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アストラル界 について(前編)
最近はあまりそういう感じでもないのかもしれませんが、夏といえば怪談、夏といえばオカルトというのは、わたしの子どもの頃は風物詩となっていました。だからというわけではないのですが、今回は人類にとって危険でもあり、かつ実は身近でもあるアストラル界についてホーキンズ博士の『 I <わたし> 真実と主観性』から引用させていただきながらお伝えしたいと思います。
アストラル界とは?
そもそもアストラル界とはなんでしょうか? アストラル( Astral )という言葉は「星の」とか「星の世界の」といった意味があるのですが、アストラル界といったとき、それは星幽界と呼ばれることもあるように、この星、つまり地球に由来するなんらかの世界の呼称となります。
そもそもわたしたちが "世界" と呼んでいるこの物質的な世界は、意識が創造した無数の次元のなかの、わたしたちが肉体と呼んでいる存在形式によって知覚される、ほんの小さな領域に過ぎません。この領域がどのようにして創造されたかはわたしにも分かりませんが、少なくとも言えるのは、この領域は "人間型の魂" の領域であり、人間型の魂はこの物質領域のほかにいわゆる "あの世" と呼ばれる領域を創造し、これらの領域を行き来することによって輪廻転生というプロセスを経験しているということです。
"あの世" とされている領域はさらに "天国" "高次アストラル界" "中間的なアストラル界" そして "地獄界" に分類されますが、人間はこうした領域では肉体を手放したあとに残るボディ、すなわちアストラル体として存在しています。アストラル体は肉体を持っているときにも肉体と重なりあって存在しているのですが、これが意味しているのは、地球という世界に存在するためには地球世界に適したアストラル体が必要で、さらに地球の物質界に存在するためには地球世界に適した肉体が必要であるということです。つまり、アストラル体や肉体は、その星の環境によって異なるということになります。
また、このことから、物質界であるわたしたちのこの世界も地球のアストラル界のうちの一つであることが分かります。要するに、ある星があって、そこにさまざまな次元の世界が存在しているなら、そのすべての世界がその星のアストラル界であるということになるわけです。が、ここではあくまでこの世界からみた異なる次元、異なる世界という意味でアストラル界という言葉を用いていきます。
さて、おそらくほとんどの人が知らないか、正しく理解されていないであろうことをまず述べておきます。それは、地球には無数のアストラル界が存在しているということです。
アストラル体と一体化しているなんらかの存在がいる世界がアストラル界です。人間領域はそのうちの一つに過ぎないのです。人間領域においては人間型の魂やそれと類似した、あるいは親和性のある動物や植物の魂が物質的な肉体や植物・微生物の体を利用していますが、他の領域においてはこれらとはまったく異なるタイプの "霊体" が存在しています。そうしたエンティティは、魂といえるものではないようですが、詳しいことはわたしにも分かりません。ただ、なんであれそのようなエンティティも存在形態としてはアストラル体です。もちろん、人間のアストラル体とは別物でしょうが、それでも地球に適合したアストラル体となります。
このような無数のアストラル界には、人間界とはまったく無縁な世界もあれば、人間界に干渉することが可能な世界もあります。これはいわゆる周波数的な考えでいえば、なんらかの意味において波長が近いか遠いかということなのだと思われますが、いずれにしても基本的にはそれぞれの世界は隔絶されています。人間がほかのアストラル界のことをほとんどなにも知らないように、アストラル界の存在たちもまた、普通はほかのアストラル界のことについてはなにも知らないと考えてよいでしょう。ただ、例外的に他の世界に干渉したり、覗き見したりすることができる場合があるようです。人間もある種のサイケデリクスを用いることによって他の世界を垣間見ることができますから、そのような能力をもった存在がいても不思議はありません。
人間のためのアストラル界(あの世)
