水の性 <女性性の捉え直し#1>
水への価値観
時系列にアウトプットできない笑
エヴァインストラクターの妻木です。
まこもたけの収穫が始まって、
諸々やりたいことも、とっ散らかっていて、
脳内カオスです。
「女性の性って水の性」
これは、わたしにとっては、
これからも、もっともっと深めていきたいテーマです。
なので、これからも、きっと続きます。
お付き合いいただけたら嬉しいです。
心理学用語で、「投影」ってことばがあります。
写し鏡、目に見える世界に、
自分が感じることは、
そこに自分が写されているから、感じること。
同じ「セックス」という言葉から、
受け取るイメージや、
引き出される感情が、
人によって違うのも、
”「セックス」という言葉”に写った、
その人の考え方・感じ方・捉え方が、
みんな違うから。
でね。
わたし、水に対する感じ方、考え方が、
熊野に来て、どんどん変わっていったのです。
真菰を育て始める前から、
その変化は始まっていました。
そのきっかけになった、
はじめのインパクトは、
”電気のない生活”を送った経験のある友だちの言葉でした。
電気のない生活、それも、子どももいて、
薪などで熱、オイルなどで光を取る、
家族で送る日常のなかで、
彼女は思ったそうです。
「”湯水のように使う”
っていう言葉があるけどさ、
お湯も、水も、そんなにじゃんじゃん使えないよね、
蛇口をひねったら出てくるものじゃなくなった途端に。
お湯なんてさ、すっごい貴重だよ??」
って。
たしかに。ってわかったのは、
311の同じ年の、紀伊半島豪雨災害の時でした。
それからも、電気は普通に使うものの笑
薪ストーブで暖をとったり、
停電したら、ポンプアップできなくて、
止まってしまう井戸水を使う生活のなかで、
水の重要性というか、
あって、当たり前のもの
から
ないと、命を脅かすもの
そして、
ほんとうに大切なもの
という認識に変わってきました。
水に対する価値観が、
どんどん変わって、
自分なりに、
水を大切にする生き方を選ぶようになってきました。
「そう思う」と、「そう感じる」の違い
アタマでわかっていても、
それに、気持ちも、行動も、伴わない。
ってこと、山ほどありますね笑
お水が、どれほど大切なものか?は、
それが”ない”を実体験してはじめて得られる、
「実感」
があってこそ、
気づける価値観。
わたしの「水に対する価値観」は、
”ない”と”ある”を実感したこと、
”汚い”と”きれい”を実感したこと、
そして、その水の流れや、田畑への影響をみてきて、
視点を上げて、山から海へ広げることで、
どんどん、どんどん!!!
大きくなってきました。
で、まこものお茶や、枕を通して、
”人の中の水”も、
その大きすぎる価値のある水と、
まったく同じもの
という認識が生まれました。
健康におよぼす影響
みたいな視点に、はじめはいました。
でも、多くのかたが知るようになってきたように、
水は、情報を保持する
物質でもあるんですよね。
だから、
水を汚さない、
なんなら、流される汚染を分解する微生物を投入する、
とか、考えつくこと、
とりあえずやってみるんですけど、
そういう物質的なアプローチ以外に、
水に祈りを捧げる
ってことも、たくさんするようになって、
同じ気持ちでつながる仲間も、
どんどん増えてきました。
でも。
視点と視野が広がるのと同時に、
自分に起こってきた、
「自分の中の水」
に対する、違和感。
「水」という物質であること以上に、
”ありとあらゆる情報”が、
いっぱいいっぱいになってしまって、
淀み始めて、流れなくなってきた、
わたしの中の水。
それは、
=わたしの女性性
だったのだと、
今はっきりと実感しています。
ありとあらゆる情報、
それは主に「感情」です。
生命にプラスにはたらく、ミネラルが豊富な水があって、
逆に危機に陥れる、有害物資が含まれる水もある。
のと同じように、
エネルギー的に、プラスにはたらく祈りもあれば、
流れを止めてしまうマイナスな感情があって、
わたしたちは長らく、
時代的に、このマイナスな感情を、
溜めに溜めてきたんですね。
水を大切にする生き方
を選んだ結果、
わたしは、わたしの中の水=女性性
を、いかに大切に”できていなかった”か?
を実感してしまったことになります。
あなたの”いま”を、
ぜひきかせてください。