僕はアタマが悪い奴は嫌いだ
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僕はアタマが悪い奴は嫌いだ。
だいたい仕事はできないし、話も噛みあいにくいわけでとにかく絡まないですむのであれば絡みたくない。
でも、そうはいかないのがサラリーマンの世界で、建前上、僕の面倒をみてくれる石松先輩はものすごくアタマが悪い。
どこの大学を出たのかわからないし、むしろ誰も聞かないけども高卒なんじゃないかと思っている。
先日も神村事業部長からなんらかの指示を受けた石松さんときたら、提案先への最終提案期限をすっぽかしたらしい。
案の定、新規営業先のダイナスティとの商談はコンペにやぶれたようだ。
挙句、石松先輩は「まーなんというかアレだな、仕方ないんじゃないの」みたいな他人事を平然と言ってのけた。
営業MTGではいつも数字のヨミなどを話すなかで、石松先輩だけなぜか目標がない。
これもこの会社の謎だ。
基本的に石松先輩は周りからあきらめられているというか、一応営業会社に所属していながら、その実、所属がよくわからないときがある。それでもなんとなく存在がなんとなく認められているというような感じなんだ。
さっき話した明らかな営業ミスについて、対して神村さんは、「お前なあ、石松、そんなんじゃなぁ」というように一応お説教みたいなことをいうが、そのあと、「じゃ、石松、ちょっとこのあと一杯行こうか」みたいに生ぬるくなり、腹が立つ。
なんで、数字にむかって邁進している自分たち営業課員がいて、そのなかに一応入っているはずの石松さんがゆるくやっているのか。
僕はものすごく腹が立っていた。
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そんなときに、僕の商談に石松さんが同行することになった。
僕の新規提案の井河インダストリー(Bヨミ)が今月の部署達成の鍵になるというわけで、神村さんの指示で石松さんが一緒に提案することになったのだ。
ちょっと待てよ。なんで石松さんなんだ。
ここはやはりクロージング力にも優れていて対顧客コミュニケーションも抜群な西川マネージャーに同行してもらったほうがいいんじゃないか。僕はそう思った。
これじゃ井河インダストリーの商談は競合先のバイナリープランナーのやつらに持っていかれてしまう。
僕は負けず嫌いだと思う。まだ営業力は足りてないけれど、この商談は絶対に勝ちたい。だから提案書も仕事帰りのデニーズで徹夜でしっかりつくったし、井河インダストリーの商談用に設定したシステムもバッチリだ。
そこにきて、石松先輩の登場という謎の横やり。
このことで僕の精神バランスは少し狂っていたのかもしれない。
提案当日。
僕はなんとそのアポに遅刻した。
徹夜で提案シュミレーションをして目覚めたら家を出る時間だった。
なんとか石松先輩に電話すると、「ほーん」といういつもの返事で、慌ててお詫びをしつつ、急ぎタクシーなどもつかって営業先についたのは10時。
呼吸ができないほどに走って商談ルームに飛び込むと、「というわけで、中澤のやつは、これこれこうでしてね。あっはっはははは。ま、そういうことです。お、上澤来たな!このやろう!あ、中澤だったか」と、石松先輩。
取引先の羽黒専務と石川部長、そしてシステム部の犬養さんが全員朗らかに笑っている。
なんだこれは。
井河インダストリーの人たちと言えば、お堅いので有名で、僕が提案したときは1回も笑ったことがなかった。特に犬養さんときたら、システム界隈によくいるコミュ障そのもので、商談で雑談をふっても一切笑わない。
それを石松先輩は初対面でここまで笑かし、よくわからないけど、商談ルームをプラスのオーラで満たすとは。
なんだこれは。
「ということでな下澤、」
石松先輩は僕の名前を間違えて呼ぶ。
それに対して、羽黒専務が
「ははははは。石松さん、中澤さんでしょ。そこは。かわいい後輩じゃないですか」
「あっはっはははは。そうでしたそうでした。で、契約書は中澤がもってきているはずなんで、な、中澤?」
「え?契約書?!」
「おい、羽黒専務の顔色が変わらないうちに早くハンコ貰えよ、な?」
ん、どういうことだ。
まさか、石松さんは僕が遅刻した9時30分から10時までの30分の間に神速でクロージングを完了したのだろうか。
寝不足の状態でわけがわからないまま、僕は契約書を差し出す。
汗で紙が濡れている。
すると、石川部長が契約書をとり、管理部にもどってすぐに押印してもどってきた。
「それにしても中澤さんはいい先輩をお持ちですね。うらやましい。」
見事な受注だった。
月額900万円。年間売上見込み1億800万。初期費用6,500万円。
今回の提案に加えて、まだすこし細かい部分も説明しないとクロ―ジングできないかもしれないと思っていのが昨夜だった。
石松さんはどうやって提案したんだろう。なんで頭が悪いはずの石松さんにそんなことができたんだろう。
