「可能性になる」ということ
またひとつ物語をすすめた、という実感が確かにここにある一日。
わたしが選んだことをきちんと公にする一日。
あと5時間で明日になる今日を噛み締める一日。
今までのことは何も間違っていなかったと感じる一日。
求めてくれていた人に対して手を振った昨日。
変化はいつだって流動的で、いつだってこわい。
いつだってこわくて、ぼんやりときらめいて見える。
きらめきに向かって歩むことを決めたとき、
また現実があかるくほのぼのとしはじめる。
たとえわたしにとって重大だったとしても、
他の人にとってそうでないことも世の常だと思う。
わたしがどんなに大きく動こうとも、みんな目覚めて、ご飯を食べて、活動して、ご飯を食べて、眠るのだろう。
だから、デカい自然がすき。
ちいささを等身大80%縮尺くらいで実感したい。
希望でいてくれてありがとう。
わたしはけのびをしている。
けのびをしているあいだに、ずいぶん遠くに来てしまったみたいだった。
まっすぐにけのびをして、ぐんぐん進む。
進んだ先でチャンスの前髪をしっかりとつかんだとき、
それは誰かの希望になる?といいな。
うまくいくかはわからないけれど、
誰にもわからないからこそ可能性のはしくれとして一歩進むことにきめてる。
マイナスなことが書いてある占いがこわい。
こわさのうえでたゆたいながらも、
じぶんの物語をまた一歩進める。
それもまた、一日。
動くことがいつでも希望でありますよう。
願うはそれだけ。