解剖学を演奏に使う という事
演奏中に何が起きているかを
解剖学を使って理解すると
練習で何に取り組むべきかが
根拠を持って理解できます
【 1. 事実の確認 】
演奏中に
「何が変化しているのか」を
実際に目で見る
【 2. 変化の想定 】
その変化を
「何の構造が起こせるのか」を
解剖学で想定する
【 3. 想定の確認 】
想定した構造を
他のやり方で使ってみる
【 4. 結果の確認 】
→ 期待通りの変化
→ 期待しない変化
【 5. 練習の確立 】
2.から4.を繰り返す
機器がなかったため、
ほんの数十年前までは
【 1. 事実の確認 】
が出来ませんでした。
だからこそ
経験豊富な先人が、
“経験"を口伝するしか
方法がなかったのです。
しかしながら
“経験”=感覚=脳の中の情報は
第三者には絶対にに伝わりません。
目の前のケーキを食べて感じた
感動的なおいしさの”経験"は、
旧知の大親友にさえ
絶対に伝わらないのと同じです。
伝わらないこそ
何らかの言葉に”変換"して
伝えなくてはならないのですが、
言葉に”変換"した時点で
“経験"の情報は
大部分がこぼれ落ちてしまいます。
「このケーキってさ、
新鮮なイチゴの瑞々しい香りに
綿雲のような甘さが重なるの!」
といくら熱弁しても
ケーキに感じた感動の
大部分がこぼれ落ちてしまいます。
そこで解剖学という
【共通の】情報を介すれば、
↓
お互いが”同じ情報"を
扱うことになるので、
↓
情報のこぼれ落ちを
少なくすることが出来ます。
老若男女 / 古今東西 / プロアマ 問わず
解剖学="身体の構造は同じ"ですよね。
↓
であるならば、
↓
先人の見事な身体の使い方を
【共通の】情報である
解剖学を介することで
↓
次の世代が再現しやすくなる
そのようなプロトコルが
出来るのではないでしょうか。
もちろんこのプロトコルが
唯一の正解ではなく、
上達に向けた
1つのルートに過ぎません。
しかしながら、
情報のこぼれ落ちを
少なくさせることが出来る
具体的な方法でもあります。
解剖学
= 気持ち悪い
= 芸術の邪魔
= 無駄な知識
と決めつけるのは
とても勿体無いと存じます。
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