状況を認識する能力
私たち人間が知覚できる分野は、自分がどのアトラクターパターンに関連しているかによって制限されます。あらゆる状況下で重要な要素を認識する能力は、観察者の意識レベルによって制限されるという意味です。
観察者の動機によって、目に入ってくるものは自動的に決まります。したがって因果関係とは、実際は観察者の偏見によって起きることであり、状況そのものの要素ではありません。
デヴィッド・R・ホーキンズ 『パワーか、フォースか 改訂版』 p.222
ユリウス・カエサルは『人はみな、自分の見たいものしか見ようとしない』と言ったそうです。誰しもが、自分がみているものについて、それが唯一の(つまり客観的な)現実だと思っています。しかし、引用文にあるとおり、状況のなかに重要な要素を見出す能力は観察する人の意識レベルに左右されるのです。意識レベルが低ければ低いほど、誤った(=真理ではない)観念に囚われてしまっていることを意味します。つまり偏見が多いということです。
そのような偏見をもって観察された、ある状況における因果関係とは、その偏見の内容が反映された見解にすぎず、状況そのものの真実とはなんの関係もないということです。
意識レベルが高まってくると、現実を認識するときの『解像度』が変わってきます。偏見とは色濃いサングラスをかけてモノを見ているようなものといえます。ほとんどの人は、そのようなサングラスをあろうことかいくつも重ねて装着して世界を見ているのです! 実際にはなにも見えていません! そして、そのようなサングラスを自分が掛けていることにも気づいていないのです。
無意味で無価値なサングラスに気づいてどんどん捨てていくと、やがて現実はその本来の姿をあらわしはじめます。世界はこんなにも美しいものだったのかと、誰もが驚くでしょう。単なる壁に塗られたペンキのブルーに無限のグラデーションを見たり、すべてがスローモーションのように感じられたり、音と音の間にある静寂さえも聴こえてきたりします。
サイケデリクスを摂取すると、一時的ながら、そのような高い解像度で世界を経験することができます。でも、サイケデリクスにこだわることもまた、しょうもないサングラスのひとつであることをお忘れなく。