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サナトリックな大波から見えた新たな地平線についての報告書

 はじめましての方ははじめまして。前回のnote以来の方はお久しぶり。Twitterで見る顔だな…という方はこんにちは。メルカです。

 3月、声出しが解禁されて初のばくたん。に参加して「新しい景色を見に行くのって…楽しい!」と再確認した私は、今回のライブも全力で楽しむ覚悟で挑み、そして想像を遥かに超えるものをお返しされて大変なコトになっています。

 ちなみに3月の感想記事はこちら↓です。初note、けっこう頑張って書いたので、ぜひ……。


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 今回のライブ中、名取は「新しい景色」についてしきりに確認していました。それを受けて、今回の記事は私が現地や配信を介して受け取った自分なりの「新しい景色」について自分の言葉で記す、という形を意識しています。

 つまり今回は客観的なレポ少なめ、主観的な感想多めとなっているので、その点はご了承ください。



(ここでイントロが流れる)


 実はライブ前、感想noteを書くなら前回の感想noteとの差別化をどうしようか、と悩んでいました。
 というのも今年のばくたん。の感想の中で自分の名取に対する向き合い方とかそういう諸々については書き切ったな、という思いがあり、ライブと曲の感想だけで(川崎や東京をちょっと観光したとはいえ)記事が書けるのか?それはツイートで足りるのでは……?と考えていたのです。

 加えて、有り難いことにそんな名取とばくたん。への感情を長々と綴ったnoteは沢山の人に読んでもらえたようで、今もたまに反応を頂いております。

 なので、私の「せんせえ」としての自己紹介はそちらを読んでもらって、今回の感想noteは自分語りとか控えめに、もうちょっと軽い感じで書こうかな〜なんて考えていました。






――昼の部で、あの2曲のカバーを聴くまでは。


想い出になんてしてやるもんか

 私は、心に残った作品の感想を残すのも、心を揺さぶる光景を写真に残そうとする理由も、ある意味でその体験を想い出に変えないための足掻きに近い行為だと考えています。(自分語り始まっちゃったよ……)

 自分の手で書いた文章は当時の思考を再生させる助けとなり、自分の手で撮った写真は当時の感動を再現させる引き金となります。音楽もそれは同様で、聴いた時の感情や空気は(個人的には、気温や匂いなどが特に)曲のイメージと強く紐付けられます。

 しかし、そうやって忘れることを先延ばしにしても時間の流れは残酷で、どうしても記憶は薄れていきます。私はその結果を「想い出」だと考えており、自分の文章や写真は「想い出になってしまったもの」と「まだ想い出になっていないもの」の2つに分類されています。

 なんで急にそんな話を始めたかと言うと、昼の部にて披露されたカバー2曲、『アンハッピーリフレイン』と『八月、某、月明かり』は私の過去の体験と強烈に結びついた大切な曲である一方で、最近では時間が経ち、「想い出」になりつつあった曲でもあったからです。

 「想い出」になってしまうとどうなるのか?人によって感覚は違うと思いますが、私の場合聴き返したり、見返したりするのが苦しくなって、でも大切な時にそっと取り出してみると記憶は薄れてるのに感動は再生されて、その懐かしさと喪失感で情緒が不安定になります。端的に言うとヘラるというやつです。面倒ですね。

 そんな面倒な私ですが、サナトリック・ウェーブの熱狂の中で聴いた2曲のカバーは圧倒的に強烈かつ新鮮な衝撃を私に与え、時間が経つにつれ根を張っていた屈折した感情を払拭し、新たなイメージを届けてくれました。

そうだよ、してやるもんか!

