コンサドーレからTOKYO 2020へ〜ボランティア編〜
この記事は北海道コンサドーレ札幌 Advent Calendar 2021の記事です。
ざっと言うと
コンサドーレのボランティアをやるようになってから世界大会を意識して、この夏TOKYO 2020大会でボランティアやりました。
ただ、そこまでの道のりはそう簡単な歩みじゃなかったよ。
っていう感じです。
簡単にこのあと出る用語解説をすると
CVS:コンサドーレボランティアスタッフの略
TOKYO 2020:1年延期で2021年夏に開催された東京オリンピック・パラリンピックの略
Field Cast:TOKYO 2020大会ボランティアの総称
City Cast:TOKYO 2020都市ボランティアの総称
ってな感じです。
画像形式で年表も置いていきます。
2013年〜2016年
スポーツボランティアとしての始まり
当時のSNS投稿とこの頃あったこと
スポーツボランティアとして動き始めたころですね。
きっかけはコンサドーレ札幌 Advent Calendar 2013でCVSのことを取り上げた記事を見たことです。
このころコンサ公式ホームページに「CVS足りてません!」と10〜20人単位でヘルプを求める内容を何度も見ていたので、CVSの記事を読んで「面白そう」と思い、応募していました。
スポーツには競技に参加、観戦して応援するほかに競技を支えるボランティア(審判や競技役員の他に来場者対応など裏方全般)の三者がいて成り立つということをこの時期に学びました。
初年度からうっかり沼にはまり、気がつけば14試合参加。
すっかりマークされたのか翌年にはリーダーをやってました。
活動1年目を振り返って当時こんなブログも書いていたみたいです。
オリンピックのドタバタ感はこの頃から色々ありましたね…
この時期から世界大会、オリンピックへの参加意識は持っていたみたいですね。
CVS3年目の2016年、J1昇格が掛かった最終戦は初めて3万人以上の来場者をオペレーションしました。
日頃からスタジアムに来る人は早くから来るけど、久しぶりに来る人はキックオフ直前にまとまって来たりして自由席の席案内に苦慮しました。
自由席は日本語だと”自由”というワードに引っ張られがちだけど、英語の”Unreserved seat=予約していない席”という意識を持ったほうが良いことを実感した時でもありました。
そして、試合ではお互いの利害関係が一致すると無理に点を取りに行かず引き分けで落とし所をつけるというのもこの時知りました。
年表
2017年〜2019年
国際大会でのボランティア活動へ憧れを抱く頃
当時のSNS投稿とこの頃あったこと
2017年はCVSをやるようになって初めて経験するJ1の舞台、注目度が上がり多くの方々がスタジアムに足を運んで、より来場者対応など気を払うようになった時期でもあります。
2018年、ついにラグビーワールドカップとTOKYO 2020のボランティアに申し込みました。
そして、普段活動している札幌ドームが国際大会の試合会場になることを意識して、積み重ねて来た経験を大会成功のためにアウトプットするようになりました。
これは最終戦、ACL出場が掛かった大一番で3万人以上来ることを予想して予めお伝えできることを吐き出してました。
2019年、ツイートからもバリバリ世界を意識してますね。
陽の目を浴びることは少ないですが、参加しているCVS向けに控室やイベントの動画を撮るようになりましたね。
ラグビーワールドカップ2019
個人的には研修時点から海外からのお客さんに日本はいいところだよ!という印象を持ってもらえるようにパラメーターを全振りしたような感じでした。
私は札幌駅から大通公園エリアで海外からの観戦者や市民への案内等を担当したのですが、
・試合前、シャトルバスの運行終了がしたことを地下鉄の人に伝えていない。
・突然多くの外国人や日本人観戦者が地下鉄に流れ込んで地下鉄の人が困惑。
・見兼ねてボランティアが直接地下鉄の人に情報を伝えて、駅構内で案内。
・試合後、札幌ドームからシャトルバスがどこに着くか知らされてない。
・担当スタッフ「みんなで手分けして探して見つけたら教えて。」
・見つけたはいいが、シャトルバスが何台着くのか連携が取れていない。
・降りてきた人にひたすら観光マップやビールマップを配る。
・むしろ彼らもどこに降ろされたか分からないと思うから、目的地を尋ねられたら案内するほうが先じゃない?
