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『完全無――超越タナトフォビア』

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哲学における究極の未解決問題「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」を解決するとともに、タナトフォビアで苦しんでいた過去の自分を、四年掛かりで自ら救った、新しい思想を総括するマ…
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2020年10月の記事一覧

『完全無――超越タナトフォビア』第三十八章

※(話者がウィッシュボーンからきつねくんに代わるという、つまり、政治的秩序を変更すること…

『完全無――超越タナトフォビア』第三十七章

チビ 「チビ的には、せかいは粒々でできてるとおもうなあ、カタカナのツブツブでうまってる感…

『完全無――超越タナトフォビア』第三十六章

さて、「世界の世界そのもの性」に触れるための、すなわち前-最終形真理を超え出るための鍵が…

『完全無――超越タナトフォビア』第三十五章

それでは、気を取り直すことなく、イエス・キリストの復活よりも若干現実的に、ふたたびウィッ…

『完全無――超越タナトフォビア』第三十四章

(そのとき!   きつねくんが不意に言葉を、この作品の存在論的亀裂へと投入する。 世界の無…

『完全無――超越タナトフォビア』第三十三章

さらにさらにさらに、ウィッシュボーンがきつねさんに成り代わって、裸形の声を反トポロジカル…

『完全無――超越タナトフォビア』第三十二章

きつねさん、いや大覚きつねさんと呼んでもいいようなレベルのきつねさんは、たびたびこんなこともおっしゃっておられました。 言葉で時間や時間にまつわる、すなわち時間に付属するさまざまな観念ゲームを語ろうとすると、究極的には近似値としての概念の場を数として並べ立ててしまい、並べ立てたことで、無限というタナトフォビアのひとつの側面を照射し過ぎてしまう、と。 たとえば「今」という言葉も、透明な紙に黒い点を打つようなもので、結局はその位置情報を明確にあらわさざるを得なくなり、それが機

『完全無――超越タナトフォビア』第三十一章

ところで皆さん、ふと思い出したことがございまして、それがウィッシュボーンのみっともない知…