
『完全無――超越タナトフォビア』序章 第二節
タナトフォビアを克服できるかもしれないというヴィジョンの「曖昧な発端」は、最高度のタナトフォビアの発作の直後にあらわれた。
深い瞑想や厳しい行の余韻としてではなく(なぜならわたくしは、そのような修行とは全く無縁であるから)、荒さと激しさと鈍重さの入り混じった呼吸が落ち着くそのタイミングにおいて、深更の闇と溶融するように、わたくしのすべてのわたくしに訪れたのである。
次節で取り上げる<参考文献>とはまず、このわたくしのヴィジョンが過去の思想・哲学・宗教においてどのような共通点を持つのかを確認するための旅でもあった。
しかし、結果的には、次節における<参考文献>から「大いなる示唆」を得た部分と比べて同等もしくはそれ以上の「サムシング・グレート」を、直観的体感によって経験したことを後に知ることのなったのである。
この作品は2014年より構築が開始されており<参考文献>の数も年々増加したが、やはり少々の不満足感を拭い去ることはできないでいる。
しかし、この作品の読者様にはぜひこれらの入手しやすい文献にあたっていただき、タナトフォビア克服、いやタナトフォビア超越そして哲学における究極の問いである<なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?>についての答えを得るための手がかりとしていただければ幸いです。
<参考文献>とは別にウィキペディアにおける以下の記事を参照したことも記しておきます。