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『完全無――超越タナトフォビア』

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哲学における究極の未解決問題「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」を解決するとともに、タナトフォビアで苦しんでいた過去の自分を、四年掛かりで自ら救った、新しい思想を総括するマ…
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2022年3月の記事一覧

『完全無――超越タナトフォビア』第百一章

西田幾多郎の哲学における「絶対無」のような無の場所としての動的無限性の極地、それは人間た…

『完全無――超越タナトフォビア』第百章

突然ではあるが、第九十章のポエムのリプライズならぬ、紳士で真摯なリメイク版をここでお届け…

『完全無――超越タナトフォビア』第九十九章

ウィッシュ 「モナドは絶対に窓を持ちませんが、ミスドは窓を持つ場合があるということでしょ…

『完全無――超越タナトフォビア』第九十八章

さてチビたち、話を少し曲げさせてもらおう。 しっぽのないきつねであるわたくしは、何かと紆…

『完全無――超越タナトフォビア』第九十七章

なぜ「何か」があるのか、ということの答えとは、要するに完全無と完全有との齟齬が根源的に関…

完全無――超越タナトフォビア』第九十六章

さて、人間たちは完全無を理想化することで単なる有を完全有として認識したがっているとも言え…

完全無――超越タナトフォビア』第九十五章

    世界そのものには相関によって規約される何ものも存在しない。 なぜなら完全無とは完全無によっても規定されること無き完成された全き無なのだから。 さて、この章より以降の章においては、完全無-完全有という便宜上の表現を揚棄して、完全無、と単体であらわすこととする。 完全無と完全有とが全く同一であるということは、もはやくどくどと再考すべきではないからである。 いや、もしかすると、完全無と完全有とが同一ではない可能性にわたくしが導かれているかもしれない、ということも

『完全無――超越タナトフォビア』第九十四章

完全無という世界のダミーが完全有の世界なのではない、ということ。人間たちが触れることがで…