![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/144280474/rectangle_large_type_2_5c680d911dea575d7b527d3dc193fab3.png?width=1200)
質問箱への回答㉖『夢を見ているのは誰か?』
生まれてはじめてファラフェルなるものを食べました😋あれはとてもよいものですね。たいへん美味しゅうございました。写真は食後にいただいたピスタチオバクラヴァというお菓子です。これがまた、どういう味というより甘ければいいんでしょう? だってスイーツですものね? という感じで最高でした。
![](https://assets.st-note.com/img/1718538952301-l38MX43RV3.jpg?width=1200)
さて、今回いただいたご質問はこちらです。
![](https://assets.st-note.com/img/1718539179498-99i2sIkQMS.jpg)
夢とは結局なんなのか? ということについては現代の科学においてもまだまだ分かっていることの方が少ない状況です。わたしも夢見については昔から一定の関心があって色んな本を読んできましたが、率直にいうと夢について書かれた本のほとんどはしょうもないです。
なんでかというと要するによく分かってないものについて自分(学者や研究者)はこう思うということを言っているだけに過ぎないからですね😆ですのでこうした本をいくら読んでもほとんど得るものはありません。
そういう意味でいえば、わたしも夢については分からないことがたくさんあります。けれども、この10年くらいで経験した自分自身の意識レベルの上昇に沿って夢見の経験がどのように変わっていったかということや現在のわたしが知覚している現実から、今回のご質問についてであれば正確に回答できると思います。
それでは早速みていきましょう。
まず大前提として考えていただきたいのは『誰が夢を見ているのか?』ということです。目を覚まして活動しているとき、ほとんどの人はその活動の主体は「自分」であると思っています。「自分」とはつまりエゴ(自我)のことですね。このエゴが偽りの主体(つまり幻想)であることについてはここでは説明しませんが、エゴが幻想であるのなら、エゴが経験しているつもりの現実はある意味「夢」であると言うことができます。
つまり、エゴと一体化した状態の人は目覚めながらにして夢を見ているわけです。グルジエフはこの状態を「眠り込んでいる」と表現していましたが、まさにその通りです。
さて、起きたまま夢を見ているエゴは夜になると床につき、今度は眠りのなかで夢を見ます。すなわち、起きている時であれ就寝中であれ、エゴは夢を見ているのです。言い換えると夢を見るのがエゴの機能なのです。
人間の脳は臨場感を感じるものを現実だと認識するのですが、脳が現実だと認識しているからといってそれが本当の現実だというわけではありません。ここまで述べてきたように、人間のエゴが現実だと思っているものは実は夢であり幻想であるわけなのですが、それはそもそも脳がそういう機能になっているからなのです。
ちなみにエゴというと基本的には人間の精神の一側面としての「自我」のことを指す場合が多いですが、実際には肉体も自我の一部です。また、自我が一体化しているもの、例えばその人の名前であるとか、地位であるとかいったものも自我の構成要素です。ですからエゴといった場合、その中にはその人の脳も含まれているものだと考えてください。そうすると、いずれにしても夢を見ているのはエゴだということになりますね。
もういちど言いますが、夢を見るのはエゴの基本的な機能であり、エゴは常に夢を見ています。起きているときも夢を見ていて、眠っているときも夢を見ています。エゴが夢を見ていないのは深い熟睡時だけです。
以上を踏まえて先に進みましょう。
眠っている時に見る夢にはいくつかの種類があります。一つは起きているときに経験したことに関する連想からはじまるエピソードです。これはもっとも頻繁に見られる夢ですが、こういう夢のなかでの自分(エゴ)は起きているときのエゴとほとんど違いがありません。こういう夢は肉体の眠りが浅い時間帯に見るのですが、起きているときに経験したことやそこから受けた印象などは肉体に紐づく形で記憶されているため、こういう夢のなかではたいていその日に起きたことやここ最近ずっと考えていることなどがよく出てきます。また、自分の名前を覚えていることも多いです。
さきほども書きましたが、こういう夢での自分は起きているときの自分とだいたい同じなので、感情の表現の仕方や、物事への反応の仕方もあまり変わりません。つまり、普段から怒りっぽい人はこういう夢のなかでも怒りっぽいですし、怖がりな人はやはり怖がりです。
その人が怒りっぽいとか怖がりだというのは、その人のエゴが怒りや恐怖といった感情と容易に一体化しやすいという性質を持っていることを示しています。ただ、一体化しやすいのが怒りであるか、それとも恐怖であるか、あるいは性欲であるか、といったことはエゴの形(個性)の話であって、問題の本質はなんであれ一体化しやすいということです。
なにを言っているのかというと、こういうことです。
つまり、夢の中に出てくる自分(エゴ)の形が起きているときのエゴの形と同じであれば、起きているときのエゴが怒りっぽければ夢の中のエゴもまた怒りっぽいということです。しかしながら先に夢にはいくつかの種類があると言いましたが、ほかの種類の夢においては、エゴの形が異なっている場合があるのです。
これは肉体が深く眠っているときに見ることが多い夢ですが、エゴと肉体とのつながりが薄れると、アストラル体とメンタル体を通じて、コーザル体のレベルにある様々な転生における記憶が夢見中のエゴに流入してくることがあります。こうした別の人生におけるエピソードの断片は現世のエゴの持っている知識によってこの人生と関連するなにかであると解釈されてしまうため、それを別の人生、つまり過去生だったり未来生のものであると気づくことはほとんどありませんが、まったく知らない世界が舞台だったり、エピソードが荒唐無稽であるような場合はたいていこういうパターンの夢です。
