私はかわいくなかった
なんか夢みたい。
去年までの出来事が全部幻のように
すごく遠い遠いものみたい。
上京して一年経った。華やいだ街にも馴染めるようになった新宿ではもう迷わないし、
人混みに吐きそうになることも無くなった。活動を休止して気づいたことがいくつかある。
まず一つ目は《音楽以外のことに関しては意外に器用だった》という事。
社交性が高いので何でも上手いとこやれた。
意外と周りと合わせることもできた。
聞きたく無い言葉はシャットダウンできるし
正直ムカつくやつにも超笑顔で話せた。
音楽に関してだけ頑固な故に人との衝突や障害が本当に多かった。だから普通に生きていくには割と楽に生きていけて超びっくりした。
そして二つ目は《お酒はあんまり好きじゃない》と言うこと。
打ち上げやら何やらとにかく飲むことが多かったし、割とお酒は強いし好きな方だと思ってた。
だけどこんな世の中になった今、私パッタリとお酒を飲まなくなった。私が本当に好きだったのはお酒を通して垣間見える、その人の密かな情熱や本質に遭遇することが好きだったのだと思う。
そして三つ目は《外見にそんなに自信がない》いうこと。
私は日頃から自分のことをよく可愛いと表現するし、マジで心の底からそう思ってた。人生で狙った獲物は逃したことは一回くらいしかないし、割と外見で得してきた
と思ってた。
ライブができなくって、歌が歌えなくなって、繰り返す平凡な日常に曲が作れなくてどこにも向かえない青い情熱をひたすらに美容に向けた。正直2020年外見だけはとても綺麗になったと思う。
髪をうっとおしいくらい伸ばした
死ぬほど働いて目一杯おしゃれをした
高ェ化粧品や小顔矯正とかヨガとか
キラキラなコスメで瞼を輝かせて
爪先を光らせて慣れないヒールをはいた
それは煌びやかな街中によく馴染んだ。
それでも全然満足なんかしなかった。
もっと綺麗な人たちを見る度にこんなんじゃダメだから始まり次は歯科矯正や整形とかしたいな?とかもうなんかめちゃくちゃに美の追求が始まった。美しさに終わりなんてなかった。
そこで気づいたことがある。
どれだけお金を掛けて外見を綺麗にしても自分に納得できない理由。
答えは簡単で自分に"自信"がないから
音楽活動をしていた私が胸を張って
自分は可愛いと表現することができたのは
自分は"愛すべき人間"だと
自覚を持って行動していたからだった。
遠征続きでボロボロな肌でも
履き古したスニーカーでも
ギターでボロボロな指先も
それでも私は胸を張って可愛いと言えたのだ
それは紛れもなく私をわかりやすく認めてくれる人達のお陰で胸を張っていたと思う。
私を凛々しくを煌めかせていたのは
高級コスメでも小顔矯正でもなくて
たぶんありったけの"自信"だ。
はっきり言って今の私は歪で全然可愛くない。見てくれだけですっからかんのポンコツ。
凛々しさ、美しさを怪物に食べられんだ
自分を責めるのはもうやめようと思う。
自信を取り戻すには必要なことはなにか
わたしは来年可愛くあれるだろうか
とびっきり可愛くありたいな
めばゑ