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質問箱への回答㉛『価値観のギャップと意識レベルについて』

おかげさまで質問箱への回答シリーズも31回目となりました。質問箱自体はこうして note で回答をシェアしはじめるより前から運用していたので、いただいた質問とそれへの回答はもっとたくさんあるので、興味のある方は読んでみてください。ただ、以前の回答はわりと短いです。

ちなみに㉛というこの数字を丸で囲んだ記号、いくつまであるのかと思ってやってみたところ、どうやら㊿までのようでした。

さて、今回いただいたご質問はこちらです。

さっそく見ていきましょう。

"価値観にギャップのある「遠い他者」" とありますが、価値観といっても例えばお金に対する価値観や、恋愛観、友人とのつきあいについての価値観、趣味についての価値観などなどといったように、見るべき要素は多々ありますね。ですから、「ちょっと自分からは遠いところにいる人だな🤔」と思うほど価値観にギャップを感じるということは、そういった個々の価値観が食い違っているだけではなく、総体として「一致するところがほとんどない」ような場合のことだと思われます。

一方で、だいたいにおいて価値観を共有できるのだけど、趣味だけは合わない(たとえばインドア派とアウトドア派といったような)ということもありますね。こういうケースのように、合わないところでは180度違うとしても他のところでだいたい似たようなものに価値を置いている、ということであれば、価値観にギャップを感じるということはないはずです。

そうすると、価値観のギャップを生じさせているのは一体なんだろうか? というところに興味がいくわけですが、それは意識レベルの違いです。

追記:個々の価値観について「この価値観はどんな意識レベルの反映だろうか?」という視点で検証してみると明らかだと思います。

ここからは意識レベル350(受容)の人物を中心に置いて考えていきましょう。この人の目に意識レベル125(欲望)の人物はきっと "価値観にギャップのある「遠い他者」" として映ることでしょう。それはそうです。350の人物は他者のネガティブな面さえも受容し、赦すことができるレベルにある一方で、125の人物は他者を欲望の対象や、羨望(嫉妬)の対象とみなして生きているのですからね。

では、この350の人物にとって意識レベル540(喜び)の人物はどう見えるでしょうか? 意識レベル540は無条件の愛の領域であり、この領域にいる人はワンネスを知覚しはじめ、存在していることそれ自体を喜びに感じています。また、仕事であれ趣味であれスポーツであれ、その人はそのジャンルで卓越したパフォーマンスを発揮し、どこにいてもリーダーや指導者といった立場へと自然と押し上げられることでしょう。

350の人物にとっては(というより大部分の人にとっては)、意識レベル540の人物は明らかに "並々ならぬ人物" に見えるはずです。そしておそらく、この二人の人物が交われば、350の人物には540の人物の価値観は理解を超えるものと感じられることでしょう。人生を駆動させる動機が大きく異なるわけですから、それは当然のことです。

ここで言いたいのは、価値観のギャップは相対的に意識レベルに差がある場合に感じるものであるということです。自分から見て、相手の意識レベルが著しく低い場合も、著しく高い場合も、価値観には大きなギャップが生じるでしょう。

価値観にギャップのある「遠い他者」に対して、高い意識レベルの人の関わり方はどのようなものでしょうか?

ですからこのご質問における "価値観にギャップのある「遠い他者」" とは結局のところ、意識レベルに隔たりのある他者のこととなりますね。つまり、高い意識レベルの人物は、低い意識レベルの人物とどう関わるか? というのが質問の真意ということになるでしょう。

さきほどからそれぞれ意識レベル125、350、540の3人の人物を登場させていますが、125の人物は3人の中でもっとも意識レベルが低いというだけではなく、200未満のフォースの領域にいるということからも、低い意識レベルの人物と言ってよいでしょう。大切なポイントは、この領域にいる人々は基本的に意識レベルを高めようとする働きに反発するということです。この人たちにとってはフォースが真実の力ですから、パワーを拒否します。ベタな例えですが、不良グループの一人が急にマジメになったら排斥されますよね。そういうイメージです。

350の人物は、人類全体の意識レベルが200をすこし超えたあたりであることを踏まえるならかなり高い意識レベルだと言えますが、540の人物と比較するのであれば相対的に低い意識レベルだとも言えます。

540の人物は、350の人物よりも単に190ポイント高いレベルであるだけでなく、この領域にいる人は基本的にはもうそれ以下のレベルへと意識が転落することがないという点が特筆できます。意識の成長について話をする上でわたしが想定している "高い意識レベル" は500以上なのですが、それは500になってはじめて人は "目に見えるものだけが世界のすべてではない" ということを理解するようになるからです。言い換えると、霊的なことを理解できるようになるのは意識レベル500からということです。

