妊娠生活を振り返って思うこと
こんにちは、メルです。
改めまして、先日第1子を出産しました。
約10ヶ月という長い期間、お腹の中で赤ちゃんを育てるということは、思っていた以上に大変なことで、幸せな気持ちになる一方で、もう辛い!もうやめたい!と思うことも沢山ありました。
きっとそんな思いも全て、時間が経つとだんだんと薄らいできてしまう気がするので、今日は妊娠期間中に私に起きたことや感じたことを、つらつらと書き留めて起きたいなと思っています。
妊娠初期の悪阻とマイナートラブル
つわりの症状というのは本当に人それぞれです。私のつわりは「吐き(気)つわり」と「ヨダレつわり」がメインで、動きすぎなければ嘔吐まではいかないものの、永遠にえずく、ゲップやヨダレがとまらない、といった症状で、ほとんどご飯も食べられませんでした。
おかげで1ヶ月で6kg減。もともとの蓄えはあったので、問題はなかったけれど身体はフラフラでした。
それに加えて、永遠に止まらない鼻水(妊娠性鼻炎)や抗えない眠気、妊娠性歯肉炎、肌荒れ、思考力の低下などなど、あげればキリがないほどのマイナートラブルに見舞われて、心身ともに疲れ切っていました。
また、初期は特に胎動もまだなく、流産の可能性も捨てきれないため、4週間に1回の検診までは毎日不安に押し潰されそうな気持ちで、過ごさなくてはならず、メンタル面でもしんどい時期でした。
それに加えて、赤ちゃんに病気はないか、私の行動ひとつで何か悪影響を与えはしないかと、常に不安に感じてしまい、「お腹の中で赤ちゃんを育てる」という行為の難しさをひしひしと感じた期間でもありました。
幸いにして、悪阻期間中は休職することが出来たため、とにかく自分とお腹の赤ちゃんにだけ向き合っていればよく、それ以外のストレスを受けなかったということが、私にとってはとても良かった気がします。
また、不謹慎ではありますが、コロナ禍ということでそもそも外出自体を控えていた時期に重なるため、外に出たい/出かけたい、という欲求に苛まれるということもなく、心身ともにしんどい思いはしていたものの、比較的穏やかに過ごせていたのではないでしょうか。
安定期は決して安定期ではない
安定期、という言葉から、私は安定期になれば全てハッピー元気に動ける!と心から信じていました。
しかし実際にはそんなことは有り得なく、初期からあったマイナートラブルに加えて、激しい胎動に悩み始め、徐々に大きくなるお腹のお陰で体の可動域が狭まり、止まらない食欲に怯え、頻繁なお腹の張りから引き続き流産/早産のリスクと向かい合わせな日々でした。
安定期には再度復職していましたが、悪阻休職からの復帰時に、担当医に在宅基本/残業不可で診断書を出してもらっていたおかげで、仕事自体はかなりセーブさせていただけたし、コロナ感染リスクもかなり減らすことができたことは、かなり幸運だったと思います。
もちろん、安定期はバリバリ動けたし働けた!という方も世の中には沢山いらっしゃると思います。でも、これもつわりやマイナートラブルと同様、体調や状態は人それぞれで、スケジュール上は安定期でもつわりが終わってない人もいれば、切迫で入院を余儀なくされる方もいます。
安定期という言葉に惑わされず、その人が今どういう状況なのかを常に見ていてあげて欲しいと、本当に強く思います。
寝れない夜と寝すぎる昼間
後期に入ると、更に胎動が激しくなってきてお腹はぼこぼこ、下手すると肋骨が折れるんじゃないかという程の蹴りをかましてきました。元気に生きていてくれると感じつつも、さすがに可愛いといえる次元ではなく、怒りたくなることも多々。笑
また、夜は恐ろしいほどよく動くし、側臥位になると接地面をものすごく蹴ってきて寝付けないので結果的に仰向けになり、これはこれで腰が痛いしお腹は苦しいため、あまり寝付けず。また頻尿で何度か夜中に目が覚めてしまうことも増えました。
そのため今度は昼間に耐えがたい眠気に襲われることが増え、仕事中は気が気でないし、産休後はとにかく二度寝か昼寝が欠かせませんでした。
