アストラル界 について(中編)
アストラル界についての解説記事、中編になります。前編はこちら。
前編の内容の補足など
前回の記事で "死後の行き先" についてお話しましたが、今回はまず、その内容について補足しておこうと思います。
それはアストラル界と天界の違いについてです。アストラル界はアストラル体によって存在できる領域であることはすでに明らかにしました。とすると、天界ではアストラル体はどうなるのか? という疑問が起こると思います。それについてちょっと考えてみましょう。
アストラル界は星に固有の領域です。つまり、ここまで言及してきたアストラル界とはすべて地球のアストラル界のことになるのですが、それではアストラル界の上に位置している "天国(有形の天界領域)" はどうなのでしょうか? すでに述べましたとおり、天国は地球の輪廻転生システムの一部です。つまり、有形の天界は星固有の領域であると解釈することができます。その意味では天国もアストラル界の一種とみなすこともできますが、一方で天国にはアストラル界にはない一面があるのです。
それは、有形無形を問わず天界に存在するためには "コーザル体" のエネルギーによって存在が賦活されている必要があるということです。コーザル体とはアストラル体よりも高次の体のことで、人間の魂と言ってよいボディです。正確にはコーザル体よりも高次のボディがあるので、コーザル体は魂の最下層のボディとみなすべきでしょう。
これはあくまでわたしの作った用語ですが、人間型の魂がある星でさまざまな経験をするために生み出す存在形態のことを "転生体" と呼びます。転生体とは肉体+エーテル体+アストラル体+メンタル体の複合体のことです。エーテル体は肉体の青写真のようなものですし、メンタル体はアストラル体の一部とみなすこともできるため、単純にいえば転生体とは肉体とアストラル体のことです。わたしたち人間は地球上でこの転生体を使って輪廻転生を経験しています。
この転生体を地球に転生させているのがコーザル体を含むより高次の自己です。この高次の自己のことをわたしたちは魂と呼んでいます。そして、高次の自己に対応する低次の自己が転生体であるわたしたちです。
さて、この転生体はその名の通り転生を繰り返すことによって様々な経験を積み、意識レベルを成長させ、やがて霊的な真実に目覚めます。つまり、自分は本当の "自己" ではないということを悟るのです。
実は、転生体の個別意識である自我には低次と高次のものがあります。ほとんどの人々は低次のマインド、ローアーマインドしか用いていません。これは肉体と一体化した気づきのすくない自我です。一方、意識レベルが上昇するに伴って、アストラル体とメンタル体はコーザル体とのつながりを強化していきます。これによってアストラル体とメンタル体はより高次の能力を発揮します。グルジエフはこのことについて、人間には本能・感情・思考の3つのセンターがあるが、本当はこれらに加えて高次の感情センターと高次の思考センターが存在していると言っています。
グルジエフにならっていえば、高次の感情センターと高次の思考センターが活性化された状態の人間のマインドはより高次のものとなるわけです。これをハイアーマインドと呼びます。ハイアーマインドとは肉体との一体化を見抜く気づきを備えたより統合的なマインドで、それはコーザル体からのエネルギーによって賦活されています。別の言い方をするなら、真我を見出すことによって真我の反映を受けたマインドがハイアーマインドです。さらに別の観点では、それは意識レベル500以上で顕現します。
意識レベル500台の人の死後の行き先が天国であることはすでに述べていますが、ここまでの説明で明らかになるのは、天国に入るにはコーザル体のエネルギーが必要であるということです。ただし、天国はまだ地球領域の一部でもあるので、そこではまだアストラル体も必要です。
しかし、天国において存在可能となるアストラル体とは上記のようにコーザル体のエネルギーによって賦活された状態のアストラル体、いわば高次のアストラル体です。これがアストラル界と天国(有形の天界)の違いとなります。天国はアストラル界よりもエネルギーが高く、普通のアストラル体(低次のアストラル体)ではそこに存在することができないというわけです。
意識レベル600を超えると、コーザル体のエネルギーはさらに強まり、転生体のなかにコーザル体エネルギーのボディが形成されます。このボディは意識レベル500台ですでに形成がはじまるので、正確にいうと意識レベル600でそれが完成するということです。グルジエフはこのボディのことをコーザル体とみなしていたようですが、コーザル体そのものはより高次の存在として最初から存在しています。このボディはコーザル体のエネルギーを反映した存在形態ですが、コーザル体とは分けてみるべきでしょう。
なお、ここで述べているコーザル体のエネルギーによるアストラル体の高次化や最高次の体の結晶化については、見かけの現象としてはそのようなことが起きますが、本来はすべての人間が潜在的に持っているものであり、新たに獲得するなにかではありません。自我が自らを行為者であると錯覚し、それゆえ高次の自己であるコーザル体とのつながりを見失っている状態が回復するということがこのプロセスの本質的な意味です。
さて、意識レベル600以上の人物が死後に行くのは無形の天界です。ここは高次の天界であり、神界とも呼ばれますが、この領域はもう地球領域の外となります。つまり、この領域においてはアストラル体はもう役に立ちませんし、そもそも輪廻転生を解脱するのですからアストラル体は不要となります。ですから、おそらく意識レベル600以上の人物は肉体の死と同時に、アストラル体も捨てるはずです。アストラル体を捨てると同時に、コーザル体のエネルギーでできたボディで高次の天界へと行くわけです。
