雑記な死に目なスピリチュアル
昨日は母の肩を叩くだけの為に実家へ行っていました。
こんにちはメルカです。
このnoteでは日々のちょっと役立つ情報を中心に色々な雑記を発信しています。お暇な方や時間を潰したい方はぜひ読んでってくださいね。
今回は思いつくままに書いてみようと思います。
皆さんのnoteを読んでいて結構スピリチュアルなことを書かれる方も多いんだなぁって思いました。
哲学、自己肯定感を持つやり方、詩、儲け方、自己否定の否定の仕方、後悔のない生き方、霊的、占い、ただただ感情を垂れ流している話etc……
気持ちは分かります。自分もたまにそういう気分になりますから。
…………………
先日、自分は母に会いに行きました。
とある駅で待ち合わせて鎌倉パスタを食べる。
実家へ帰り何時間も話をしながら肩を叩く。
実は自分も母に叩いてもらっていますw
やるだけじゃないってところが普通と違うところでしょうか?
母から提案してくれますし、母は肩たたき上手いですw
まぁこちらは3倍(2時間くらい)は多くの時間と力を込めて叩きますが。
面白かったと思ったYouTubeを見せながら叩いています。
まぁまぁ仲は良い方です。
ただ帰省しているだけなのですが、あえて大した理由や用事もなく帰省しています。
…なぜなら人はいつ死ぬか分からないからです。
自分が不慮の事故で死ぬかもしれないし、母ないしは家族が大事な人が隣人が死ぬことがあるかもしれない。
急に重い話になりましたねw
とにかく二度と会えなくなったその時に自分は後悔するかもしれません。
「もう少し顔を合わせておけば話しておけば良かったかな。」
この未来で後悔している自分にビンタを食らわせることができる今の自分でありたいのです。
今の自分はもう少し顔を合わせることができています。
母の為だけでなく自分の為でもあります。
今、大した理由もなく、家族や大事な人に会えるのは決して当たり前のことではなく行動1つ1つや予定のすり合わせなどの手間を経て実現しているんだと考えています。
コロナの発生初期に自分は介護の職場でこういった場面をいくらか見ました。
面会自粛。
コロナがうつる可能性。
ワクチンも治療薬もない対症療法の状態。
(2021年11月現在はワクチンのみあり。)
コロナ禍ではコロナがうつる可能性から死に目も見れず火葬後の骨のみとしか再会できませんでした。今はどうか知りませんが。
肉のついた顔や身体と最期の対面ができないのは多少なりとも親しい間柄の場合、後悔に耐えません。
コロナに限らず、時に時世のいたずらによりその最後のお別れすら奪われることがあるのです。
後悔しないように動こうとするこの行動原理は「後悔先に立たず」ということわざで説明終了しちゃいます。
日本語って便利ですよね。
仲が悪ければ、意識から忘れているような存在ならばそんなに気にすることもないのかもしれません。
でも仲が悪く散々イジメてきた姑(しゅうとめ)が亡くなった後にご家族とお話した際になんだかんだ寂しい顔をされている嫁さんもいらっしゃいました。
……ぶっちゃけせいせいした顔をした方もいらっしゃいましたが(;'ω')
(自分は介護士としてなるべく亡くなる前の本人様の言動や想いをご遺族に伝えるようにしていました。)
話が逸れてしまいましたね。
結局のところ自分の毎日の行動1つ1つが繋がって今の自分が紡(つむ)がれています。
後悔したくないならルーティーンになっている今の自分を一度冷静に見つめ直してみるのも乙な物ですよ。
気分転換にもなりますし、気持ちのリセットができる可能性もあるでしょう。
たまには特別用事がある時以外普段会わない大事な人と大した用事もなく顔を合わせてみてはいかがでしょうか?
メルカ