『ニュー・メタフィジックス by BASHAR の考察②「一つであることと繋がっていること」』
しばらくずっと晴天つづきでもう梅雨明けたの? と思っていたら今週後半はようやく降りそうな予報になっていました。毎年そうですが、梅雨に入るか入らないかくらいの時期から体調がよくなるみたいで、いまも元気に働いています。そしてこの時期の労働のあとの水羊羹ほど美味しいものはなかなかないのではないかと思う、そんな今日このごろです。
さて今回は、しばらく放置していた『ニュー・メタフィジックス by BASHAR』の考察の第2回目となります。興味深いところに付箋を貼りながらすこしずつ読み進めてきて最近ようやく読み終えたのですが、時間をかけすぎたため付箋を貼った場所の文脈を覚えていなかったりするので、もう一度読み直しながら記事を書いていこうと思います。
ちなみに第1回目の記事はこちらになります。
本書は章ごとに、まず宇宙連合(バシャール)がその章のテーマについて独白形式で語る本文があり、その後にチャンドリー博士との質疑応答が用意されています。今回とりあげるのは第2章「科学」の本文のあとにあるチャンドリー博士との対話の部分です。今後の記事では基本的に第1章の本文から順に取り上げていく予定ですが、前回と今回の記事では普段わたしが書いていること、つまり「すべては一つである」ということや「自由意志はない」という話に関連した内容としました。
さて、それでは見ていきましょう。今回の引用文はこちらです。
先にもちょっと触れましたが、わたしがいつも言っているのは「すべては一つである」ということです。そしてこれを言い換えると「分離はない」となります。
分離はないということは、分離しているように見えるすべてのものは幻想であるということで、そこから非二元(あるいは不二一元)という言葉が生まれるわけですが、これで分かるように非二元というのは「すべては一つ」ということの言い換えであって、真理をシンプルに示している言葉にすぎません。ですから非二元というのは哲学や教えの一派のようなものではありません。「そういう考え方」でもありません。非二元とは考えや説といったものではなく、賢者が直接体験(知覚)した真実です。
その意味ではアドヴァイタ・ヴェーダーンタはもちろん、釈迦やイエスの教えも、あるいは奇跡講座も、核心として伝えている真理は「すべては一つである」ということですから、いずれも非二元を教えていると言ってもよいわけです。
この辺りがよく理解できてない人が多いようなのですが、その原因の一つはニサルガダッタ・マハラジやラマナ・マハルシやラメッシ・バルセカールといったインドの賢者に会ってきた西洋人たちがこれら賢者たちの教えを総じて「ノンデュアリティ(非二元の訳語)」として伝えたことにあるでしょう。さらにいえば、その過程において通訳を介したことによって起きた不正確な伝達と、さらにそれを受け取った西洋人たちの理解不足もあり、わたしに言わせてもらうなら、こうしたノンデュアリティ界隈は「ほとんどワヤ」になってしまっています。蛇足(※)が多すぎてそれはもうヘビではなくムカデなのでは? といった有り様です。
さて、他所様をディスるのはこれくらいにしておきますね。
本題に入ります。すべては一つであり、分離は幻想であると言われても、この目にはたしかに事物はそれぞれ独立して存在しているように見える。まあほとんどの人はそう思われるのではないでしょうか。それが普通です。というのも、人間の感覚器官は二元性を拠り所に機能しているものですから。たとえば視覚でいえば、「あるもの」に注目するとき、そこには「それ(あるもののこと)」と「それ以外」という識別をすることによって「あるもの」が認識されます。このとき視覚は自動的に「あるもの」の境界線を認識しているのですが、簡単にいえばこの仕組みによって人間は二元性(つまり分離)で物事を認識するようになるのです。
それに、もっと根本的な話として、わたしたち人間は一人ひとりが個体としての姿かたちを持っていますし、動物もそうです。植物は必ずしも個体という見え方をするわけではありませんが、ある種の植物と別の種の植物は区別できますし、どんな植物も環境(つまり地面だとか空気だとか)とは区別して認識できますね。
じゃあ、すべては一つというのは一体ぜんたい、どういう意味において一つなのだ? という疑問が出て当然なのですが、先に答えをお伝えすると、それは「意識」です。ラメッシ・バルセカールはこのように言っています。
「存在するすべては意識であり、意識は存在するすべてである」
これについては他のあちこちの記事ですでに詳しく述べてきていますが、あらためてポイントを書くと、ラメッシやわたしがいうところの「意識」とはほとんどの人が思っているものとは違うということです。意識とは「気づく性質」であり「気づくことによって存在となる性質」のことで、この物質世界を創る基盤となる場のことで、現代の科学でいうところの量子場に相当するもの、あるいは近いものです。
存在するすべてが意識なのですから、わたしの意識とかあなたの意識とかいうものはなく、わたしもあなたも意識なのです。意識で出来ているという風に理解してもらってもよいでしょう。そして、意識は存在するすべてであるということは、この世界のすべてを指す全体性という言葉と意識はイコールです。全体性を神と呼ぶこともできますが、そうすると神とは意識のことです。さらに、神と愛とは同じものですから、愛も意識です。これを等式で表すとこうなります。
存在するすべて=全体性(ワンネス)=神=愛=意識(一つの意識)