さて、ここからはまず人間のためのアストラル界である "あの世" についてみていきましょう。興味深いことに、博士によると、アストラル界の意識レベルは 0 ~ 499 までであるということです。ここで表を用意しましたのでご覧ください。
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人間が肉体を手放したあと、つまり死後に行く世界は、その人の生前の(死の直前の)意識レベルによって決まります。
200未満の意識レベルの人は死後に低次のアストラル界に行くことになります。この世界はまたの名を "地獄" といいます。
200 ~ 249 までの人は中間的なアストラル界(本では "内的な" アストラル界となっていますが、おそらく訳語としては中間的なアストラル界のほうが適切だと思います)へと旅立ちます。
生前に 250 ~ 500 の意識レベルであった人の死後の行き先は、高次のアストラル界とされる場所です。この領域は基本的には善良ですが、苦しみも少なくありません。ここまでが死後の行き先(=あの世)としてのアストラル界です。
501 ~ 599 の意識レベルに到達した人が死後に行くのがいわゆる "天国" とされる世界で、ここは形のある天界です。天界領域はアストラルとは異なる領域です。博士によれば、イエス・キリストが説いた "救済" とはこの天国へと行ける意識レベルへと人々を飛躍させることでした。500 ~ 539 でも天国には行けるのですが、このレベルはまだより低いレベルへと転落してしまう可能性があるため、具体的にいえば救済とは意識レベル 540 を超えることです。ちなみに、わたしがこの note やブログ in SPIRE で記事を書いている目的も、読者の意識レベルを 540 へと導くためです。
ちなみに博士はアストラルの上限は500であると明記しているため上記のような区分を採用しましたが、わたしの個人的な意見では、意識レベルがちょうど500の人の死後の行き先は天国だと思います。
天国は喜びに満ちた領域ですが、実はまだ輪廻転生のなかにあり、苦もわずかながら存在します。形というものは無常なので、形があるということはそこには微妙ながら苦があるということです。しかし、苦しみの多いアストラル界からは脱しています。
意識レベル 600 以上の人物の死後の行き先は無形の天界(高次の天界)です。形のない天界へと移行することが意味しているのは、この人はもう輪廻転生を終えたということです。すなわち、"解脱" というのはこのことです。イエス・キリストが "救済=540以上" を説いたのに対し、仏陀は "覚醒(=600以上)" を説きました。これはイエスが喜びにフォーカスし、仏陀は苦をなくすことに焦点を置いたということであって、どちらが優れているとか正しいとかいうことではありません。
高次の天界を神界と呼ぶ場合もありますが、神といってもそれはわたしがワンネスの呼び替えとして用いている神という意味ではなく、いわゆる高級神霊とでもいうべき存在たちの世界だということです。啓示や預言といったものはこの領域からもたらされます。また、イエス・キリストのようなアバターもこの領域からあえて受肉してくるとされています。
以上が人間の死後の行き先についてですが、本質的にいえば死後に別の世界へと移行するというより、肉体を失ったことによって存在形態がアストラル体のみのものとなることで知覚される世界が物質世界からそれぞれの行き先へと変わるだけのことです。つまり、死後に地獄へと行く人は生前にも地獄を生きているし、意識レベル500台の人は生きながらに天国を経験しているわけです。生きているときの意識レベルに応じた領域を経験するのですから、「これだけ苦しんだんだから、死んだらきっと天国に行けるはず」という考えは誤りです。ましてあの世では物質世界のようなさまざまな経験を積んで意識レベルを成長させることが困難ですから、次に転生するまでは前回死んだときと同じレベルの苦しみをあの世で味わい続けることになるでしょう。
アストラル界は実在している
それでは、ここからは博士の言葉を引用しながらアストラルについてより深くみていきましょう。
Q:いわゆるアストラル界についてもう少し説明していただけますか?
