便利な世の中を信じすぎないこと
一瞬目にした情報を全てと思い込んでいいのか。
見た目とか第一印象だけで人やものを決めつけられないはずなのに。
良いことで溢れてるから、少しでも悪いことがあれば目立ってしまう。
幸せなはずなのに不幸が強く見えてしまう。
ネットって便利。欲しいものもすぐ手に入るような時代になってる。欲しい情報、欲しくない情報もスルリと手に入る。
でも欲しくない情報は受けないというのも必要だと思うし、ネットにある情報など無数にあるのだから、どれが本当かなんて、ネットという場だけで決めちゃあいけない。
そのことに詳しい先生に聞いたり、人に聞いたり、本を見たり、いろんな方法を用いて照らし合わせ、上手いこと活用しないと、せっかく便利なものなのに誰かを傷つける為のものになったり、自分を傷つけることにも繋がりかねない。
だから思いやりを大切にとか、もう二度とこんなことは起きないように、自分がやられて嫌なことはしないようにって言うのを、何度見てきたか、何度聞いてきたか。
悲しいが何回なんて関係ないのかもしれない。誰が傷ついても、言葉に殺されても、その人の心が死んでも、繰り返されていってしまうのが、この世の歴史というものだから。
平和を望んでいても、まだその願いが届かない場所もある。
自分の心ごとの姿を鏡に写せたなら分かるのだろうか。自分が何をしてるのか、誰かを傷つけていないかが。
でも人を傷つけることで快楽を得るような事は無くならないと思う。虐めていたって、虐めてる人には、自分が虐めてるなんて自覚はほとんど無いと思う。あったらやらないはず。自分がやられて嫌なことなのだから。
傷つけていく人は自覚のないまま、遊んでる感覚か、楽しむ感覚でそうしていると思う。
そこに、なんか楽しそうとか、仲間はずれにされたくないってだけで何も考えずに加わって行く人達が怖い。
ネット社会といえども生身の肉体は現実にある。
ネットに気を取られて肉体を失ったら苦しい。
見たものを一瞬で判断して決めつけるのではなく、まず立ち止まって考えることをしてみようよ。
いろんなものと照らし合わせて、広く視野を持てるようになろうよ。
便利だからといって、全てを信じていいなんて誰も言っていない。
全部いつかは消えてしまうよ。
物も、人の命も。
だから考えて生きていこうよ、何事も。