金鳥山を登って奇岩めぐりをしました
兵庫県の六甲山系にある金鳥山という山はその昔、楢崎皐月という人がそこで電位分布実測調査を行っていたときに平十字と名乗る謎の人物と出会い、『カタカムナ神社の本尊であるカタカムナ文書』を書き写す機会を得た場所であると伝えられています。
カタカムナについてはいずれなにがしかの記事を書こうと思っているのですが、いまのところ他の研究で手一杯なのでいつになるかは分かりません。
今回は、そのカタカムナ発祥の地といってもよさそうな金鳥山に若い友人ふたりと一緒に登ってきました。金鳥山に登るのはこれが2回目で、前回登った9年前も今回の同行者の一人であるT君と一緒でした。その頃、わたしとT君の間でカタカムナの話題が盛り上がっていて、ちょっと現地まで行ってみるかということになったわけなのですが、T君とはそれがきっかけでその後も奈良の三輪山などちょくちょく一緒に出かけるようになり、その後にM君がわたしの以前の職場であったマッサージ屋に副業として入店してきて、以降は3人で年に何度かどこかへ登りにいくか拝みに行くようになりました。
さて、今回は生駒山系に少々飽きてきたわたしが新たに六甲山系に目をつけたわけなのですが、それでちょっと調べていくと、この金鳥山を含め六甲山系にはいわゆる巨岩や奇岩の類がたくさん見られるということを知ったのでした。そういえば以前に登ったときも風吹岩という巨岩のところまで行ったのですが、今回はその風吹岩へ別のルートから登り、帰りは保久良神社へと降りる前回のルートを降りていくことになりました。
このルートの最初にあるのが高座の滝です。ここには滝の茶屋や公衆トイレがあり、いわゆる登山口になっています。ここからしばらくは結構きつい岩場をよじ登っていくことになるのですが、途中には鎖場もあって、なかなかハードでした。ちなみにこの辺りは日本で最初のロッククライミングコースなのだそうです。一人だけスニーカーで舐めプしてたT君ですが無事に登っていました。
今回のお目当てその1がここ、万物相(ばんぶつそう)またはピラーロックと呼ばれる場所です。花崗岩が侵食されてできた地形だそうですが、とても奇妙な景観です。はるか彼方には神戸の海が見えていて、天気は悪かったですが来てよかったなと思えるスポットでした。
その3の遠方に映っているご夫婦に、途中の休憩場からここまで道を先導していただきました。お年はたぶんわたしと同じくらいなのですが、T君(36)とM君(30)が若いのでわたしもそれくらいの年齢の者として扱われていました😌
そしてこちらが風吹岩です。万物相は侵食でできたであろうことが見て取れるのですが、風吹岩はよく分からないですね。ただめっちゃ大きいです。
右からM君、T君、そして全身ワークマンのおじさんがわたしです。ちなみに帽子も手袋もバックパックも靴も、すべてがワークマンです。とても働き者のようですが、実際にはあんまり働かないです。
風吹岩から降りきったところにあるのが保久良神社です。この保久良神社こそ古のカタカムナ神社なのではないか? と考えている人もいるそうです。この神社の本殿の裏側(立入禁止で行くことはできませんが)にはストーンサークル風の磐座群が存在しています。このストーンサークルには中心となる石があり、見方によってはこの石からカタカムナウタヒのように時計回りの渦を巻いているよう磐座が配置されているようにも見えます。ちなみに、この写真の磐座は本殿の前にあるもので、ストーンサークルとは別になります。
これらの磐座では古代の祭祀が行われていたと考えられていて、そのための道具とみられる弥生中期の土器も見つかっているそう。この磐座は奈良の三輪山の山頂にある磐座と同時期のものだそうです。おそらく、縄文時代から存在していたのではないでしょうか。
個人的には、カタカムナ神社かどうかは別としても、この保久良神社はなかなか興味深い場所だと思っています。神社というものが鳥居や拝殿や本殿を備えた現在と同じような形をとるようになったのがいつ頃からなのかははっきりとは分かっていないようですが、おそらく早くても弥生時代の終わりか古墳時代になってからではないかと思います。
それ以前から存在していたのはこういった磐座や三輪山のような御神体となる山を祀っていた場所で、そこで行われていたのは縄文時代から続いていた古神道やその原型となる原始宗教の祭祀でしょう。この頃の人々の信仰や祭祀の儀式のあり方にはとても興味があるのですが、古いだけあってなかなか情報がありません。
おなじ神社でも、もっと後になってから創建されたものと、こういう古代の祭祀場がそのまま神社となったものとでは、いわゆるパワースポット的な意味でも、また、タイムカプセル的な意味でも、大きく違うとわたしは考えています。タイムカプセルというのはつまり、日本国内に8万社以上あるとされている神社ほど、いにしえから伝わる文物を隠して保管しておくのに相応しい場所はないということです。
たとえば伊勢神宮には三種の神器のひとつである八咫鏡(やたのかがみ)があるとされていますが、他にもアカデミズムではその存在を否定されている神代文字で書かれた古文書などもあるようです。また、籠神社には海部氏系図があります。このように所蔵していることが情報として公開されているものもありますが、神社の数を考えれば公開されていない膨大な数の古文書や宝物あるいはその他のものが存在することは明らかです。
中には単に公開されていないだけ(神社所有者の個人的な資産であるから、とか、御神体だから、とかで)というものもあるでしょうし、いわゆる陰謀論的な意味で隠されている(公開すると歴史の真相を暴くことになるとか、実は聖書のアークがここにあって……とか)ものもあるでしょう。これらのすべてが公開されれば本当にとんでもないことになると思います。ゆえに、神社はタイムカプセルだとわたしは考えているわけです。
また、パワースポット的な意味というのは、すべてではないとしても多くの神社は基本的にはパワースポットと呼べるような場所に建っていると思われます。ただ、それがレイライン的なパワースポットなのか、風水的なパワースポットなのか、あるいは陰陽術的にパワースポットなのか、というように、どういう知識体系によってパワースポットとして認められているかについては、時代によって大きく違うだろうということです。
いずれの意味でも、わたしはより古い神社にこそ奥深い謎があると考えています。その意味で、この保久良神社は重要な神社のひとつだと思います。
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