街の中だけでもこんなんでしたが、試合会場やフリートと言われる要人輸送など各所でボランティアのストレスが溜まる事案が発生しており、ラグビーワールドカップに参加したCVSで急遽お疲れ様会という名の「あれはありえないよね」という愚痴こぼし会が繰り広げられていました。
この時、組織は違えど「オリンピックは大丈夫なのか?」と思ったのは当然です。
ルヴァン杯セミファイナル2nd leg.
CVS控室のホワイトボードもタイムリーな内容にしようと色々書いていました。
決勝進出が決まった瞬間、サポーターと自然に喜びを共有したり、自然と拍手が出ていたり忘れられない瞬間の一つです。
青天の霹靂!マラソンと競歩が札幌に!?
10月16日、酷暑対策としてIOCがオリンピックのマラソンと競歩の会場を札幌に変更することを検討すると報じられ、11月1日に変更が決まりました。
情報番組等で札幌がやたら叩かれて心を痛めましたね…
と同時に、札幌ドームのサッカー競技のみで活動予定だったボランティアがマラソン・競歩でも活動するのかと思うとTOKYO 2020大会の成功のために札幌に課せられたミッションは重要だなと感じました。
TOKYO 2020 Field Cast共通研修(北海道札幌市)
ラグビーワールドカップのボランティアから約1ヶ月半後に行われたField Castの研修を受けての感想ですね。
ハンドブックの内容や当日の研修内容など、スポーツボランティアではそれまで経験してこなかった内容だったので、これはすごいぞ!という記憶です。
(研修でも触れられた「多様性と調和」に関することが2021年2月に跳ね返ってくるとは…)
さあ、来年はオリンピックイヤーだ!とメラメラと燃えていましたね…
年表
2020年
嘘やろ!
当時のSNS投稿とこの頃あったこと
最初は対岸の火事だと思っていた原因不明の肺炎
2020年はこの話題に触れないで何に触れるっていう感じでしたね。
Jリーグが2月下旬に開催延期対応をしてCVSとしての活動の機会も一気に白紙となりました。
そんな中、3月2日にField Castとして役割と場所がオファーされ、イベントサービス(来場者対応等)のチームリーダーで札幌ドームと札幌大通公園での活動を受諾しました。
そして、3月30日に東京オリンピック・パラリンピックの1年延期(史上初)が発表されました。
CVSやTOKYO 2020の活動停止や様々なことが重なって、2020年の上半期は大きな喪失感に襲われました。
初骨折
大会が1年延期されていなかったら、Field Castの活動前日でした💦
そりゃストレスも溜まるよね
生きている中で経験したことがないパンデミックということで、日常生活含めてガラッと変わったので、それなりにストレスが溜まっていたんですね。
それでも意識を「出来ない」という負の方向に持っていかず、「今出来ることは何か」と考えて行動して塞ぎ込まないようにしていましたが。
年が明けたらもっとすごい向かい風が吹くとはこの頃はまだ知らず。
年表
2021年
向かい風の中で携わったTOKYO 2020
当時のSNS投稿とこの頃あったこと
感染症は収まるどころか年末年始で変異株(アルファ株)が現れてネガティブな方に引っ張られます。
そして2月、喜朗が…
ここから一気にネガティブキャンペーンが展開されて、誰でも石を投げやすい世論になったと思いました。
感染症が収束する気配どころか新たな変異株(デルタ株)が出て、大会開催に対する疑問や日常の経済・文化活動が制限される中で特別視されるといった不満からマスコミだけでなく、SNSやネットのユーザーが攻撃的になっていると感じて正直しんどい時期でした。
(そこにイデオロギーとかも絡んで「キィーッ!」となりました)
一端のボランティアですらそう感じたので、当事者であるアスリートや組織委員会、競技団体や受け入れ自治体の担当者は大変だったと思ってます。
7月8日〜11日はジェットコースターのように
7月8日、1都3県無観客開催が決定され札幌ドームは有観客で動くと思われたら、
7月9日深夜、鈴木道知事が札幌ドームでの無観客を宣言して決定。
7月9日から11日に行われていた札幌で活動するField Castの現場研修はドタバタでした。