ただし、500から539までの領域にいる人はネガティブなアトラクターの影響によって容易く意識レベルを落としてしまいます。この領域をわたしは「霊性お試しゾーン」と呼んでいますが、一瞥体験や魔境といったものはこのゾーンで起こることです。真理を垣間見たものの一時的な体験で終わったとか、おなじように真理を垣間見たところで自らを優越的な存在であると勘違いしてしまったときに、意識レベルはいったんこのお試しゾーンに入り、その後499以下のどこかのポイントまで転落するということが起きています。

そのようなわけで、このゾーンは高い意識レベルの領域には違いありませんが、同時に危うい領域でもあるといえます。このため、わたしが「高い意識レベルの人物」というときは必ず540以上の人物を指していると思ってください。すこし話がそれてしまいましたが、そのようなわけで意識レベル200から539までの領域はわたしの観点では意識レベルの「中間層」です。もちろん、200と539では大きく違いますが、その違いよりも、フォースの影響によって意識が転落してしまうという共通点のほうが重要と考えているわけです。

意識レベルが低い場合の対応は想像がつきますが(拒絶したり、一方的に従わせたり)

さて、この引用箇所には "意識レベルが低い場合" とありますが、最初に述べた通り、価値観のギャップとは意識レベルのギャップです。ですから、200以下の低い領域においても、175(プライド)の人物と50(無気力)の人物とでは価値観は大きく違うかもしれません。そうした場合、拒絶したり一方的に従わせたりということは確かにあるでしょう。ただ、このようなケースについて考えてもあまり意味はないと思います。どうしたところでロクなことにはならないでしょう。

次に、中間層の人が低い意識レベルの人物とどう関わるか、あるいはどう関わるべきか? ということを見ていきましょう。質問者さんが引用箇所で言っているのはこのケースだと思います。

この場合まず言えるのは、中間層の人にとって低い意識レベルの人物の存在は「厄介なもの」であるということです。ですから自然の反応として拒絶したり、立場上可能なら強制的に従わせるかもしれません。では意識的にどう関わるべきかというと、とにかく可能な限り距離を置くことです。間違っても「腹を割って」とことん話し合ったりしてはいけません。この領域の人々との関わりにおいて自分の意識レベルを高めようということを考えるべきではないのです。そしてもちろん、自分の関わりによってこの領域の人々の意識レベルが高まることを期待するべきでもありません。

忘れてはいけないのは、中間層の人は低い意識レベルの人物の放つエネルギー(フォース)によって意識レベルを下げてしまうリスクが常にあるということです。

中間層の人はパワーの領域にいますから、確かにその人が居るだけでその場にポジティブな影響を及ぼしています。その影響によって、より低い領域の人の意識レベルが高まることは実際にあります。ただし、これは基本的にパワーの領域にいる人同士の場合であると考えてください。

意識レベル250(中立)の人物は自らがパワーの領域にいます。この人の近くに先ほどの350の人物が居たなら、250の人物の意識レベルが上昇する可能性は高いです。そしてこの場合、350の人物は250の人物に対して特別なにか働きかける必要すらありません。意識レベル350の人物がそこに居て、意識レベル350の人物として振る舞っているだけで十分なのです。

ところで、この二人の場合は意識レベルがちょうど100ポイント違うわけですが、この差は決して小さくありません。それゆえ、両者の価値観は相当に開きがあるはずです。さきほど350の人物からみた540の人物の価値観についても触れましたが、どちらの場合も価値観のギャップは大きいです。でも、もうお分かりと思いますが、いずれのケースにおいてもそのギャップは問題になりませんね? ただギャップがあるというだけです。結局のところ、問題になるのはフォースなのです。

さて、それではフォースに耐性のある意識レベル540の人物の場合はどうでしょうか? 

以前の記事「質問箱への回答『慈悲心とはなにか?』」を踏まえると、受け入れる、赦す(内面では思考の波が立っていても)ことではないかと考える一方で

意識レベル540は無条件の愛のレベルです。このレベルの人物は愛したり愛さなかったりということがありません。これは、どんな人の自我も例外なく幻想であり、ゆえに誰にも自由意志はなく、ゆえに誰にも責任はないという理解によってもたらされます。この無条件の愛はより高いレベルでは慈悲心、慈愛へと昇華していきますが、その本質は "すべての人の苦しみを取り除き、意識レベルが高まるようにしてあげたい" という動機です。