 大切な記憶が思い出になってしまうのは不可逆ですが、そこに新たな記憶を重ねることはできる。「想い出」は海馬の奥に仕舞い込むことだけが美しい向き合い方ではなく、定期的に埃を払って次の体験を味わう土台にするのも乙なものだ、と今回はそういう発見を得られた意味でも新しい体験だったと言えるかもしれません。

 だからという訳でもないですが、今回の感想noteでは私がTwitterやその他の媒体に一度書いたような内容も遠慮なく盛り込んでいます。同じことを繰り返し語っているだけだとしても、その時湧き出した感情は何度でも記録していいと最近の私は思います。その過程で変化していくものも、変化しないものも、その人の記録として等しく価値のあるものなので……。


触れられないのに見えてしまって

 また長々と語ってしまいましたが、ここからそれぞれの楽曲についての話です。全部書くと大変な量になるので特に語りたいことが多い曲を厳選しました。
 ……全部書きたかった気持ちもある……!が、このままではいつまで経っても書き終わらないので……!ごめん!


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 まずは昼の部1曲目、名取さな1stLiveの始まりを告げる『惑星ループ』です。

トゥットゥルルットゥ ルットゥットゥル〜!

 いろりのアナウンスとカウントダウンでワクワクが最高潮に達した後のこれ、最高〜〜!!

 『惑星ループ』のカバーは私が名取の声を聴いた最初の動画です。数え切れないほど聴いた曲ですが、ライブで聴く『惑星ループ』はそれでも全く新しい体験になりました。

 大音量のバンド演奏、眩しい照明、ブレる視界に映るステージの名取とサイリウム……
 ライブの醍醐味ってこれだよね!ってのを初手から余すことなく喰らって既に気分は最高潮です。

 今まで言ってませんでしたが私はけっこう目が悪いので(コンタクトは−9)、実はステージ上の名取やバンドメンバーがちゃんと見えるかちょっと心配していました。
 結論から言えばそれは全くの杞憂で、それどころか今回のライブでは現地だから触れられるもの、配信だから見えるもの、その双方が丁寧に用意されて「新しい景色」への導線となっているのが素敵なイベントだったなぁ…としみじみ思います。

 私自身、昼はサイリウム振って叫びながら音と声を聴いて、夜はマルチアングルを行き来しながら演出や会場のせんせえの反応を見て、両方に別の楽しみ方、別の景色があるのはとっても嬉しかったです。


夢見るほどに息切らして

 2曲目は『ファンタスティック・エボリューション』です。確実にライブでやる曲、コーレスも練習していましたが最初の「ヤー!」に反応できなくて悔しい…!次は大声出しちゃる…!

 『ファンタスティック・エボリューション』、歌詞がめちゃめちゃ好き。ひたすら前へ進むことを目指し、とにかく新しいことを志向するポジティブさが全面に押し出された内容でありながら、「履歴書」や「修行パート」といった「過去」のモチーフが各所に散りばめられている所が印象的。

 過去をあえて振り返る必要は無いかもしれないけど、あなたが歩みを進めることそれ自体がこれまでの足跡の証明であり、そしてこれからの足跡の保証でもある。過去、現在、未来は切り離せない連続体であり、その全てが等しく尊いのだ、とそういう優しさを感じます。

 タイトルにエボリューション(進化)という言葉が使われるのも、進化という現象が客観的に劣った過去から優れた未来へ進むものではなく、主観的により良い形になるための滑らかな変化の連続だからではないかと勝手に考えています。

 私もそのように生きたいという気分になる素敵な歌です。


恋の予感は甘い風に乗って

 今更だけど会場いい匂いでしたね。かくいう私もデオコの力を借りて多少甘い香りを纏っていましたが、今まで使ったことが無かったのでデオコの匂いがライブの記憶として完全に刷り込まれることとなりました。ライブの感動を再生したい時にまた力を借りようと思います。

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 『PINK,ALL,PINK!』は今年のばくたん。にて念願の声出しが解禁された楽曲です。私が「名取さな」を応援し、その背中を追いかける大きなきっかけとなった2020年3月の「ばくさん。」とそこで披露されたコーレス無しの『PINK,ALL,PINK!』を思い返すと、本当に遠くまで来たものだなぁ……と腕組みしてしまいます。

