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家庭のバックヤード

台風が、近づいてくる
何度も何度もそのたびに
いろいろな感情や、思いを、いちいち体験するんですが。

8月も終わりかけになってきて
なぜか、自分が「中年期」のいい大人なんだと
わけもなく思い知っている妻木です。

ほら、最近の40〜50代の女性とかって
自尊感情が底上げされているからか
それとも、キャラとしての設定がされてないからか
自分のことを、わざわざ”おばちゃん”って言わないじゃないですか。

でも、日々の考え方の変化や
特に身体の変化は
否応なしに”おばちゃん”を自覚させてくれるんですよね。

いや、そんなことは
わざわざ説明しなくても、みんなそう
ただ、女性としての自分を楽しめるようになっている
そんなかたが多数派で
「中年」という言葉の出番がなくなっているのかもしれないですね。


子どもたちに、手がかからなくなり
離れて暮らす今
夫婦の時間がさらに濃くなり
つい先日も、鼻水ズルズルしながら
自分の感じていること、気持ち、深い思い
そんなものを言語化して
熱とともに伝える時間がありました。
そう、ダンナに。

喧嘩って
いや、喧嘩にもなってない
一方的にブチギレられて
口を聞くのもイヤになって
一緒にいるのに、同じ意識の階にはいない
んーーーー、丸2日ぐらい?

もう、”ただの仲直り”でやり過ごす歳じゃない
感じていること、気持ち”だけ”を伝えるに止まる歳でもない

深い思い

いつも感じてるし
いつも内にあることを自覚はしているけど
話すタイミングのなかなかない
ワタシタチのこと

そして、それは大概
ワタシタチふたりだけの問題にとどまらない
子どもたちはじめ
まわりの人たちに影響していくこと


ありのままの
あるがままの
パートナーをそのまま
受け入れたり、愛するのって
結構度量がいります

そこにいるのは
目の前にいるのは
パートナーであって、パートナーでない

パートナーっていう鏡に映る
ありのままのワタシやから


ブチギレる
無意識的に起こる怒りの
じゃあなんで?そんなに憤慨するのか?って
表向きは、些細なこと

でもほんとは
実に何世代にもわたって
受け継がれてきたような「願い」があるからで

そしてその「願い」ゆえに
困難も乗り越えてきたはずで

でも明らかに
ほんとうに明らかに
その時点で鏡に映る「自分の在り方」では
その「願い」は成就しないわけで


どんなに苦く重い感情も
目の前のパートナーが”感じさせる”のではなく
ワタシタチがすでに”感じている”もの

もしくは、
これまで築いてきた絆の強度に頼って
この世界から昇天したいナニカが
ワタシタチを通っていこうとする時に
感じるもの


ワタシタチのものであれ
ナニカのものであれ
その「願い」が共鳴して共振するから
起こる喧嘩からの鼻水涙ズルズル


「愛しあいたい」
その「願い」は果てしなく
遠い昔からあったから
今さら認識しにくいけど

ただ確かに、ここにあって
ワタシタチを動かしているのです。

そして、セックスにしろ
一見しんどいような、めんどくさいような
深いコミュニケーションにしろ
それらは、いい大人が
見えないところで、大事に営むものなんですよね。


家庭のみならず
もしかしたら、ワタシタチの愛し合いは
世界のバックヤードかもしれないです。
表を創るのは、裏です。


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