さきほどの霊性お試しゾーン(500~539)ではまだ条件付きの愛であるため、この領域の人は低い意識レベルの人物のことを愛せない場合がありますが、540の人物はそうではありません。彼ら(540以上の人物)はどのような低い意識レベルの人に対しても恐怖や怒りを抱くことがなく、思いやりをもって接することができます。

先に、低い意識レベルの人はパワーに反発すると書きましたが、それも程度の問題ではあって、540以上の人物のパワーには反発しきれないことがあるでしょう。意識レベルが1ポイント上昇すると霊的なパワーは10倍になります。10ポイントだと100億倍(!)です。このパワーは意識を癒やすパワーそのものですから、高い意識レベルの人物の前ではフォースの領域にいる人々もうっかり癒やされてしまいかねません。

アルコールや薬物へ深刻に依存している人がその状態から脱するためには、本人が540以上の意識レベルへと飛躍するか、540以上の人物と一緒に居続けるしかないと、ホーキンズ博士は述べています。わたしは前者のパターンで薬物依存とギャンブル依存を脱することができました。

いずれにせよ、霊的なパワーがフォースの影響に耐えられるだけでなく、フォースの領域にいる人を癒やすことができるようになる水準が意識レベル540だということです。

確かに、この領域の人は低い意識レベルの人物を「受け入れ」「赦す」でしょう。ただ、受け入れるにせよ赦すにせよ、それはどちらも同じことで、特定の誰かを受け入れたり赦したりというのではなく、示されるのは自我の幻想に囚われているすべての人々に対する理解と態度であり、一言でいうとそれが慈悲です。

個人的な経験も踏まえていえば、意識レベルが540を超えると誰彼なく相談されたり、身の上話を打ち明けられたりするようになっていきます。自分自身も個人の幻想性に気づきはじめ、行為者の感覚が消えていきはじめているので、人間関係は自然と一定の距離を保ったものに変わっていきます。この領域では、こちらから他者とどのように関わるかというのは問題になりません。というのは、自己も他者も幻想であるからです。

ですから意味があるとすれば、中間層の人や低い領域の人にとって、この領域の人とどのように関わるべきかということだけです。

依存症の人がこの領域の人と一緒に居続けることで依存から脱することができるとは言っても、それは可能性があるというだけで、そうすれば誰でも脱することができるわけではありません。

ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジの臨在に触れて恩寵にあやかりたいと言って実際に彼らに会いに行った人々のうち、本当に恩寵を受けることが出来た人はおそらくごくわずかだったでしょう。ほとんど稀有なことだったはずです。

ポイントになるのはここでも "明け渡し" です。明け渡しは神に対して行うものですが、悟った賢者も、意識レベル540の人物も、その意識レベルの高さに応じた神の化身なのです。別の言い方をするなら、彼らが発する霊的なパワーや、彼らの言葉はすべて "聖霊" なのです。

もし探求者がこのような領域の人と関わることが出来たとしても、ただ親しくなるだけではほとんど意味がありません。彼らにとって "親しい他者" など存在しないわけですからね。必要なのは教わるという "覚悟" です。

さて、話がだいぶ広がってしまいましたが、最後のところを見てみましょう。

自分以外の人同士が拒絶し合う場合、主従関係(パワハラなど)の場合、それらを静観することで良いのでしょうか?

基本的には静観が望ましいですね。特になにもしなくても、あなたの意識レベルが彼らよりも相対的に高く、かつ彼らのいずれもがパワーの領域にあれば、静観していればいずれ事態は好転するはずです。そしてその場合は、あなた自身の意識レベルの上昇にとっても恩恵があるかもしれません。

とはいえ、これが職場での人間関係であったりすると、完全に静観を決め込むわけにもいかないかもしれません。その辺の匙加減まではアドバイスできませんが、どんな状況であれ、本当のところで唯一可能なのは「つねにもっとも気高い自分であること」です。自分の意識レベルを保ち、なおかつ高めていくことだけが、世界に貢献できるただ一つのことです。具体的になにをどうするかといったことは、意識レベルを高めてから考えればいいんです🙂

さて、回答はこれで以上になります。価値観のギャップのことを意識レベルのギャップだと判断してこのような内容となりましたが、価値観っていったのはこういうことだったんだけどな🤔という齟齬がもしあれば、また質問してみてください。たぶん、また同じような回答になるとは思いますが😆

それでは、お読みくださってありがとうございました。またのご質問をお待ちしております。


おまけ

むかし YMCK という8bit ミュージックのアーティストの曲をめっちゃ聴いてたので、これちょっと刺さるものがありました。ビジュアルも歌詞もけっこうエモいですね。

ちなみに新幹線で焼売食うやつはメガネ割れろ!と思います(臭い)!

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