青の終わりはいずこやら
リバティーンズとの出会いはフロントマンのピートドハーティについてオアシスのリアムギャラガーがけちょんけちょんに貶しているのを知ったことからだった。
当時の僕はオアシス狂いで、私服はアディダスのジャージ、髪の毛は2000~2004年ころのリアムを意識して伸ばし、事あるごとに中指を立て、学校の廊下を「マスタープラン」のMVよろしくがに股で歩き回っていた。
怖ろしいことにその時期を思い返しても赤面するどころかファッションや言動に今と比べて特に違いが見受けられないため、僕はおよそ6~7年の間、精神的な成長がないということになる。
さて、そんなトップスはアディダス、ボトムスはリーバイス、シューズもアディダスな男が、唯一それらを捨て去り、テーラードジャケットに綺麗な白シャツ、スラックス、革靴に身を包むようになり、休み時間にディケンズやオスカーワイルドを読み漁っていた瞬間があった。
そのきっかけになったのがリバティーンズ、そしてピートドハーティだ。
僕がピートドハーティをどれだけ好きかというと、スマホ・パソコンに関係なく「ピ」と打ったら「ピートドハーティ」と出てくるくらい。これで伝わるだろうか。
リアムとピートは仲がよろしくないらしく、リアム信者だった僕はリバティーンズを聴こうとすら思わなかった。「だってリアムがけなしていたんだもん」。
しかし聞いてみようと思ったきっかけは、「イギリス ロックバンド おすすめ」的なのでGoogle検索をかけ、色んなバンドを漁っていた時、そこにリバティーンズが「ガレージロック」と銘打たれて紹介されていたからだった。
「ん?ガレージロック」
実は僕がロックに目覚めたきっかけは、あのミッシェルガンエレファントだった。当然、「ガレージロック」という言葉には弱い。
だったらまあ聞いてみるか、のテンションで僕は張られているYouTubeのリンクをタップした。
全然良くなかった。
音はスカスカ、声はヘロヘロ。ずっこけた。「やっぱりリアムがああいうくらいだもんな~」と納得し、その時はそれ以上聴こうとはしなかった。
では何故ここまでリバティーンズに入れ込むようになったのか去年(2022年)のサマソニのチケットまで買うようになったのか。
正直に言うと、ビジュアルである。
オアシスも、決してビジュアルが悪いわけじゃない。むしろカジュアルなスポーツブランドや軍モノのパーカーを取り入れたファッションは心からクールだと思う。
しかしリバティーンズは、それとはまったく違うファッションだった。
リバティーンズのファッションは大きく2種類に分けられると思う。1つはジーンズにジャージや革ジャンを合わせるスタイル。アイテムだけ見るとオアシスと変わらない気もするが、サイジングが異なっていた。
オアシスがルーズな大き目の服を着るのに対し、リバティーンズはタイトなファッションに身を包んでいた。
2つ目はスーツスタイル。スラックスをベルトではなくサスペンダー(イギリス英語だとブレイシーズだったかな)で吊り、そこにジャケットやハットを合わせる。
僕は特に2つ目のスーツスタイルに衝撃を受けた。いままでそんなコスプレみたいな恰好は映画やテレビの向こう側でしか見たことがないのに、遠い異国とはいえリアルにそういうファッションを着こなしている人がいたという事実(といってもリバティーンズもYouTube越しにしか見たことはないが)。
そこから僕はジャージを脱ぎ捨てGUでセットアップと革靴を揃え、近所のキューズモールにあった帽子屋でそれっぽいハットを買った。大似非ピートドハーティの完成である。
僕が高校時代のときは古着屋で今ほどよりは安くアディダスのジャージを買えたのでオアシスの真似をするのは簡単だったが、リバティーンズを真似しようとしてまたまたGoogleで「ピートドハーティ ファッション」なんかで調べてみると「ディオール オム」なんて出てくるんだから、大学生になった今でもとてもじゃないが手が出せない。高校生ならなおさらだ。フレッドペリーのポロシャツさえ買う金がなかった。
そういうわけで、それからの僕の人生はリバティーンズ、そしてピートドハーティ一色になった。それは大学生になった今でもほとんど変わりがない。友達が放課後ユニバに行っている時に、今は無き梅田丸ビルの地下にあったタワレコに入り浸り、リバティーンズのCDや、いわゆるロックンロールリバイバルと言われるバンド(ストロークス、ホワイトストライプスとか)のCDを買いまくった。
ここでリバティーンズのDon't look back into the sunのMVのように万引きをすれば、ある意味本当にshoplifter(これはthe smithsか)として労働者階級の仲間入りをしていたかもしれないが、それはしなかった。
僕がリバティーンズに限らずオアシスやスミス、ストーンローゼズといったバンドと「違う」ことを意識しだしたのはここからだ。僕は結局、「万引き」をすることができなかった。煙草もお酒も、大人しく大学に入ってから始めた。
僕がどれだけ古着のアディダスを着ても、もしくはピートドハーティのように詩を書いても、僕は結局日本の高校生だった。大学は私大に通っている。
僕はオアシスのように、リバティーンズのように、己の才能のままに、生命を爆発させるかのように生きることができない、そのことに気付いた。気に食わないやつに面と向かって罵ることもできなければ、タワレコで万引きも出来ないし、魂の片割れのような唯一の存在と運命を共に出来るほど、誰かに心を開くことも出来なかった。
僕は休み時間に机に伏して、「俺はお前らのが知らねぇかっけぇ音楽を知ってるんだぞ」と、誰に言うわけでもなく、何に対抗しているのか、ただそれを呪文のように頭の中で呟いているだけだった。
僕のリバティーンズ熱、そして音楽熱は、そこから冷めていった。今でもリバティーンズもオアシスも好きだけど、あの頃ほどの情熱はない。
高校の時のおおよそ2年間くらいか。あの頃は音楽だけが全てだった。皆が知らない音楽を好きなんだということだけがアイデンティティだった。服を真似てYouTubeの向こう側の人達に成ることが夢だった。ギターも弾けないのに鼻唄で作曲し、それに歌詞をつけていた。
そんな行いを加速させたのがリバティーンズでありピートドハーティだった。その名のとおりリバティに生きる(生きていた)彼らをインターネット越しに見ながら、どうしてもそう成りきれない己を少しずつ自覚していった。
大学生になっても、僕は結局高校の頃と変わっていない。お酒と煙草を覚えても、詩や小説を書いても、それでも僕は僕のままだ。そんな僕を僕は愛せていないし、未だにピートドハーティのように成りたくて仕方がない。
でも僕は僕のままだろう。どれだけ取り繕ってもボロは出るだろう。大口を叩いても胸のうちの小心な自分を友達も気付いているだろう。
今からでも間に合うだろうか。今から誰かを殴りに行こうか。出来るかな。出来やしない。いくつになったら、僕は僕のことを愛せるだろうか。いくつになっても、僕は思春期真っ只なかだ。