『渡良瀬橋』から想い出すこと
むかしむかし。
わたしが中学生ぐらいのときに、足利は地元の佐野よりちょっと都会であった。
東京でつくられたブームは半年、1年ぐらいの時間差をもって宇都宮や足利に入り、そこから周辺都市に伝播する。
ませた人はそれが時間差のブームながらも、なんとか追いつこうと、服や靴・バッグなどを足利に買いにいったのだ。
足利はそんな場所であった。
それ以外は、足利は進学の場所だったり。
電車ですぐながらも、そこに出会いなどもあったようだ。
わたしはといえば地元の高校に進学した。
サッカー部がなかったので、たまにサッカー同好会(ラグビー部の顧問に活動を妨害されていた)の活動に参加しつつ、放課後、「カラオケと合コンにいこうぜ」という誘いをスルーし、渡良瀬川や岩船あたりの野池にいって釣りをしていた。
名前の通り、渡良瀬川はだいたい浅い。
その浅い瀬にヘビのように伸びる淵をのぼって、利根川を経由し、遠く海からスズキ(たぶん斑点があるタイリクスズキ)があがってきたり、鮎の放流に混じって釣れるハスを釣る。
たまにブラックバスも釣れる。謎の大魚がドバミミズにきてハリスをきられたり。ドブ川の流れ込みでミノーを投げるとライギョが釣れた。
ライギョが釣れたときは、河川の放水タイミングだったようで、急に増水して流れ込み部分のテトラ帯に孤立し死を覚悟したのを覚えている。
渡良瀬川(中流域)は地方都市の間を流れているだけあって、実はそれほどきれいな川でもない。
大雨のあとにはビニール袋やごみが散乱していたり。お決まりのパリパリになったエロ本はたくさん投棄され、謎の住民がいたり。鼠がいたり。
でも、そういう都市河川的なニオイのなつかしさみたいなものがあって、そういう人間臭さが海に下っているところに親近感があったのだと思う。
渡良瀬橋のように橋の上ぐらいまではなれて景色をみると、ゴミなどが目に入らなくなる。
特に夕暮れ時などは光の反射がなんらかの慈悲のようにすべての汚れを覆いつくして、見えるのは輝きだけであったりする。
かなしい思いをしてこの橋にたったことはない。
けれども、たぶんそんなときに夕暮れをながめていると、ただただ光が輝いて浄化してくれるのかもしれない。
様々な過去が終わったのだという気持ちになるのだろう。
今、足利の街中はシャッター街で、あしかがフラワーパーク&足利学校以外は見るところもあまりない。
一方、わが町佐野は、アウトレットだったりイオンだったりができあがり、なんだか足利より都会になった気もする。東北道のインターがあるのも強い。都会から資本が落ちやすい。
今の佐野キッズが足利に服を買いにいっているのかどうか、それはわからない。たぶん、アウトレットとかにいっているんだろうな。
そんな気もする。