A:無限の宇宙が、無限の領域や次元に存在しています。この世界は、「創造」の表現の一つの可能性にすぎず、わたしたちはそれを人間的な立ち位置の視点から物質世界と呼んでいます。わたしたちはこの世界を、人間の生得の自我(自己中心性)とともに、人間的な立ち位置からそれが現実であると認識しているので、他の宇宙はファンタジーか非現実であると認識するのです。
これは先ほどわたしが書いた説明とおなじことです。とにかく、世界だとか領域だとか次元だとかいったものは無限に存在していて、わたしたちが世界だと思っているものはそのうちの一つでしかないということですね。あらためてポイントとして押さえておく必要があることは「異次元や異世界といったものは本当に存在している」ということです。あるかもしれないし、ないかもしれないものではありません。それはあるのです。
アストラル界は基本的に "危険" なもの
しかし、今わたしたちはこの不確実な領域を調査するための信頼できるメソッド(※)を手にしています。古代から、数々の聖典はこうした領域を非現実であるとは記していません。むしろ、超自然的なものや他の領域(異次元)を回避するように警告しています。アストラル界は目に見えず、共通の認識によって確認することができないので、ほとんどの平均的な人間にとっては未知の領域です。その領域は、わたしたちには窺い知ることのできないエネルギーや意図を持ったエンティティによって占められています。そうしたエンティティは非常に賢く、意のままに操るために無防備な人間を誘惑します。また低いアストラル界には、弱い人間の意識を "乗っ取る" ことのできる、きわめて危険なエンティティもいます。低い次元には、自分を神聖な存在のように見せかけ、「マスター」、「ババ」、「ブラザー」などの霊的なガイドだと名乗るエネルギーが無数にいます。人間は、肉体のない神秘的なものはすべて "霊的(スピリチュアル)" だと思い込むので、騙されやすいのです。
先ほど、アストラル界の意識レベルは500までであると書きましたが、それぞれのアストラル界は基本的に固有の意識レベルを有しています。これが人間の物質界と異なるところで、アストラル界は非常に狭い幅の意識レベルの世界です。つまり、その世界の存在はおしなべて似たり寄ったりの意識レベルだということになります。人間の死後の行き先が意識レベルによって分かれているのもこのためですが、ということは同じ高次アストラル界といっても、そのなかに無数の階層があるということです。これは地獄についても天国についても同様で、意識レベルがほんの少しでも違うと、死後にふたたび出会うことはないでしょう。
その点でいえば物質界は非常に特殊な世界です。この世界にはさまざまな意識レベルの人間が同居することが可能で、それゆえさまざまな人生ドラマを経験することができ、そのドラマを通して意識レベルを成長させたり低下させたりすることができます。
一方、ほかのアストラル界は意識レベルが固定された領域であるため、その中ではどのような成長もありません。ただし、物質的な肉体を持たないそのような世界のエンティティは非常に長い期間存在しているため、驚くほど賢い場合があります。念の為つけ加えておくと、賢いということと意識レベルが高いということは必ずしも一致しません。むしろ一致しないことの方が多いと心得ましょう。
そのような賢いエンティティが低次アストラル界に存在していて、なおかつそのエンティティが人間界に干渉する能力を持っていたなら、それが人類にとって計り知れない脅威となることは明白ですが、実際にわたしたち人間は彼ら低い領域のエンティティから常に攻撃されています。
以前、これらの記事において意識のフィールドにおける闇の側面として、ルシファー的なエネルギーやサタン的なエネルギーについて取り上げましたが、こうしたエネルギーはそもそも低次アストラル界のエンティティからの干渉に起源をもっていると考えられます。これについて博士の詳細な説明は見当たりませんが、低次のアストラル界に属するエンティティからの干渉によって人間のアストラル界(つまりあの世)の低次領域にこうしたエンティティのエネルギーと同調するアトラクターが形成されたのだろうとわたしは想像しています。
人間は、肉体のない神秘的なものはすべて "霊的(スピリチュアル)" だと思い込むので、騙されやすいのです
