『完全無――超越タナトフォビア』第三十二章
きつねさん、いや大覚きつねさんと呼んでもいいようなレベルのきつねさんは、たびたびこんなこともおっしゃっておられました。
言葉で時間や時間にまつわる、すなわち時間に付属するさまざまな観念ゲームを語ろうとすると、究極的には近似値としての概念の場を数として並べ立ててしまい、並べ立てたことで、無限というタナトフォビアのひとつの側面を照射し過ぎてしまう、と。
たとえば「今」という言葉も、透明な紙に黒い点を打つようなもので、結局はその位置情報を明確にあらわさざるを得なくなり、それが機