札幌ドームで行われた研修、駐車場の出入り口にはテロ対策で車体に爆発物が取り付けられていないか確認するゲートが物々しく設置されていたり、1階バックスタンド北側にある喫煙所が祈祷室に変わっていたり、柱やゲートが紅模様に様変わりしていたりと陽の目を浴びることが出来なかったTOKYO 2020バージョンの札幌ドームを見てもらいたかったなという無念の気持ちがいっぱいでした。
国際大会ではピンバッジ交換の文化があるということで、Facebookのコミュニティでボランティア用のピンバッジを作って用意したのですが、ガイドラインで接触が禁じられたこともあり、個人的に近しい人でチケット購入できたけど見られなかった人やお世話になった人にピンバッジを配りました(現在進行形)。
いよいよField CastとしてTOKYO 2020に携わる
競技会場へ入る際、空港の保安検査場みたいなところを通る必要があります。
端末にアクレディテーションカードをかざし、顔認証でOKが出ると持ち物チェック。
警備員さんの目の前で水筒に入っているものを一口飲んで、全身金属探知を行なってようやく競技会場に入れます。
札幌ドームでは大階段&エスカレーターを上がったところにある南北連絡通路の分岐点に第1チェックポイントとして設けられていました。
札幌大通公園ではNTT大通2丁目ビル1階がチェックポイントでした。
活動開始時に食事引換券を受け取り、休憩時にお弁当と引き換えます。
お弁当はTOKYO 2020に限らず、スポーツボランティアをするときの楽しみであります。
さすが国際大会!と思わされたのは毎日異なるメニューでお弁当の他にコカコーラの自販機からドリンクを1本貰えることと、会場によっては明治のアイスもありました。お弁当を温める電子レンジがパナソニックから用意されており、スポンサーにも支えられているんだなと感じたところです。
札幌ドームではボランティアや警備員、アルバイト等のために1店舗だけ売店が営業しており、スナック類の他にコカコーラ社の飲料が500mlペットボトル(キャップ付き)で買えました。
自販機でも160円なのにと思うかもしれませんが、普段ドームではプラカップでソフトドリンク260円ということを考えると、キャップ付きペットボトルでこの値段は結構頑張っているんじゃないのかなと感じました。
そういえば7月25日の活動時、橋本聖子組織委員会会長をお見かけしました。
すれ違う際に挨拶をした程度ではありますが、数秒間のコミュニケーションは強いインパクトでした。
札幌ドームでは当初5日間の活動を予定していましたが、無観客開催のため2日間になりました。
一方、沿道競技であるマラソン・競歩は当初の活動日数(私は5日間)のままでした。
役割が来場者対応から、観戦自粛のアナウンスを行うことに変わりました。
この国ではパンデミック禍においても強制力ではなく、強いお願いベースで社会経済活動を何とか回していたので、沿道での観戦自粛も強制力を持ったものではないことは理解して臨みました。
沿道競技の初日は8月5日木曜16時30分スタートの男子20km競歩。
沿道には集まりますねぇ。市民の他に道外から来られたんだなと気合の入った出で立ちの方、その様子を撮ろうと脚立を持って往来する報道のスチールカメラマンや沿道観戦者をインタビューする大阪のテレビ局など。
この時に思ったのは、リーダーとして仲間を危険な目に遭わせないようにしつつ観戦自粛のアナウンスはちゃんとやったよというアリバイを作るためにはどうしたらいいのかでした。
8月6日金曜は大通公園西3丁目〜西4丁目内で関係者のパスをチェックする役割でした。
活動開始したのが男子50km競歩の競技終盤だったので、金メダル争いや最後の選手を拍手で迎えたりと本来のミッションを行いつつ場の雰囲気を少しでも作れたらという感じで動いていました。その日の活動を終えて家で仮眠を取ろうと思ったら突然明朝7時スタートの女子マラソンが1時間繰り上げというニュースが入り、一気に目が覚めました。
7日土曜と8日日曜のマラソン競技は深夜2時30分集合というものでした。
十分な睡眠時間が取れていないことや連日の活動で溜まった疲労で頭の回転がよろしくなかったです。
地下鉄が動き出すと人の流れが出て来たり、すすきの方面に宿を構えた人が大通公園に向かって来たり。ここでも観戦自粛はお願いベースなんだよなと実感したところです。
あと、ランナーが駆け抜ける時に肉眼で見る人よりスマホでランナーを追いかけている人が多かったのが不思議でした。(インスタストーリーに上げているのかしら?)
