現文明の痕跡は残るのか?
アース・カタストロフ・レビューという BLOG の記事が面白かったので紹介します。この BLOG は in Deep の著者である岡さんが書いておられる別 BLOG でして、扱うジャンルは違うものの in Deep 同様、岡さんの独特の鋭い視点が展開されています。わたしはもう10年以上、このアース・カタストロフ・レビューと in Deep を読み続けていますが、他にはどんな BLOG も読んでいません(note の記事は別ですけどね)。
さて、紹介する記事ではそのタイトルにも書いてあるとおり、なんと「プラスチックを食べて消化できる昆虫」が発見されたとあります。
化学については疎いわたしですが、そんなわたしは「現代文明が滅びたあとには建築物や道具といったもののほとんどは塵となって消えていくが、プラスチックだけは分解されずに残る」という認識を持っていて、そしてその認識は大筋で間違ってなかったはずです。
本だったかネット上の情報だったか忘れてしまいましたが、いま主流の鉄筋コンクリートの建造物はそのまま放置したとしても、約2万年ほどで跡形もなく消え去るそうです。これ、どうやって試算したのかもよく分からないのですが、鉄筋コンクリートの建物が消え去るなら、当然その中の住居に存在していた数々の品々(冷蔵庫とかベッドとか)もまた消滅するでしょうし、屋外にある自動車やアスファルトで舗装された道路といったものもすべて消えてなくなると想像されます。
つまり、この文明がこの先のどこかで滅亡したとして、そこから2万年後の世界にもし人類が生き延びていたとしても、この文明の痕跡はほとんど残っていないだろうという話です。ここから、アトランティスやレムリアといった伝説上の古代文明の痕跡が残っていないからといって、そういった文明が存在しなかったことの証明にはならない、と考えている人もいます。
まあ、アトランティスに関していえば滅亡したのはおよそ1万2千年前のことのようなので、2万年で跡形もなく消えるという話が正確であるなら、多少なりともなにか残っていてもよさそうではあります。とはいえ、わたしも大筋としてこういう考えには同感です。
ホモ・サピエンスが登場したのが40万年前から20万年前くらいのことだとされていますが、仮に40万年前だということにしましょう。すると、ホモ・サピエンスという時点で40万年前の人と現代の人とでは肉体的にも精神的にもほぼほぼ同じ能力を持っていると言えるわけです。であれば、そのホモ・サピエンスが39万年ほどはほとんどずっと同じような原始的な暮らしを続けてきて、最近の1万年足らずの期間において "突如" 文明を興し、その文明がこの20数年の間にインターネットを発明し、いまこうしてわたしがパソコンを使ってこの記事を書いているというのは、非常に奇妙なことに思えます。
いったん文明が興ってしまえば、そこからおよそ5千年もあればインターネットを作ってしまえるホモ・サピエンスが、39万年もの間 "なにも生み出さなかった" のはちょっと考えにくいです。ここで、5千年の文明勃興期間に先立つ期間を「前の文明が滅亡してからその痕跡が消えるまでの期間」と捉えるなら、ホモ・サピエンスは短ければ約2万5千年のサイクルで文明を興しては滅ぼしてきた可能性があると考えられないでしょうか?
