あだ名の廃止、呼び方の話
「あだ名で呼ぶのを止めましょう。お友達を『さん』付けで呼ぶようにしましょう」というムーヴメントが、小中学校に起こっていると聞いて。そういえば、自分が小学生だった頃、隣の小学校がそれをやっていた。
そこは少し荒れている地域──もっと言えば、孤児院から通学している子が一定数いて、地区は全体的に貧しく、幼稚園から中学校までほぼ同じメンバーが進学するために、小さい頃のヒエラルキーを10代前半まで引きずる──だったので、そこの小学校の先生も考えたのだと思う。せめてあだ名を廃止しよう、生徒たちの言葉遣いだけは少しよくなるはずだ、と。
わずかに効果はあったのだと思う。特に女子生徒はその言いつけをよく守り、男子生徒のことを「田中さん」「鈴木さん」と呼んでいた。男子生徒は、ほぼ全員それを無視して名前で呼びあっていた。そして、クラスで少し気持ち悪がられていたり、ひどいあだ名を付けられる可能性のある子は──そもそも名前を呼ばれていなかった。果たしてあれを「治安がいい」と言うのかどうか。
隣の小学校の子たちとは、中学で合流して同じ学校の生徒となった。いかにも「やんちゃ」な男子生徒からつまらないあだ名で呼ばれたときもあったけれど、全部無視していたら向こうが折れた。女子生徒の一部は相変わらず、気に食わない生徒がいれば、そもそも名前を呼ばないという姿勢を貫いていた。
うーん。あだ名廃止は、どこまでいいことなのか。ひとつには「教師がそれを唱えたくらいで従う生徒ばかりではない」、もうひとつには「今まであだ名で呼ばれていた子が、名前すら呼ばれなくなる」現象があって、一概に「教育効果が高い」とは言いにくい……。
あれは何か、根本的なところを取り違えた策だったと思う。当時も違和感はあったけれど、大人になった今ならそれを言語化できる。教えるべきは──たとえそれが綺麗事だと言われても──他人を尊重することだ。それも「気に入らない他人を」それでも尊重する精神のほうが、よっぽど教えられるべきだったんじゃないか。
ある生徒が、ある太った女子生徒を気に入らないとしよう。それでも、相手が嫌がっているのを知りながら「豚花子」などと呼んではいけない。相手が嫌がることをわざわざするのはよくない。他者の尊厳を尊重することのひとつは、相手を蔑称で呼ばないということだ。それは大人になっても同じ。意見の違う相手を、自分の意見に賛同しないというだけで「人間未満」とか「ジャップオス」とか呼ぶのは、他人への礼儀と尊重を欠いた行為だ。
「呼び方」は、いつも結果に過ぎない。