両親の仲が悪いということ
正直これは子供の時にわかることでは無い、大人になった今やっと、実感していることかもしれない。
自分の父は根からの亭主関白だ。
女は家事、外に出て仕事をするのが男、だから家事などは一切手を貸さないし、遊んでもらった記憶も自分にはあまりない。
母がせっせと家事をこなす中、父はいつもテレビを見ながら母に指示をする。それはどれだけ母が忙しそうでしんどそうでも、まるで奴隷を扱うかのような言いようで指示をする。と、感じていたことを今思い出す。
私にとってはそれが普通の日常で、それを違和感としてずっと抱えていながら"これが普通だ"と洗脳されていたのかもしれない。環境はこういった恐ろしさがある。
父は酒癖も悪かった。
母に手をあげたこともある。幼い頃だったので詳細には覚えていないが割れた茶色い一升瓶を思い出すこともある。
父は娘の扱い方も、人の扱い方も知らないのか、幼いながらそんな父を好きになれるはずはなく、いつしか父と認識することすら嫌になっていた。
それでも両親を嫌いになる、ということはどんな理由があっても子供にとっては"悪いことをしている"という認識になると思う。私の場合はただただ母を大事にしない父が許せなかったのだが本来生まれるはずがない、生まれてはいけない感情を持ってしまったこと自体悲しいことなのかもしれない。
そんな時、わたしは母の部屋のごみ箱に入った誰かからの手紙を目撃する。それは母が書いたものか、貰ったものなのかすらわからない。ただごみ箱に捨てられた手紙を見つけた。私はついつい手を伸ばしてしまった。
全部を見た訳では無いが、そこには「関係修復のためにあの娘を産んで、結果的には良かったと思う」といったような内容だった。
関係修復のため?
引っかかった。
父と母がまあ"仲良しな夫婦"ではないことくらいは気付いていた。その関係修復のために私を産んだ?作った?
何故か、悲しかった。
何故悲しかったのか自分でもわからないが、少なくとも自然に愛し合って生まれた子供ではなかったことに、子供ながらにもどこか傷付いていたのかもしれない。
そこで初めて、自分は何故生まれてきたのか、生まれてきてしまったのか、疑問を持つようになった。
さらに言えば、どうして自分が産まれてからも喧嘩は起こっているのか、喧嘩の現場を目撃するたびに自分の存在価値は意味の無いような気がしていた。
一方で母は、私の事を本当に大切にした。してくれている。そして大切にしていると言葉にして心から言ってもくれる。
母は高齢出産で私を産んでいる。その事もあってか、"若いお母さん"ではないことを気にしていた。いつも優しい母が私は好きだった。時に厳しくもあった。
そんな母に「何で父と離婚をしないのか」と残酷にも娘の私が聞いてしまったことがある。
母は嫌な顔をひとつもせず言った、
「まだ小さいあなたが"片親"だったら嫌でしょう?」
母は私を想っていた。母は自分の娘が片親であるという見方をされ不自由な思いをすることになる事態を考えていたのだ。
正直この時は、守られている感じがした。愛情を感じた。だが複雑だった。私のせいで、母は我慢しているのだ、と。
ここまでの記憶は全て、私が学生時代のことである。
忘れていく記憶の中で今書いた場面だけは強く思い出せる。断片的な記憶だ。
そして社会人になった今、自分の性格を見つめ直すことが多くなったと同時に、また比較する対象が増えたのと同時に、よく思い出すようになったのだ。
また、"幸せ"について考える。
幼少期の記憶は、今の自分を作ってしまっている。
凝り固まった自己価値は、自分自身で取り戻さなければならない。その際、人のせいになどしてはいけない、したくない。いや、正直に言えばしたい気持ちと、したくない気持ちが生まれる。経験した者と、そうでない者をどうしても並べてしまうからだ。
自分は、どうしようも無い娘だと思っている。
母に自分の晴れ姿を見せることはまだ出来ないし、自分の幸せを見失ってしまった今、晴れ姿は愚か元気な姿すら難しいかもしれない。そんな自分が嫌になる一方だ。こんなことを言ってしまっているのも言い訳がましいので嫌いだし、どうしようもない。
生まれてきてしまった。
ただそれだけ。
意思もなく生まれ、自分の存在価値など見い出せないまま新しいものを生み出せない自分に嫌気がさしている。
ただ、知ってもらいたいだけ。
そんな自分もここで生きていることを知ってもらいたいだけなのかもしれない。
何となく誰にも言えないような暗い部分を持っている方はいらっしゃいますでしょうか。
最近は、どうやって上手くやり過ごすか、どうやって上手く生きていこうか、悩んでいるところです。