こういう夢についてはわたしも詳しく語るほどは知りませんが、言えることは、そこでの自分(のエゴ)は普段起きているときの自分とはちょっと別物であるということです。エゴの形が異なっているわけなので、普段のあなたが怒りっぽいからといって、この夢におけるあなた(厳密にはあなたとは違いますが)が怒りっぽいとは限りません。
意識レベルが上がるということは、エゴとの一体化の度合いが下がるということです。意識レベル500未満の人々はほぼほぼずっとエゴと一体化していて、なおかつ一体化していることに気づきがありません。
そしてともかく、こうした人々が夢を見る場合、前者の夢のなかでは怒りっぽい人は怒りっぽく怖がりの人は怖がりですが、後者の夢のなかでは怒りっぽくなく、また怖がりでもない可能性があるのです。後者の夢のなかでのエゴが例えば嘘つきであったり、ひどく怠惰であったなら、この人は自分が嘘つきだったり怠惰であるというような内容の夢を見ることになるでしょう。この人が目を覚ました時にその夢を覚えていたとしても、別のエゴの夢を見ていたのだとは理解できず、夢の中での自分は普段の自分と違っていたなという風に認識することになります。
ポイントは意識とエゴが一体化しているかどうか、そして一体化しているならどれくらい一体化しているかということなのです。
意識レベル500の上部までくると、人はエゴとほとんど一体化しなくなります。こういう人は起きているとき、もちろん怒ったり怖がったりはほとんどしませんね。でも、この人の肉体精神機構に怒りや恐怖といった感情が現れないのかというと、そうではありません。肉体精神機構が経験して蓄積してきた心の反応の仕方の傾向のことをヴァーサナーと呼ぶのですが、このヴァーサナーはその人の意識レベルが飛躍してもしばらくは残ります。
ですからそれまで怒りっぽかった人が突然意識レベル580まで飛躍したとしても、その人の肉体精神機構には相変わらず怒りの感情はしょっちゅう湧き上がります。ただ、その人はこの怒りとはもはや簡単には一体化しないので、怒りを表現することはほとんどなくなります。そして、怒りが起こっても表現しないということが繰り返されているうちにヴァーサナーはやがて消滅し、いずれは怒りの感情自体が現れてこなくなっていくでしょう。
この人が夢を見た場合、それが前者のパターンの夢であれば当然、夢の中でもこの人は怒らないし怖がりません。後者の夢の場合、その夢に出てくるエゴが仮に嘘つきで怠惰であったとしても、やはりこの人はそれらの性質とは一体化しないでしょう。ただし、嘘をつこうとする思考や「めんどくせー」といった思いがエゴに現れてくることは経験するかもしれません。それはその夢に出てきたエゴの中にあるヴァーサナーの問題です。そして繰り返して言いますが、実際に嘘をついたり、怠惰に振る舞ったりということはたとえ夢の中であったとしてもありません。
このとき、この人が目を覚ましてその夢を覚えていたなら「ああ、あれは起きているときのとは違うエゴ(の見ていた夢)だったんだな」ということが理解できるでしょう。
整理すると、起きている時も眠っている時も、常にエゴは夢を見ています。そして、エゴにはヴァーサナーがあり、このヴァーサナーを原因として感情や思考が出現するのですが、意識レベルが相対的に低いとこれらの感情や思考と一体化してしまい、意識レベルが高ければ一体化しないか、あるいは一体化したとしてもすぐそのことに気づき、一体化を解くことができます。そして高い意識レベルの領域において感情や思考と一体化しない(=表現しない)ことを繰り返しているうちにヴァーサナーが消滅し、(特にネガティブな)感情や思考の出現そのものがなくなっていきます。ここまでの話は起きているときの夢でも眠っているときの夢でも同じことが言えます。
ただし、眠っているときの夢の場合には、その夢を見ているのが普段の(エゴとしての)あなたとは別のエゴである可能性があります。普段のその人のエゴが怒りっぽいとしても、この夢のエゴは怒りっぽくないかもしれません。しかし、そのエゴの個性がどんなものであれ、いずれにしても意識レベルが高ければ(500上部以上)その個性とは一体化しないので、夢の中でネガティブな感情を表現したりネガティブな言動をしたりすることはありません。
ご質問については、以上ですべてお答えできたかなと思います。でも、夢の種類は実はこれだけではないんですよね。わたしもすべてを把握しているわけではありませんが、高次元の存在がなんらかのメッセージを伝えるために夢の形式を利用してくることもありますし、この同じ現世において繋がりの強い人どうしの間では、眠っている間の夢を通じてコミュニケーションが行われていたりもします。
そうした特別といってよい種類の夢においては、ここまでわたしが述べてきたことが当てはまらない可能性もあるということは頭に入れておいてください。
最後に、もう一度お伝えしておきますが、起きているときの夢と眠っているときの夢は、どちらも夢であるという点においては、まったく同じです。このことについて熟考されることは、理解を進めるうえで非常に役に立つことでしょう。
それでは今回はここまでになります。お読みいただきましてありがとうございました。
【おまけ】
好きな曲はと聞かれたら真っ先に頭に浮かぶのが久保田早紀の「異邦人」なんですが、異邦人は名曲であるがゆえ多くの人にカヴァーされています。それで色んな人が歌う異邦人を聴いてみるのですが、どれもそれぞれ味わいがあってなかなかよいです。そんな中でもああーこれはいい!という感想しか出てこないのが宮本浩次さんのこれです。宮本浩次はいいぞ。
いいなと思ったら応援しよう!
![BLACK](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/6715845/profile_0a40ab84305feec7b82ac55d650d930f.jpg?width=600&crop=1:1,smart)