すなわち、「すべては一つである」とは、意識によって一つであるということです。森羅万象のすべては一なる意識に現れた見かけ上の分離です。また、森羅万象のすべては神の創造物という点においておなじです。イエスが人々をきょうだいと呼んだのはわたしたちが本質的に一つだからです。そして、すべてが一つであるこの本質のことを愛と呼び、すべてが一つであるという理解に立ったときに起こってくる生きとし生けるものへの思いのことを愛情や慈悲と呼ぶのです。
ちょっと話が長くなりましたが、そろそろ本題(2回目)に入りましょう。
真理においてすべてが一つであるのなら、この物質的な世界における事物が見かけ上は分離しているように見えるとしても、本質的にはそうではないはずです。つまり、見かけ上はバラバラに存在しているようにみえても、それらはすべて何らかの形で繋がっているはずなのでは? ということです。
もちろんすべては意識という場において一つなのですが、現時点の地球の科学においては意識という場をはっきりと認識できていません。それじゃあ、すべては一つといったって、なんの根拠もない話なのでは? と思われるかもしれません。実際、科学的な根拠はいまのところありません。何度も繰り返していますが、真理とは覚醒が起こった肉体精神機構による直接的な経験です。覚醒した肉体精神機構にとって、すべては一つであることは水が水であり石ころが石ころであるのと同じくらい明らかなことなのです。
とはいうものの、いずれ人類も意識についての理解を深め、物理学の公式に意識の項を導入するときが来るはずです。宇宙連合はそれについてのヒントをこの会話で示してくれています。
まず冒頭のチャンドリー博士の質問ですが、ここで彼女は意識について非常に混乱した考えを持っていることが分かります。マインドとは「心」のことと考えてもらってよいですが、彼女によれば心がすべての意識を代表している、つまり色々な意識があり、それを心が一つに束ねているかのようなイメージです。さらに、心の生理学的側面が脳だとも考えているようです。
ここでは深く踏み込むことはしませんが、心は単に意識のスクリーンに浮かぶコンテントです。そして脳は(一つの大いなる)意識からやってくる情報エネルギーを受信して、それを心というカタチに変換するプロセッサーなのですが、宇宙連合がそれを説明しているのが次の箇所です。
『いわゆるマインドは、生理学的な脳というフィルターを通した意識の産物です。マインドは、すべてが意識ではないのです。しかし、肉体次元のすべての意識を表しています』
とありますが、マインドを心と読みかえると
『心は、生理学的な脳というフィルターを通した個別(魂)意識の産物です。心は、すべてが個別(魂)意識ではないのです。しかし、肉体次元のすべての個別(魂)意識を表しています』
となります。宇宙連合がここでいうところの意識とは、すべてであるところの一なる意識の個別化した顕れとしての意識のことで、個別(魂)意識とでも呼ぶべきものです。ここがややこしいのですが、意識の個別性についてはこちらの記事を読んでみてください。
ここではご理解いただいたものとして話を進めていきます。
宇宙連合が言うには『個別(魂)意識を脳というフィルターに通すことによって心が生じるが、心は個別(魂)意識だけで出来ているわけではない。もっとも、肉体次元に顕れている個別(魂)意識のすべては心として表現されている』ということです。
心というものには個別(魂)意識だけでなく、例えば動物的な本能や感情も含まれていますね。また、心には顕在意識だけでなく潜在意識も含まれます。これらも~意識という用語で説明されることが定着していますが、わたしがしている話の文脈でいうならそれぞれ「顕在している心」と「潜在的な心」と呼ぶべきものになります。
この箇所も、
『そして、心は、地球の電磁気場を利用して、皆さんが知性と呼ぶものを創造しています。これが、皆さんの脳が電気的、磁気的そして化学的な現象により機能する理由です』
と書き換えます。
ここで言っているのは『人間の脳は地球の電磁気場を利用することで機能していて、それによって心は知性を創造している』ということです。
具体的にどのようにして知性を創造しているのかは明かされていませんが、それよりも、わたしたちが知性だと考えているものは地球の電磁気場がなければ機能しないという可能性が示唆されていることが重要ですね。
わたしは人類はすくなくとも現在の知見のままでは技術がどれほど進歩したとしても地球圏外に出ていくことはできないと思っていますが、この宇宙連合の情報はその考えとも符合しています。要するに、地球人類は自分たちが思っている以上に地球と一体であり、地球環境に依存しているということです。
ここはすでにお話してきた通りですね。個別(魂)意識からやってくる情報を思考や感情に変換するのが脳の機能であり、そしてそれは地球の電磁気場を利用して行われています。
ここが一番重要な箇所ですが、『地球上で皆さんすべてをつないでいる電磁気場』とありますね。そう、宇宙連合によるならわたしたち人類は電磁気場によって皆つながっているのです。
ここですこし脱線しますが、『すべては一つである』ということと『すべては一つにつながっている』ということは同じことを言っているようで、実際にはすこし違うことを言っています。どういうことかというと、つながっているというのは分離を前提にしているのですね。バラバラのものがあり、それがなにかでつながっている、というのと、そもそも最初から一つであるのとの違いです。分かるでしょうか?