帰り路、混乱しながら僕は石松さんとうまく口をきくことができなかった。
当の本人といえば、「ハムカツくいてーな。な?中澤。それにしてもバカの一つ覚えみたいな暑さだよな」みたいなことを言っている。
これ以上そのことについて考えると頭がいたくなりそうだ。
◆◆◆
その日、部署の売り上げ、というか会社の売上目標が300%のハイ達成をした。神村事業部長が僕の名前を呼ぶ。僕は、石松さんの顔をみるが、石松さんはちょっと笑いながら僕をチラ見して、スマフォをいじりだす。
「えーというわけで中澤が今日踏ん張ってくれたおかげで前倒し達成です!おめでとう!中澤よくやったな!」
一式社長が、僕の右腕に強力な握手をする。僕はふがいないながらもその握手にこたえた。
◆◆◆
その日の仕事をなんとか終わらせて帰ろうとしたのが22時すぎ。
「中澤、ちょっと蕎麦食ってから帰んねーか」石松さんが声をかけてきた。
僕も聞きたいことがある。
そう思ってついていった。
◆◆◆
その蕎麦屋はチェーンではなく個人経営の店だった。
おそらく70すぎなのか女将さんっぽい人が一人で切り盛りしている。店名は不明で、看板に「味の店」とある。
蒸気がこもってメガネが曇る。
僕はカレーセット500円。これは一番安くてお腹がいっぱいになると思ったのだ。
カレーと蕎麦のセット。僕はこういう具がほとんど入ってない蕎麦屋のカレーが好きだ。
石松さんは、かつ丼セットの、ごはんとそば大盛りというハイカロリーぶり。
女将さんはちょっと耳が遠いのか、疲れているのか、顔を曇らせたように働いていて、でてきたセットのソバがそれぞれ『冷』でといっていたのに、あったかいうどんであった。
僕は気になって変えてもらおうとしたところ、石松さんが無言でそれを制したので、僕らは出されたうどんをすすった。
無言で食べ終わった。
「あの」
「おう」
「今日はありがとうございました」
「おーす」
「あの」
「ん?」
「どうやったんですか?」
「ん?」
「だからどうやったんですか?今朝のクロージング」
「あーあれな。世間話しただけよ。」
なんと、どういうわけか石松先輩は、開始2分で羽黒専務が釣りバカであるということに気づき、釣りトークでがっちりハートつかんだのだという。
たしかに羽黒専務は次期社長で剛腕でもある。今回のキーマンそのもので、あの人を押さえればなんとかなるかも、とは僕も思っていたのだった。
だけど、羽黒専務が釣りバカだったなんて。
たしかにちょっと日焼けしすぎといったところはあるかもしれないし。それはゴルフだったりヨットなどのマリンスポーツかもしれない。むしろ、日焼けサロンに無駄に通って女にもてようと勘違いをするオッサンなんてゴマンといる。
それを2分以内で石松先輩は読み解き、自分が全く興味がない釣りの話をして、相手を釣り上げたという。
完敗だった。
頭が悪いとか悪くないの話ではない。
仕事はたぶん頭脳を超えた勝負で決まるんだろう。
それはどこかで分かっていた。
◆◆◆
先ほどから複数の客が女将さんにクレームをつけていた。
注文をした蕎麦が遅いという話だ。
結局客が帰ったことを知らず、女将さんが蕎麦を出そうとして途方に暮れているのをみて、石松さんは「おう、お母さん、俺、腹減ってるからその蕎麦全部ここおいてってよ。金払うからよ」という。
石松さんはおそらく腹がいっぱいのはず。が、ものすごい勢いでそば大盛りを2人前すすった。
また、カウンターで何やらもめている。
5人組のサラリーマンが、注文をしたのは蕎麦じゃなくてうどんだ、変えてほしいという話だった。すかさず石松さんが「おう。俺、もっとうどんくいたかったんだ。おかあさん、ちょっと全部ここおいてってよ」という。
そういった石松さんは追加で5人分のうどんをすする。
僕は石松さんがものすごいスピードでうどんをすするシーンを見守ることしかできない。
また、カウンターで何やらもめている。石松さんが、今度はカレーうどんを食べる。
会計をしたら6,500円だった。
立ち食い蕎麦屋でそんな金額を払っている人をはじめてみた。
はじめ女将さんは自分が悪いんだからといってお金を貰おうとしなかったのだけども、石松さんが、昨今の原材料費高騰によりってあるだろ、つーことでごちそうさんといって1万円払って、お釣りをもらわずにでてきた。
最後女将さんは福沢諭吉をおでこに貼るようにして拝み、涙を流した。
なんだこれは。
なんなんだろう。
僕は今日ものすごい体験をした。
まだそれを言語化して言い表せないけど、頭がいい悪いっていう尺度って、もしかして、すごいダサいんじゃないか。
帰りに、石松さんが、「中澤、ガリガリ君のチョコミント味、うまいぞ。おまえ食べる?」という。
で、コンビニの前で待っていたら。石松さんが出てきて、「やべー中澤、俺、財布に45円しかなかったわ」とかにやけている。
僕は、レジで二人分のガリガリ君の料金を払うと、ザクザクかじりながら駅へ向かった。右下顎の奥歯の知覚過敏が痛かったが、かまわずザクザクかじった。