歩くのも一苦労だし、寝返りはうてないし、落ちたものを拾うことや靴下を履く動作ですらお腹が邪魔で難しくなってきて、とにかく日々を生きるということに必死でした。
たまに電車に乗ることがあると、多くの人が席を譲ってくれるようになり、そういった優しさに触れるたびに本当に涙が出ました。妊娠前は、席を譲ることに一種の恥ずかしさのようなものを感じることもあったけれど、これからは何があってもマタニティマークやヘルプマークをつけている方、お年寄りの方を見かけたら、お声がけしようと強く思っています。
そして臨月へ
臨月に入るとさらにお腹が重くなってきて、寝返りは全く打てないし、逆に仰向けでは寝れなくなりました。
ひとつひとつの動作は鈍くなり、骨盤がグラグラで歩くのも一苦労だし、1度横になると容易には起き上がれず、骨盤が外れて歩き出すまでに時間がかかるようになりました。
そして何より、もういつ産まれてもいいよという状況になってから、いつ陣痛や破水が来るのか分からないという状況がとてもソワソワするしドキドキするし不安だし…常に気が張っている状態で、精神的にも疲れやすい時期でした。
また、子宮口を開かせたり熟化をすすめるために、よく動きおっぱいマッサージをするように、と言われるのですが、毎日散歩に出かけたり、マタニティヨガや半身浴をしてみたりと色々と挑戦するのですが、いまいち効果があるのか分からないし、何よりも生活が単調で飽きてきてしまいます。
初めは意気揚々と色々な所へ散歩に出かけてみたりするものの、だんだん出先での破水や陣痛が怖くなり、自宅周辺に絞っていくとルートも限られてくるし、景色は見慣れてきてしまって新鮮さもなくなります。
早く産まれてきて~と思えば思うほどに焦燥感に駆られて、実はお腹の中に赤ちゃんなんていないんじゃないかなんて突拍子もないことを考えてしまうようになったり、ものすごくメンタルにくるという訳ではないものの、なんだか気分が上がらない日が増えてしまいました。
結局、私は予定日超過と赤ちゃんが大きそうだという理由から、誘発分娩となり計画的に入院することとなり自宅での陣痛や破水を経験することはありませんでした。
結果的に、常にお医者さんや助産師さんたちがそばに居てくれる状態での出産となったことで、大きな不安なくおさんを進めることが出来たので良かったかなあとは思いますが、少し経験してみたかったなとも感じています。
妊娠期間を通じて、今私が思うこと
妊娠期間を通じて、私はあまりイライラしてどうしようもなくなったり、突然泣いたりといったことはあまりありませんでした。
どうしてだろう、と振り返ると私の場合はほとんどの時間を一緒に過ごした夫が、常に私のことを考えて行動してくれていたからだろうなあと思います。
もちろん、完璧な人間なんていないので、私の願いに対してパーフェクトに答えてくれるわけではないけれど、優しく見守り支えてくれたことが何よりも私の心の支えになったように感じます。
妊娠中はとんでもなく沢山の不安を抱えることになります。そのひとつひとつが全ての人に当てはまるわけではなく、フルオーダーメイドであるために、なかなか周囲の人には全てを理解してもらえるわけではないというのがさらに辛さを増すところです。
そんななかで、1番近くで支えてくれる人が、可能な限り最大限に寄り添ってくれるだけで、わずかでも不安は解消されるように思いました。
私は私の妊娠出産経験を通じて、ダイバーシティ/インクルージョンというものをより深く感じるようになりました。様々な人がいる中で、まずはその違いを認めて、その人が求めていることは何か、自分に出来ることはなにかを常に考え行動すること。それが人と人との繋がりの中で本当に重要なことなんだなと思いました。
そのためにも、しっかり周囲に目を向けていきたいし、小さなことでも気づける人間になりたいと、そう思わせてくれた妊娠出産経験で、母になることで少しだけ人間的にも成長できたように感じている、今日この頃です。
今回も長々と駄文を綴ってしまったけれど、今日はこの辺りで終わることとします。読みにくいところは後日校正修正しようかな。
お読みいただき、ありがとうございました。