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愛を撮りたい

私は、写真が好きです。もしかしたら、この先写真をすごく嫌いになる時が来るかもしれませんし、来ないかもしれません。たぶんそれは、わたしにもわからない未来のことであって、今すぐ起きる1時間後や今日のことではきっとないと思いますし、そうでありたいと思っています。できることなら嫌いにはなりたくないです。

写真を撮るということ

私は写真を撮ることを仕事にしています。でも一方で、写真は趣味です。私は、なにかと覚えておきたい大切なこと、すごくすごく大切なことを、すごく大切に大切にしたいのに忘れてしまうときがよくあります。思い出したいのに思い出せない、そんなときが。それは感情であったり、大切な人たちとの思い出であったり、忘れたくないと思った綺麗な景色だったりもします。そういった類のものを人は必ず持っているのかなと私は勝手に思っています。

だからこその愛

私にとって大切なものは、今この場所で生きていると実感できた瞬間であったり、友人が笑ったことであったり、大切な人との思い出だったり、愛おしいと思えた感情だったり、すごく美味しかったものだったり、そんな些細な日常のことです。明日明後日には、忘れてしまうような朝ごはんのことや、一年後にはもしかしたら、残ってないかもしれない、あの人が愛おしいと思えた感覚、二度と同じ時間が訪れないからこそ大切にしたいと思える毎日の窓からの景色。たぶん普段何気なく過ごし、何事もなく笑っている日常に多くの人は記念日をつけたりはしないだろうし、きっと決まり切ったルーチンを過ごして終わっていく人が多いんじゃないかな。だからこそ、その名前ない日常を私は日記という手段ではなく、写真という手段で残していきたいと思っています。

たぶん、愛を撮る

それは、毎日を愛していくということなのかなと思っています。悲しいことがあっても、嬉しいことがあっても、毎日撮り続けることが愛を撮ることなのかなって。もちろん、家族や恋人や友人達の愛情ある景色を残すことも大好きだし、やりたいこと。だけどそれを、毎日することって今の独り身で仕事大好きな私には難しいことだと思っています。私が今できる愛を撮るいう行為、日常を撮るということは、自分自身へ愛を向けることにつながっているんじゃないかなと思ったりもします。愛を撮る。小さな小さなことですが、私は自分自身へ向けて愛を撮ります。それがきっといつかは、友人達や家族恋人たちを撮るということに繋がると信じて。

#コラム #写真

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