これは見落としてはいけないポイントです。霊的な存在にもそれぞれの意識レベルがあると理解しておけば、どんな話も鵜呑みにしてしまうことは避けられます。このあとでも言及されますが、基本的なことをいえばとにかくアストラルは信用しないことです。
アストラルとチャネリング
ところで博士はほかのところで、チャネリングしてくる存在はすべてアストラルであると述べています。チャネリングとは霊媒(medium)の体を通して霊的な存在が語るもののことです。
ということは、わたしが記事にすることのあるバシャールやセスといった存在も、その正体は地球のいずれかのアストラル界にいるエンティティであるということです。彼らが自らをなんと称していても、彼らの交信手段がミーディアムを通したチャネリングである時点でそれは嘘なのです。まあ、嘘も方便といいますから、バシャールのいるアストラル界のことを彼ら自身はエササニと呼んでいるだけってことかもしれませんけど。
こう書いてしまうと彼らは人間でいえば詐欺師のようなものなのだろうか? と思われるかもしれませんが、これまで解説したとおり、アストラル存在の意識レベル上限は500です。そして、高次アストラル界と呼ばれる領域に属しているものは、それが人間であれ別の領域のエンティティであれ、善良であるということもまた事実です。
問題はバシャールやセスの意識レベルがどれくらいか? というところですが、いずれもわたしが思うに意識レベル500にかなり近いところにあると思います。それはつまり400台の上部ということになるわけですが実際、彼らは非常に賢く、またこの物質界を外側から多大なる関心をもって非常に長い時間観察してきたのでしょう、人間世界について人間を遥かに凌駕するほど多くのことを知っています。400台の動機は理性であり、その行動原理は知的な探求ですから、これは合点の行くところです。
ですので、バシャールとセスに関していえば、彼らが人間に接触してくる動機は善意であり、そのもたらす情報はおおむね有意義であると言えるでしょう。ただし、自らの出自を偽っているなど嘘も紛れ込んでいますし、例えば悟りについての知識は間違っています。なぜなら、彼らは固有の意識レベルの領域に存在するエンティティであり、人間のように悟りを経験することはないからです。
同様に、日月神示をもたらした霊も高次アストラル界のエンティティだと考えて然るべきでしょう。高次の天界にいる本当の高級神霊であれば、ミーディアムを介してメッセージを伝えることはありませんし、自らの正体を明かしたり仄めかしたりすることもないはずです。特に、日月神示においては神が自らを祀れと言っていることには注意が必要です。人間が祀るべき神は自己の内なる神、つまり真我のみです。
とはいえ、それでもバシャールやセスと同様、この存在も基本的には善意であると思いますし、人間にとって価値のある情報をもたらしてくれています。ただし、これもバシャールたちと同様、すべて鵜呑みにしてはいけません。人間の自称グルの言うことについてもそうですが、嘘を嘘だと見抜いたうえで、興味があるなら聞くべきところは聞けばよいのです。わたしは日月神示も愛読していますよ。
問題は、というか気をつけなくてはならないのは、チャネリング存在のなかには高次アストラル界だけでなく、低次のアストラル存在も混じっているということです。わたしが読む価値があるものとして挙げられるのはこのバシャールとセスと日月神示だけですが、ほかのものを読みたいのであれば、その際は必ずキネシオロジーテストで「わたしはこの本を読んでもよい」という宣言文を用いてチェックしましょう。テストできる環境がないのであれば、読まないことです。チャネリング本だけでなく、スピリチュアルな教えに触れる際には必ずやることが望ましいですけどね。
さて、今回はアストラル界についての前編ということで、続きは次回にしたいと思います。
おまけ
ただひたすらサハラ砂漠ですが、なかなか興味深いです。サムネイルにあるような不思議な岩山もたくさんあります。なにより、この砂の下にはなにがあるのだろう? と思うとアストラル界よりも気になります。
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