美意識と環境問題
「世界は美意識で競い合ってこそ豊かになる」と言ったのは、デザイナーの原研哉だった。最近「SDGs」とか「持続可能性」「エコ」と聞くと、その言葉を思い出す。
「環境を守る行動は大事です。物は大事に使いましょう。ドライヤーを使う時間が短くて済むので、ショートヘアを推奨します。使い捨てよりも繰り返し使える物を選んで。マイ箸、マイバッグを持ちましょう」
そう言う人がいる。理屈はわかる。そして、そう言われた時点で、なぜその人が言うことが思うように広がらないのかも、なんとなくわかってしまう。人は「これがいいことだからやりましょう」と言われたくらいでは動かないのだ。
自分にも、そういうところがあるからわかる。エコバッグを真面目に持つようになったのは、近くのスーパーが「バッグを持ってきてくれたら2円引き」というキャンペーンを始めたからであって、環境問題への強い関心からじゃなかった。だから他のことも、理由がない限り積極的にはやらない。髪は伸ばしているほうが好きだし、衛生用品に限って言えば、使い捨てのほうが清潔だからそっちを使う。環境に優しい生活はしたいけど、自分の好みや清潔さは犠牲にしたくない。
そんな自分が、唯一、何も言われなくても続けていること。マイ箸は、実はずっと持っている。通っている雑貨屋で最初に買った朱塗りの箸で、修理に出したら少し短くなって返ってきたのだ。店の主人が
「ちょっと削る必要があったから短くなった、普段使いにはもう使わないやろ。でもその柄を気に入ってるみたいだし、捨てるのも忍びないなら、弁当にでも使ったらいいわ」
と言うので、それ以来、箸袋に包まれて鞄の中に入っている。環境のためなんて頭にない。その箸が好きだから持って歩く。そして外食の度に取り出して使っている。割り箸と違って細身だから扱いやすいし、口の中の水分を持っていかれることもない。何より、柄やデザインが気に入ってる。だから使う、だから持って歩く。
個人レベルで「環境のために頑張ろう」と活動するのは限界がある。わかりやすい数字が出るわけじゃない(エコバッグを使うようになったからって、いきなり空気中のCO2が激減するわけじゃない)し、誰かが褒めてくれるわけでもない。「環境のため」だけだと、遠くまでは行けないな、と思う。続かないし楽しくない。
だけどそこに美意識があって「これが好き、これをやりたい、これを持ちたい」という思いがあって、さらにそれが環境保全に役立つ……ということなら、それは続くんじゃないかな。「世界は美意識で競い合ってこそ豊かになる」は、ここに響いてくる。単に「環境のためにはこれが正解です」と言うだけではない、美しくて惹かれるものがあれば、黙っていても人はそっちに引っ張られていくんじゃないか。
怖い顔をして「正しい行動」を探すんじゃなく、自分の美意識を大切にすることで持続可能な世界を作っていけたら、それこそ最高なんじゃない?と思う。好きなことが美しいことが、正しいことでもあるように。「持続可能性」を語るときは、そういう視点を大事にしていきたい。
※原研哉の言葉、出典はこの本だったと思います。