、チビたち全員の顔をひとつひとつ確認しながらわたくしは喋り始めた。
だって話してる途中でチビたちの顔を忘れてしまう可能性だってあるではないか。
手と手をつなぐのはかんたーん。足と足をつなぐよりはー、と、しろが「しばいぬじ君」の家の中で逆立ちしたりスライムみたいになったりして遊びつつ、独り言のように置き土産のように「しばいぬじ君」につぶやいたらしいんだ。
ところで「しばいぬじ君」という名前の「じ」とはなんなのだろうかと、読者の方々、深く考えないでくださいね。
かわいいものには「じ」をつけろ、と巷ではよく言うじゃないですか。
さて、話を戻しまして、しろの疑問に対して「しばいぬじ君」はなんと返したのか、わたくしが夜の9時頃たまったま野暮用で「しばいぬじ君」のお家を訪ねてみると、
こころとこころをつなぐのがいちばんむずかしいんだぜー、しろ、
っておそらく冗談半分で「しばいぬじ君」が返答したら、それを聞くやいなやしろは嬉々として僕の家を飛び出していっちゃったんだ、ということを「しばいぬじ君」がわたくしきつねくんに丁寧に教えてくれたのだ。
そういうわけなのだ。
このしろの小走り(いや、それを確認したわけではないので、カニ走りかもしれないが)こそが、すべてのありきたりな思想からの脱却の有効性を黙示しているとは思わないだろうか。
おお! いい線いっているじゃないか! と膝を慎ましくも激しく打つような中途半端なことはせずに、何か真理のようなものを発見する手がかりを得た瞬間、風呂場から全裸で外へ飛び出すような態度こそが哲学だと一般的には認知されているのだから、しろくんは哲学者になる資格があるんじゃないかなあ、なんて軽くルサンチマンを発動しそうになるわたくしきつねくんであったのだ。
そんな感じのしろに対して、わたくしならば「しばいぬじ君」とは違う答え方をすることで、世界の広大さと、壁にぶち当たってしまうことの宿命の重さを感得させるために、別様の真理、まあなんてことない些細なアドバイスをしろに伝えておこうとおもったのだ。
しろ、いいかい、こころとこころは元々つながっているんだよ、とね。
きつねくん
「どうかな、しろ」
しろ
「ゼリエース最高」