サイケデリクスによるアストラル体験について
さて、次の話題にいきましょう。前編でほんのすこしサイケデリクスについて言及しましたが、これについてもすこし補足します。
博士によれば、サイケデリクスを含む薬物の使用によって一時的に意識レベルが高揚するケースでは、経験可能な意識レベルの上限は600だそうです。ということは、サイケデリクスによるインナービジョンにおいて覗き見ることができるのは低次アストラル界から有形の天界までであるということになります。
もっとも、上限が600といっても、サイケデリクスを使用する人の意識レベルがそもそも相応に高くなければそのような領域を垣間見ることはできないでしょう。むしろ、遊び半分でサイケデリクスを使用する人々が往々にして経験するバッド・トリップとは主に低次アストラルに干渉してしまうことが原因と考えられるので、サイケデリクスの安易な使用は本当に危険です。仮に安易でなく慎重であったとしても、絶対にやめておいたほうがよいです。最悪の場合、地獄のエンティティに憑依されてしまいますよ。
わたしの場合、意識レベル500には満たなかったであろう若い時期には明らかにアストラル領域と思える世界のビジョンを経験しましたが、幸い危険なことはありませんでした。いま考えると、それはアストラルでも高次のアストラル界だったのでしょう。後になって、2015年から3年間くらいの時期に経験したのはすべて天界でした。アストラル界と天界はまったく違います。サイケデリクスで垣間見ることのできるアストラルや天界は、人間の死後に行く "あの世" や "天国" とは別の世界ですが、それでも同じ意識レベル領域ですから、雰囲気も同じようなものでしょう。ちなみに前回と今回の記事のタイトル画像としてお借りした絵はいずれもアストラルの雰囲気をよく表現しています。天界は光に満ちていて、神聖な世界でした。
参考として書きましたが、こうした経験ができたことは単に運がよかっただけです。意識レベルを成長させるためにサイケデリクスを経験する必要はまったくありませんし、むしろその試みが成功することはほとんど稀です。そうでないのなら、ヒッピー・ムーブメント当時のアメリカには聖者が群れをなしていたはずですが、そんなことはありませんでしたね。わたしがそのような経験をしてきたのは、こうしていま意識の多様な様相をお伝えする語り部となるために必要なことだっただけで、それ以上の意味はないといまでは考えています。
魔術について
魔術そのものについては、わたしはあえて研究を避けてきました。そうしてはいけないというインスピレーションがあったからです。それがなぜなのかについても深く考えたことはありませんでしたが、今では分かっています。
魔術(黒魔術)というものは、要するに特定のアストラル界へと干渉し、そこにいるエンティティと契約したり、その領域のエネルギーをこちら側の世界に引っ張り込む術です。その術の中身となる儀式や呪文や魔法陣といったものがどのようにしてもたらされたのかは分かりませんが、おそらく、最初はあちら側から人間に接触してきたのでしょう。読んだことはありませんが、魔導書の類に書かれている悪魔という存在は、そんなアストラル界のエンティティであると考えられます。
こうした悪魔的なエンティティが存在するアストラルは人間に知られているだけでも一つや二つではないでしょう。西洋魔術やアフリカの呪術、日本だと陰陽道など、関わっているアストラル界とその意識レベルはそれぞれ違えど、本質的にはどれも同じです。それぞれのアストラル界ごとに、契約の仕方や力を呼び出す方法が異なるだけです。なかでも西洋魔術が接触するアストラル界は強大で、この世界の力は遥か昔より、魔術を経由しなくても人間にネガティブな影響を及ぼし続けているように思われます。言うまでもないことですが、このような魔術や呪術の類に関わってはいけません。自らを危険に晒すだけでは済まないですよ。
一方で、ホワイトマジック(白魔術)という言葉もあります。これについても特に調べたことはないので、実際の白魔術がどのようなものかは分かりませんが、黒魔術がアストラル由来の力であるなら、白魔術は天界由来の力なのかな? という想像はできますね。ただし、わたしが思うに、白であれ黒であれそのような力を行使しようという動機は統合的ではありません。力を行使するということは、自らを行為者であるとみなしているわけですから、こういった動機の意識レベルは少なくとも天界と呼応する500台には達していません。そう考えると、白魔術が仮に善意のマジックであったとしても、その力のソースは高次のアストラル界であると考えられます。黒魔術は当然ですが、低次アストラル界すなわち地獄とつながっています。
ということで、白魔術にも関わってはいけません。ちなみに、いわゆるシッディと呼ばれるある種の超能力を持つ行者やグルがいると言われていますが、そういう人が本当に居るにせよ、そのような力を持っていることが知られているということは力を行使することで自分を特別な存在であると知らしめたいという動機を隠しきれていないわけですから、そうした人物の意識レベルは相当低いです。また、そうした力が魔術同様、低次のアストラルに由来している可能性はかなり高いとわたしは思っています。本物の覚者、賢者はどんな力も行使しません。なぜなら彼らはすべての行為を神に明け渡しているからです。
さて、そろそろホーキンズ博士の記述を引用、しようと思ったのですがここまでですでに結構な文量となってしまいましたので、今回を中編とし、残りは後編として次回の記事でお届けしたいと思います。お読みくださってありがとうございました。
おまけ
言うほど上手でもない。