まあ、この考えには色々弱点があって、一つには39万年間の原始的な生活を示唆する人骨が見つかっているというファクトがあり、もう一つには現代文明が持っている「人工衛星」と同様のものの残骸が地球の衛星軌道上で発見されていないらしい、ということです。もちろん他にも色々あると思いますが、他のたいていの主張は「痕跡のなさ」ということで一括りにできそうです。
さて、人骨の問題ですが、これは反論が可能です。というのも、現代においてもこの地球上では、比較的原始的といえる生活をしている人々が決して少なくはないからです。一方、日本などでは火葬文化ですから、2万年後の日本で文明人であるいまのわたしたちの人骨が見つかる可能性は低いはずです。
人工衛星については、大気圏外では摩擦が生じない上、酸化することもないので、人工衛星のような構造物は壊れてバラバラになるようなことはあったとしても、それが塵にまで分解されることはありません。ですから、もしも過去に現代と同等以上の文明があったのだとしたら、その文明は必ず人工衛星を発明し運用していたはずだから、それは今でも残っているはずだというわけです。
どっちかといえばこちらの方が説得力をわたしは感じますが、この説にもいちおう反論はできます。まず第一に言えるのは「単にまだ見つかっていないだけでは?」というものです。地球の衛星軌道といってもそれは非常に広大な領域です。衛星によって高度も違いますし、そもそも人工衛星はとても小さいものです。なので、あらかじめ存在していることが分かっている衛星を見つけることは比較的容易でも、存在の知られていないものが偶然に見つかる可能性はとても小さいのです。
あるいは、そもそも本当にそうした文明が人工衛星という技術を使っていたのか? ということも考えられます。まあ、GPSのようなものは文明のグローバル化には必須だと思われますし、人類が宇宙空間を目指すというのも種の本能のようなものではないかとも思います。ただ、わたしたちが人工衛星を用いて行っている活動が、必ずしも人工衛星というアーキテクチャでなければ実現できないとは限りません。それこそ想像はつきませんが、人工衛星などよりも遥かに優れた技術が存在していたため、ローテクな人工衛星などを打ち上げる必要がなかったということも可能性としてはなくはないでしょう。
とまあ、ここまで超古代文明が存在していなかったとは言えないよね? という話をなんとか繰り広げてきましたが、そこでもう一つ忘れられているのが "プラスチックどうすんの問題" です。
これまでプラスチックは生分解されず、焼却しない限りは永久的に残り続けると考えられてきました。つまり、この現代文明が滅びて2万年が経過しても、燃やされずに放置されることになったコンビニの袋は残り続けるのです。仮にこの世界が核戦争で滅亡したとしても、2万年後の人々がガンダムのプラモデルをそのままの形で発見する可能性は決して低くありません。
プラスチックはこの文明においてはあまりにも多用されています。もしプラスチックが発明されていなければ、わたしたちが日常的に使っているモノと同等のものは金属で成型するか、木材ベースの素材で作ることになりそうですが、重さや耐久性、加工のしやすさなど、いずれもプラスチックの利便性には及ばず、それゆえこれだけモノにあふれた世界は実現していなかったでしょう。一方でプラスチックの発明は石油を見出した文明にとっては必然的な流れと言えますから、過去の超古代文明がプラスチックを一切用いなかったということも考えにくいんですよね。
しかし、わたしたちが超古代文明のコンビニ袋を発見することはありません。じゃあやっぱり超古代文明はなかったんじゃね? という結論に納得するしかないのかあ🤔 と、渋々ながら思っていたわけです。わたしはオカルトマニアですし陰謀論マニアでもありますから、超古代文明なんていうのはあって当然くらいには思っています。しかし一方でわたしは非常に現実的かつ論理的にものを考える人でもあり、自分の考えに自分で反証を試みる習慣があります。ですから、自分で思いつく限りの反証可能性をすべて排除できないかぎり、なんであれそれを "事実あるいは真実" とみなすことはありません。
そんなわたしにとって今回のアース・カタストロフ・レビューの記事は、超古代文明はなかったと言える理由の一つがなくなったかもしれない、という意味をもたらしてくれました。(岡さんはそんな話は一切していません)
自然(人類もその中に含まれますが)というものはそれ自体が一つの生命体ですから、言ってみれば人間の肉体において未知のウィルスに反応する免疫システムがあらかじめ備わっていたりすることと、プラスチックを分解できる生物が出現するのは同じ仕組みなのかもしれません。
この昆虫(の幼虫ですが)がプラスチックを体内で分解する機序が詳しく分かってくれば、将来的にはプラスチックを焼却に頼らず安価に処理できるようになるかもしれません。それは人類の視点でみればエコなシステムですが、そのようなエコシステムを備えた人類が滅びたところで、こうした昆虫をはじめとする生物たちがガンダムのプラモデルを分解してくれそうですね。2万年後の人々がガンプラを発見して「これは当時の人々たちが崇拝していた神々であったに違いない」と勘違いしてくれる可能性がなくなるのかと思うと、それはそれでちょっと残念ではありますが……。