「感謝」の気持ちを忘れない
みなさんおはようございます😊
めらっちです。
コロナも大変な中だと思いますが、お仕事やご家庭でのお勤めや学習・
様々なことを行なっていて、お疲れ様です。
今日は勝手ながら感謝したいことがあって、
文章を書かせていただきました。
お忙しいと思いますし、たくさんのコンテンツを見ていて、
疲れることもあると思うので、どこか力を抜いて
聴いていただけると嬉しいです😊
1.自己満足な22年間
2. 突然の発熱と「死」と「感謝」の意識
3..もう「不幸」だなんて思わない
1.自己満足な22年間
今、ここから書くことも結果的に自己満足となってしまう
とも思います。
「自分が犠牲になれば、声を上げなければいい」
「頑張っている姿を見せれば、どこか許される」
「できなくてもカバーしてくれるっしょ」
「これ、自分には関係ないよね」
私は一人っ子で、両親に甘えてばかりいきてきた。
何をしても、両親が責任を取ってくれていた。
そこまでならまだいい。
タチが悪いのは、両親が責任を取ってきてくれていることに、
気づいていなかったのだ。
挙げ句の果てに、自分の人生は、
「不幸」だなんて腐って泣いてやがるのだ。
どうかしていた。
自分の人生を自分で「背負う」ことから逃げていたのだ。
「なんでもは知らない、知っていることだけ」
(化物語の羽川翼のセリフ)
そう思い続けていくべきだったのだ。
なんなら、知っているだけでは意味がない・・。
2. 突然の発熱から感じる「死」と「感謝」の意識
6日前(4月24日)くらいからかな。
熱が出たんだ。
12月になってから、熱を出すことが多く、
体調が弱っていたので、その一貫だろうと
思っていて、どこか気楽に考えていた。
でも、4日くらい前から、喉の締まり感と肺の息苦しさを
少しずつ日に強くなっていった。
その時から部屋にこもって、一人で過ごそうと決めた。
息苦しさと発熱や震えなど、
症状の辛さもあったけど、世界でただ一人きりの
孤独のようにも感じることが寂しかった。
震えがとまなかった。
いろんな「人」に依存をしてきたと気づいた。
家族、友人、恋人に全てを委ねてしまっていた。
自分の「意思」が全くなかったわけじゃない。
自分の「意思」の未来の責任を取る前提で、
動いてなかったことに問題があったんだ。
自分の人生は、「自分」のものであり、
「自分の周りの人」のものでもあり、「社会」
のものでもあるんだ。
それを否定する資格は自分にはない。
相手も善意で答えてくれているし、自分もそれを望んだ。
依存だと自覚したことはなかった。
頼ってもいい。全員で前に進めていければ。
そう思おう。
ちゃんと一つ一つのことをこれからは噛み締めて
いきていくんだ。
もっと一日一日を大切にいきていきたい。
もっと一秒一秒を噛み締めていきたい。
だらだらと書いてしまった。
3.もう自分自身を「不幸」だなんて一生思わない
自分で決めてきた人生だから。
過去も今も未来も全部自分で最後は背負う。
責任を取る「勇気」
夢やなりたいものに対して傷つく「勇気」を
少しずつ持てるようになっていこうと思う。
できることから、できないことでも
責任を持って挑戦して行こう。