例えばですが、蜂や蟻の集団(群れ)を考えてみてください。女王を中心としたこれら種族は人間の話す言葉のような意志伝達手段を持たないはずなのに、それぞれがそれぞれの役割と仕事を果たしているしコロニーの危機においては誰が誰に指示するわけでなく繭や幼虫を安全な場所へと運び出したりします。このような行動を観たときわれわれは「蜂や蟻は人間には見えないなにかでつながっているのだろう」と考えますね。それはある種のフェロモンであったり、あるいは超能力的なものであるかもしれませんが、いずれにしてもそうした特殊な絆によって集団のすべてが一つにつながっているはずだ、というわけです。これに対してもう一つの考えは「実は蜂や蟻の集団は、それ自体が一つの生命体であるかもしれない」というものです。わたしの観点では蜂や蟻だけでなくすべての生きとし生けるものは一つの生命なのですけれども、この二つの考え方でいうなら後者のほうが実相に近いです。ともあれ、これが「つながっていること」と「一つであること」の違いです。
この違いを頭に入れておくことは、いずれ全体性を知覚できるようになっていく過程において意味をなすことでしょう。ここではこれ以上は踏み込みませんが、このことについては一度時間をとってゆっくり熟考されてみることをおすすめします。
さて、先ほど
と書きましたが、その「何らかの形」とは宇宙連合によれば電磁気場ということになります。ただ、宇宙連合のいう電磁気場はおそらく現在の地球の科学が理解している電磁気場の範疇を超えたものであるように思われます。そのあたりは想像するのも難しいですが、そもそも電磁気場という時点ですくなくともわたしにとっては「分かるような分からないような」代物なので、さして問題はないと考えますね。
それはともかく、電磁気場によって誰もがつながっているからこそ、テレパシーというものが可能になるというのはなるほどと思えるところです。ちなみにわたしは以前テレパシーを体験したことがあります。まあ、テレパシーまでいかなくても阿吽の呼吸的なものから、一卵性双生児にまつわる不思議な話まで、やっぱりつながってなければ説明できないことってたくさんあると思います。
しかし、それにしても
この表現はぶっ飛んでますよね。映画「マトリックス」シリーズを観たことのある方ならイメージできるのではないでしょうか。まあ、あれは電脳世界に接続されているというもので、こちらは現実世界が電磁気場によって生み出されているという違いはありますけどね。ちなみにこの本が出版されたのは映画「マトリックス」よりも遥かに昔です。
ここで言っているのは、人と人がお互いの考えていること(=心)を認識しあい、さらに同調することができるのは、脳の中で起きている電磁気的なパターンを地球の電磁気場を介して他者へと送ることができるからだ、という話です。
この電磁気的なパターンの一部については、わたしたちはそれを「波長」とか「波動」とか、あるいは「ヴァイヴス」なんて呼んでいたりしますが、そういったものだけでなく、基本的にどんなコミュニケーションもこの電磁気的なパターンが地球の電磁気場を伝わることで行われているということです。そして、重要なのはこれが電磁気的なパターンであるからこそ、それをそっくりそのまま分かちあうことが可能なのだということです。
さて今回は人類全体がどうやってつながっているかという話を紹介しました。しかしながら、忘れてならないのは、これはなにも人間同士だけの話ではないということですね。人間も動物も植物も、そして鉱物も(つまり地球上のすべてのものが)地球の電磁気場によって一つにつながっています。
すべては一つである、ということをなかなか受け入れられないという人はまず、今回の話を参考に、電磁気的なパターンによってすべてがつながっているというイメージを頭の中に構築してみるとよいでしょう。ただし、先にもちょっと触れましたが、同時に「本当はつながっているんじゃなくて、最初から一つなのだ」という理解も併せ持っておくことが大切です。
今回はこれで以上です。また次の記事でお会いしましょう。
【おまけ】
知世はいいぞ。あっ、でも(薬師丸)ひろ子もいいけどね。ふたりとも俳優としてだけじゃなく歌手としても素晴らしいです。