 あの日私が暗い自室から幻視した無人のステージは今年のばくたん。を経てサイリウムとコーレスで彩られた映画館へと変わり、そして今回は大音量と眩い照明が織りなす刺激的なライブハウスとなって新たな境地を見せてくれました。

 どんなコトだってできちゃいそうなこの曲、次にどんな景色を見せてくれるのか楽しみでなりません。


深く息を吐き出した。

 ライブ初披露の新曲、『ノーゲスト、イン、ザ、テアトロ。』、作詞、作編曲は鹿あるくさん。以前にはハロー・マイ・バースデイのオープニングなども手掛けておられます。

 名取はこの歌にマイナスな感情、劣等感、そういったモノを込めたと言っていました。そして同時に、そういう感情はみんな(バーチャルであっても)あるけど、それでも!やっていくぞ!という力強い歌でもあると語っています。

 自分の言葉が相手に伝わっているかさえ分からない私たちは、生きていく上で無力感から逃れることはできません。しかし、そこで自分の情けなさやみっともなさを抱えた上で「それでも!」と叫ぶ人こそが一番眩しく、格好良いのだと私は常々思います。


 この記事の執筆時点ではまだ他の方の感想を読んでいないのですが、私が現地でこのタイトルを聞いた時に真っ先に思い浮かんだのは前述した2020年3月の「ばくさん。」でした。

1階席のせんせえは〜…いない!
2階席も〜ありませ〜ん!
いつでもあるのが…インターネット!

【さなのばくさん。〜イベント中止になっちゃったので新3Dお披露目しまスペシャル〜】

 ――「劇場には観客がいない」
 まさにあの時の(私の人生に強く強く焼き付いた)光景です。悲しさも虚しさもかけがえのないものであるならば、あの日名取が見せた涙は今の彼女を照らす光の一粒だと言えるでしょう。

 ……おそらくこの歌は意図して多義的に受け取れるように作られていて、一つのモチーフやエピソードで解釈できるものではないと思います。
 これはあくまで私の受け取り方として、名取から聴こえてきたマイナスな感情と力強さについて言語化したものとして、ここに残しておきます。


この場所はいつでもあなたに守られてきたってこと!

 マジでwowakaやるのは聞いてないって!!(言ってないからね)原キーで歌うのすごすぎ。

 『八月、某、月明かり』が個人的な過去による「想い出」である一方で、『アンハッピーリフレイン』はあの日を境に否応なく「想い出」になってしまった私のような人が他にもいるんじゃないかと思います。
 この曲に限らずwowaka氏の遺した曲はずっと聴いていますが、やはりあの日以前と以後では受け取る感情も異なってしまいます。

 でも、名取の叫びを聴いたときの純粋な興奮と熱狂は全く新しい記憶となり、ライブを終えた後も新たな光景として私の脳に焼き付きました。
 それを上書き保存と呼ぶか別名保存と呼ぶかは置いといて、想い出で味付けされた懐かしい歌に新しい記憶が加わるのは難しく、だからこそとても嬉しいことだと私は思います。

 そんな稀有な喜びを2度も与えてくれた昼の部のセトリには本当に感謝してもしきれません。2連続でぶつけられた時はおかしくなるかと思いました。ありがとうございます。

 余談ですが、ヒトリエも同じEX THEATER ROPPONGIでライブをやっていたことを後から知りました。

 この動画、wowaka氏が亡くなった日に泣きながら見たことを今でも覚えています。……が、名取のライブ会場が発表された時に同じ場所だ!と反応できるほどの記憶力は無く、ちょっと悔しい……。

