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【国内・鉄道】鉄道に詳しくなる003:リニア中央新幹線小史

  今回は、リニア新幹線の「始まり」について考えてみましょう。新幹線の歴史を簡単にまとめると、日本の高度成長とともに計画が生まれて、経済状況により進捗が左右されつつも、着実に実現されてきているといえます。その「始まり」になった、田中角榮の著作から該当箇所を引用します。

リニア中央新幹線計画はいつから?

超電導磁気浮上式鉄道のアイデアは1960年代からあったようで、当時の国鉄は1962年に研究開発に着手しています。1970年代には田中角榮氏の著作などで一般の人たちも知ることになります。

田中角榮氏が1972年に出版した『日本列島改造論』には、日本全国に張り巡らされた新幹線のネットワークが提案されていて、そこで具体的にリニアモーター式の新幹線計画が語られています。

運輸省、国鉄は現在の新幹線よりも二倍以上も速い時速五百キロメートルの超高速新幹線の開発に取組んでいる。車輪とレールに頼るいまの鉄道では、時速三百キロメートル程度のスピードが物理的な限界である。そこで超高速新幹線ではリニアモーターという特別な方式を使う。ある種の金属を極低温に冷やすと、電気抵抗が極端に減ってたくさんの電流が流れる。この現象を超電導というが、超高速新幹線では、この超伝導技術で生みだされる強い磁力で車体を軌道から浮上させて走る。そのため ”新幹線公害“ といわれる騒音もすくない。超高速新幹線が実現すると南北二千数百キロメートルの日本列島は、端から端まで一日で往来し、手軽に用事をすませることができるようになる。
リニアモーター、超伝導技術は国家的プロジェクトとして完成目標を定め、本格的な開発に取組まなければならない。すくなくとも第二東海道新幹線などはリニアモーター方式で走らせてほしいものである。 

田中角榮『日本列島改造論』1972, 日刊工業新聞社, pp120-121

ここに書かれた「第二東海道新幹線」が、現在建設中のリニア中央新幹線になったといえます。

なお、『日本列島改造論』は、当時大ベストセラーにはなりましたが、あまりにも具体的に開発計画の場所を明示したために、その後に起こる土地にまつわるさまざまな歪を生むことになったといわれています。

超伝導磁気浮上方式鉄道の開発史

宮崎実験線の初代実験車両ML500   出典:https://raillab.jp/photo/47660

リニア新幹線の技術開発について見てみると以下のようなプロセスをたどったことがわかります。

1962年 日本国有鉄道(国鉄)が超伝導磁気浮上による超高速鉄道開発開始
1977年 宮崎実験線で試験開始
1979年 ML500(無人)で517km/hを達成
1995年 MLU002N(有人)で411km/hを達成
1997年 山梨実験線で試験開始
1997年 MLX01で531km/h(有人)550km/h(無人)を達成
2015年 L0系900番台で時速603km/hの世界最速度鉄道(磁気浮上式)ギネス記録
2017年 リニア営業線に必要な技術開発完了

Wikipedia"リニア実験線"

人を乗せて安全に走らせるためには、相応の時間が必要なことがわかります。たしかに、無人の実験であれば多少手荒なことをしても、実験用機械が壊れるだけなのでそれほど問題にはなりません。500km/h台のスピードを獲得するのに、無人から有人まで約20年近く要しています。こういう積み重ねがあって、始めて新幹線の安全性が担保されているのでしょうね。そのあたりは、事故を起こしたら、原因を追求する前に(関係者の責任が追求される前に?)とりあえず埋めてしまう某国との違いがよくわかります(笑)。


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