『完全無――超越タナトフォビア』第百五章
(そしてそしてさらにさらにきつねくん、つまりわたくしは、ゆっくり足早に駆け抜けることを許されているかのように、超越タナトフォビア教の第一使徒のになったつもりで語り始める。
ことばを発し続けなければ、ありありとした現象界の光の散乱に絡め取られてしまいかねないからである、という一抹の不安が己の発声器官の核を震わせつつ。)
「現実にあるものは何処までも決定せられたものとして有でありながら、それはまた何処までも作られたものとして、変じ行くものであり、亡び行くものである、有即無という