 という訳で標題は『アンハッピーリフレイン』ではなく『アンノウン・マザーグース』より。

 それにしても、まさか私が5年後に同じ場所で、当時惑星ループのカバーしか知らなかった女の子の声で、新しい彼の音を聴くことになるとは思ってもいませんでした。当時の私に教えたいくらいですが人生のネタバレは良くないのでこれは内緒にしておきます。


口に出してもう一回 八月某日を思い出して

 さて、『八月、某、月明かり』に戻ってきました。標題はヨルシカ『夕凪、某、花惑い』より。これも好きな曲。

 Twitterにも上げましたが、ライブ前夜にワクワクが変な方向へ回転した私はホテルでこんなリストを作っていました。

 今はちょっと更新していますが、ライブ前の時点ではヨルシカの『あの夏に咲け』と『爆弾魔』を入れています。前者は名取の歌声で聴きたい曲筆頭として、後者は完全に私の好みとして入れたのですが、正直どちらも歌う可能性は低いと思っていました。MVも出てないですし。(『八月、某、月明かり』もそう)(でもどれも良い曲なのでみんな聴いてほしい……)

 そして肝心の『八月、某、月明かり』、アルバム「だから僕は音楽を辞めた」の中でも特に好きな曲で、2021年のさなやひクリスマス後に実施されたアンケートにて「歌ってほしい曲」へ入れるか散々悩み、結局入れなかった経緯があります。

(結局何を書いたかはまだ内緒です)

 なんで入れなかったかというと、やはりヨルシカの中でも歌詞が過激で鬱屈とした(さらに言えば、この後音楽を辞める青年の)歌を名取に歌ってほしいというのは私のエゴなのでは?という思いがあったためです。(じゃあ『爆弾魔』はどうなのって感じですが私はあれ前向きな歌だと思ってるので……)

 なので『八月、某、月明かり』は私の中では大好きなんだけど名取が歌うイメージは湧いていない曲、という立ち位置で、ライブで入りが流れた瞬間は本当に衝撃でした。今アーカイブを見直していても都合の良い夢を見ているんじゃないかと思ってしまいます。

 しかし、改めて歌詞を見つつ聴いていると、なんだか2021年に悩んでいた時とは違う新しい印象を受ける部分もあります。

最低だ 最低だ 言葉なんて冗長だ
君の人生は月明かりだ 有りがちだなんて言わせるもんか

n-buna『八月、某、月明かり』

 2023年の「ハロー・マイ・バースデイ」で名取は「本当の自分」を明かしてくれました。それが直接の原因であるかは分かりませんが、2024年に入ると『いっかい書いてさようなら』や『オヒトリサマ』、さらに『地獄でなぜ悪い』のカバーなど、「歌を通してなら言えること」として彼女の人間や言葉に対する主義が伺える機会が増えました。

 それを踏まえた上でこの曲に向き合うと、挫折や別れ、そして死を歌ったエイミーとエルマの物語の1ピースとしてではなく、純粋に想いを言葉にすることの難しさを歌った歌のようにも聴こえます。

 名取の『八月、某、月明かり』は本人も言っていた通り感情がたっぷり込められていて聴くたびに胸がいっぱいになりますが、同じく感情が強く込められたsuis氏の歌声とはまた違った魔力も感じられて、それが聴いた時の新鮮な感覚に繋がったのかもしれません。

 ヨルシカの作品群には爽やかだけど寂しさを覚えるような綺麗な楽曲と、殺意や自暴自棄を歌う毒々しい楽曲があり、どちらも大変魅力的なのですが、私は今まで名取が後者のような曲を歌うイメージを掴めていませんでした。

 それが今回こんなに素敵なカバーが披露されて、驚くと同時にこうした曲をまた歌ってくれるかもしれないと思うとなんだかテンション上がります。

 ちなみにこれは昼の部が終わってホテルに戻る時の私のツイートです。うるさいですね。


……………………。



ソラの果てまで

 ライブ初披露の新曲、2曲目は『ソラの果てまで』!

