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『完全無――超越タナトフォビア』第三十五章
それでは、気を取り直すことなく、イエス・キリストの復活よりも若干現実的に、ふたたびウィッシュボーンがきつねさんに成り切ってお話させていただきます。
成り切りはコピーですから、当然オリジナルと同値ではありません。
オリジナルこそ至高ですが、語りたさがすべての指の先からウィッシュボーン特有の非-知の闇の核心に至るまで、内的かつ外的にうずうずしています。
重いのに素早く、さわやかでありながら暗い、そんなトーンのきつねさんの口調を、どこまでオマージュできるかわかりませんが、読者の方々も含め、もう少しだけお付き合いくださいませ。
(と、ウィッシュは快活さに少しの苦みを加えつつ、自嘲気味に顎を撫でながら言った。)
(そのとき、しろとチビがエアー・ハイタッチを交わし、続いてウィッシュボーンの左手がしろの左手との、さらにその右手がチビの右手とのタッチングを求めましたが、ウィッシュボーンの意志の志向性が半テンポ遅れたことによって、ぐだぐだな触れ合いとなってしまい、ウィッシュボーンは面映ゆい表情をし、その上気した顔を隠すためでもあるかのように、この後、言葉を連射してやる! といったような殺気に満ちた厳かさを、その目尻に滲ませつつ話始めた。)
世界とは――そうであることのすべてである――と前期ウィトゲンシュタインさんがおっしゃいましたよね。
それに比して、きつねさんは、世界はそうであることのすべてであるだけではなく、そうでないことのすべてでもある、というようなことをおっしゃられましたよね。
きつねさんの詩狐(しぎつね)としての【理(り)】には、前期ウィトゲンシュタインタイン氏があらかじめ取り逃がしているものをフォローしている、ということでしょうか。
ウィッシュボーン脱毛です、あっと、間違えました。
脱帽です。
きつねさんは、このような駄洒落を劣悪なものとして退けるような器の小さいきつねではないとは思いますので、すいません、チビさんやしろくんのためにも、とりあえず真面目に続けますね。