リーダーとしてメンバーにお願いしたのは「沿道の観衆を刺激せずに観戦自粛のアナウンスをしてください」「危険だと感じたら安全なところに避難して構いません」「活動終了後、手洗いうがいの他に肌が出ている部分を拭いて感染症対策しましょう」という点でした。
大会前は強い逆風で心が折れそうな時がありましたが、制限下で行われた大会を通じて各地のボランティアが出来る範囲で大会をサポートする様子をアスリートや競技団体、関係者やメディアが伝えてくれて非常に嬉しかったです。
TOKYO 2020のあと
大きな目標が終わって、地元のスポーツボランティア(CVS)に戻りましょうと思っても感染状況から門戸を開いておらず、帰るべき場所がなく燻り続けたのは事実です。
あと、感染状況から出来なかったのがField Castのユニフォームで集合写真を撮ること。
他の都市や会場の情報を聞くところによるとその後も交流を持っているところはあるみたいですが、札幌で活動したField Castでそういった動きを作ろうと思っても出来ていないのが持続性という意味でも苦慮している部分ではあります。
11月24日、日本シリーズ観戦のため東京に行ったタイミングで催し物があったので、ミライトワとソメイティと一緒に写真を撮ることが出来ました。
年表
おわりに
コンサドーレがこの街に出来て四半世紀、通年でスポーツボランティアに関われる機会が道内スポーツチーム含めて一気に増えました。仲間を増やすことがどこも課題ではありますが。
仕事や学業と家庭、友達付き合いの他に新たなコミュニティが出来るのが私にとってハマった点でした。特にスポーツボランティアは年齢や性別、職業や国籍が異なる人が集まって一つの目標に進むことが多いので。
あとアドリブ力と度胸が自然と鍛えられるので日常生活に活かせること。
合法的に好きなチームやスタジアム、イベントの裏側に潜入できること。
いきなり国際大会に参加するのもいいと思いますが、テスト感覚で地元のプロスポーツチームのボランティアに参加しても個人的に大歓迎です。私がそんな感じで経験を積んでいき国際大会に繋がったので。
感染症が落ち着いたら一歩踏み出して参加してくれると嬉しいです。
TOKYO 2020大会では当初8万人がField Castとして参加予定でしたが、大会の延期や感染症との兼ね合いで最終的に7万人にはなりました。多様性と調和や様々な配慮が必要な人との接し方など研修で学び、それぞれの地域やコミュニティに還元されることを考えるとすごいなと思います。
この研修資料は読みやすかったので、可能であれば公開してほしいです。
Field Cast、City Castは無観客で開催されたTOKYO 2020を後世に伝えられる存在でもあると思うので、例えば私は「ドーム内の様子はこうだったよ」など現地で可能な範囲で伝えていきたいと思ってます。ここでは出せない写真と共に。
色々あったTOKYO 2020大会でしたが、今回は私の経験ベースで綴らせてもらいました。
最後までご覧いただきありがとうございました。