 『ソラの果てまで』の作編曲は『足跡』の作詞やセトリ全曲(!?)のバンドアレンジを手掛けた森本練さん。


 そして作詞は〜〜〜?

うおおおおおお〜〜〜!!!

 「電波」という言葉が効果的に使われたこの曲、ライブタイトルでありこの曲の初期タイトル案でもあった「サナトリック・ウェーブ」がElectricwave(電波)をもじっているだろうことからも重要なモチーフなのかと推測してしまいます。

 思えば1曲目の『惑星ループ』の歌詞にも「電波」という言葉が入っており、最初のカバーから今日までの記録という意図も込められているのかもしれません。(ここまで書いて現時点で最新のカバー動画が「萌え萌え電波」ソングだったと気づいたのですが、流石に関係ないか……?いや、あるのかも……?)

 それはともかく、「電波」を「何かを伝えるもの」として見立てることで、この歌は名取の伝えたいことを届けることを目的とした歌になっているんじゃないかと思います。

 天気は人の手で操れるものではなくて、鈍色の空がいつ晴れるかは誰にも分からない。けれど、それで諦めて想いを胸に秘めるよりも、雨の中でも歌って、その電波が遠くへ届くことを願う方が良い。なぜなら雲の向こうには常に青空が広がっているのだから!

 ……あくまで私個人の感想ですが、「歌だから伝えられること」や「歌を通じて伝えたいこと」があって、それをやりたい!と言っていた名取が作詞をした『ソラの果てまで』は、私たちにもそのように生きてほしい、というメッセージも込められているように感じました。



 最後に、これは独り言なのですが『ソラの果てまで』の歌詞は私が好きな米津玄師の『ナンバーナイン』や『旅人電燈』、『迷える羊』等の楽曲群に通底する光景を彷彿とさせます。

恥ずかしいくらい生きていた僕らの声が
遠く遠くまで届いたらいいな
誰もいない未来で起きた呼吸が
僕らを覚えていますように

米津玄師『ナンバーナイン』

見つめてるよ ぼくは今も
地球の上で光る星だ
誰もぼくを 知らなくとも
まだ見ぬあなたのために光る

米津玄師『旅人電燈』

「千年後の未来には 僕らは生きていない
友達よいつの日も 愛してるよきっと」
「君の持つ寂しさが 遥かな時を超え
誰かを救うその日を 待っているよずっと」

米津玄師『迷える羊』

 彼の歌う光景はより遠いスケールのものですが、遠い地、遠い未来に私たちの生きた証が届いてほしいという願いと、それが編む世界観は共通している気がします。

 雲の向こうのソラも、千年後の未来に生きる生命も、私たちは直接確認することができません。しかし、見えないから無いのと同じだと思うのではなく、そこにいる誰かを空想し、その「誰か」にとって新しい景色となれるものを残せたら、これほど美しい生き方はないのではないでしょうか。


 ……なんだか途中から米津玄師の話になってしまいましたね。
 私が(短い人生の中ではありますが)作品や発言だけでなく生き様を含めた全てが好きだ、と断言するのは「名取さな」と彼の二人であり、今回の新曲に共通項のようなものを見つけてついオタク語りを披露してしまいました。お目汚しを失礼しました……。




 それでは昼の部、私が現地で聴いた曲については一旦ここまで。
 アンコールの感想は最後に纏めようと思います。







(ダンッダンッダンッ!!  タタンッタ  ダッダンダダンッ!!)


 !?


 あれ!??


 今まで聴いていた『弱酸性ラジオブレイク』は!?!!?


 「全部が臀部に染まる様、一致団ケツ見てみたい――」←これホントやかましい

 『弱酸性ラジオブレイク』をこうやって使うことができるのもライブだからこそで、配信で見ながら笑い転げていました。私も現地で悲鳴上げるやつやりたかったですが、おしりぷり音頭は回避できたのでトントンです()

(何のライブ?)


また明日も晴れるかな?→行く先は晴れたまま!

 ……順番おかしくてすみません。途中でセトリ勘違いしてることに気づきましたが標題書いちゃったので続行します。

 『パラレルサーチライト』、名取のオリソンの中で個人的に泣ける曲No.1、MVが欲しい曲No.1です。関係者様、おねが~い!

 なんて私のワガママは置いといて、この曲は2023年に名取が示した決意と生き様を体現したかのような曲で、聴く度に最後は泣けてきてしまいます。

 私は『モンダイナイトリッパー』と『パラレルサーチライト』が前後編になっているような印象を勝手に抱いていて、名取が病室で見ていた夢の歌とその夢が叶う歌、二つを合わせて「名取さな」という人物の歩みを辿るような感覚で聴いています。

 実際、23~24年の名取の活動を見ていても『モンダイナイトリッパー』時点では夢物語だった旅路の計画が『パラレルサーチライト』以降は可能性に満ちたルートへ発展したように思えて、どちらも彼女のこれからにワクワクを抱かせてくれます。

 さらに言えば、雨の中でソラを想像しながら歌うのも美しいですが、やはり私は青空が好きです。名取のこれからの行く先も、晴れ間の多い空であってほしいですね。

……………………。


アンコール

 改造ライブT(白)名取、ちょっと美少女がすぎます!!アクスタとか出しませんか?関係者様、おねが~い!

 お気に入りなのでまた再掲しちゃいますが、名取のライブTは当日履いてた靴と雰囲気がちょっと似ていて、それも込みで大好きな衣装です。

 昼夜のアンコールは4曲ともライブの終わりにぴったりな曲でしたが、その中でも特に『足跡』は今回のライブの締めくくりとして完璧にハマっていて、私は昼の部の後も、夜の部の後もこれを聴きながら過ごしていました。

 「ライブの終わり、帰り道に聴いてほしい」

 その言葉通り、ライブの喧騒が終わった後のどうしようもない寂寥感の中で、この曲は非日常を惜しむのでもなく、日常へと急かすのでもなく、一緒に帰り道を歩いてくれるような感覚を与えてくれます。

 (特に旅先からの)帰り道というのは不思議な空間です。叶うならばずっと楽しみたい非日常と、いずれ帰らないといけない日常の狭間に必ず存在し、そこを歩く時の私たちはそのどちらにも属せていません。
 そんな宙に浮いた状態で歩く私たちの横を、同じ歩幅で寄り添いながら「楽しい旅だったね」、「もうちょっと楽しもうか?」、「帰ってからも楽しいことがあるよ!」と語りかけてくれるような曲が『足跡』でした。

 『ファンタスティック・エボリューション』にも足跡という言葉が出てきますが、なるほど今の「帰り道」の話は私たちの「現在」にも当てはまるのかもしれません。過去を離れて未来へ向かう道程の中で、ちょっと寄り道したりして新しい景色を見つけながら進むことは過去の味わいを深め、未来の色彩をより豊かにします。

 この曲を聴いて、私たちにもどうかそのように歩んでほしい、今回のライブがそんな帰り道に繋がってほしい、という願いがこもっているような気がした「サナトリック・ウェーブ」の帰り道なのでした。


(ここで退場アナウンスが流れる)

 ここまで読んでくださった方、こんな乱文に最後まで付き合ってくれて本当にありがとうございます。このnoteは私が見た「新しい景色」の報告であり、それ以外の役割は無いのですが、それでもこれを読んだ人が何か別の「新しい景色」を受け取ってくれていたら嬉しいです。

 そして(流石にいないとは思いますが)ライブ観てないけど最後まで読んでくれた人、悪いことは言わないので今すぐアーカイブを買って!そして観て!名取さなの「新しい景色」を目撃しましょう!
 そこであなたが見た景色やその感想も、誰かの「新しい景色」に繋がると私は信じています。



おしまい。

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