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黒い年賀状 ~年末年始の挨拶に代えて~
一月一日。つまり元旦。
年末に降り積もった雪はまだ溶けることなく、初日の出に照らされて、キラキラと砂糖菓子のようにきらめいている。
家族に新年の挨拶を済ませ、おせち料理をつつきながら特番のテレビを見ていると、やがて郵便受けの方でカタンと音がする。
年賀状が届いたのだ。
クラスの奴らから。担任の先生から。参加しているサッカーチームの仲間から。一通ずつ確認しているうち、オレはその中に、奇妙なものが紛れ込んでいることに気が付いた。
「何だこれ……真っ黒だ」
確かにオレへの宛名書き。だが差出人の住所と名前が無い。何より裏面、つまり「あけましておめでとう」などとメッセージの書かれている面が、真っ黒に塗りつぶされているのだ。
よく見ると僅かに濃淡がある。
これは……墨?
「何のいたずらだよ。気持ち悪」
と、傍らのスマートフォンにメッセージが入る。近所に住む友達・陸と彰司からだった。
『神社に初詣行かない?』
『俺行く。勇真は?』
オレたちの間で「神社」といえば、ここから歩いて十分もかからないところにある八幡神社を指す。『もちろん行く』と返事を送って、オレはリビングの椅子から立ち上がった。
「いつもの奴らと初詣行ってくる」
「小学生だけなんだから、気を付けなさいよ」
まだ年賀状の選別をしている母さんは、チラリとオレを見てそう言った。
「よう! あけおめ~!」
「寒いねぇ」
待ち合わせ場所に設定していた鳥居の下で、集まったオレたちは挨拶を交わす。
「お年玉、何円もらった? 俺は五千円」
「ぼくはまだそんなに……」
「オレはまだ三千円だけど、そのうち親戚の集まりがあるから。二万円は欲しいとこだな」
文字通り、現金な話題で盛り上がる。が、陸の様子がどうもおかしい。元からやや大人しいところはあるが、それにしても正月に似合わぬ辛気臭さだ。
「お前どうした? テンション低いぞ」
オレが問うと、陸は少し迷う素振りを見せてから、ゆっくりと口を開いた。
「実はさ……こんなのが届いたんだ」
陸がポケットから取り出したものを見て、オレはギョッとする。
真っ黒に塗りつぶされた年賀状。
間違いない。今朝オレのところにも届いたものだ。
「ゲッ、それ……マジかよ」
さらに驚くべきことに、彰司もまた顔色を変えた。
「こっちも同じ。俺宛てに届いた」
「えっ!? じゃあここにいる全員、この気持ち悪りぃ年賀状受け取ったってことかよ!?」
どういうことだ、これは。
しばし沈黙が降りる。
「……ま、まあ、考えすぎだよ」
場を取りなすように、陸が言った。
「ぼくら三人だけに届いた、とは限らないだろ? 誰かがこの辺のポストに、無差別に入れた可能性だってあるし」
それはそれで、何故きちんとオレたちの名前が書かれているのか、という説明にはならない気もするが。
「……そ、そうだよな!」
オレはわざと明るい声を出し、深く考えないようにした。
「新年早々、タチ悪いよな」
「ほんとだよ。ビビらせやがって」
彰司も強がるように足元の雪を蹴りつける。
「そうだ、おみくじ引こうぜ! ここで大吉でも出りゃあ、気持ちもスッキリするだろ!」
オレが言うと、二人も「それは良い案だ」と乗ってくる。
そうしてオレたちは全員で鳥居をくぐり、心持ち念入りにお参りを済ませた後で、三百円のおみくじを引いたのだった。
「…………」
早々に夜がやって来る。積もった雪のせいで車の走行音がかき消され、外は不気味なほど静かだ。
オレは自分の部屋で椅子に座り、ぼうっと机の上を見ていた。
そこに置かれた一通の葉書。言うまでもない、あの得体のしれない黒塗りの年賀状である。
「…………」
胸騒ぎがする。めでたいはずの今日だというのに、どうにも明るい気分になれない。
ぎゅ、と強く手を握り締める。
日中、揃って引いたおみくじ。
その結果は示し合わせたかのように「凶」だったのだ。
と、その時。
遠くからけたたましいサイレンの音が近付いてきた。
救急車だ。音はまさにこの近辺に侵入してきて、窓越しに赤い回転灯すら見えて、そして止まる。
「勇真、大変!」
ほとんど同時に、母さんが階段を駆け上がってきて、焦ったノックの後にオレの部屋の扉を開けた。
「あの、あのね……今の救急車、彰司君のとこなのよ」
――!?
バッ、と俺は立ち上がり、母さんと窓の外の回転灯を交互に見る。
「何だそれ!? どういうことだよ!?」
「さっき、向こうのお母さんから電話がかかって来てね。ものすごく混乱してらっしゃったから、まだよく分からないけど……、」
嫌な予感がする。
聞きたくない。
「凶」と大きく書かれたおみくじがチラつく。
「彰司君……階段から落ちて、頭をひどく打ったみたい」
彰司は結局、搬送先の病院で死んだ。
何かに足を取られたのだろうか、それとも単なる不注意か。ともかく階段の一番上から一番下まで一気に転がり落ちたそうだ。
脳挫傷と首の骨折、複数の打撲。特に脳出血は深刻で、レントゲンに大きな影が写ったという。
「…………」
「…………」
次の日。オレと陸はまた、八幡神社にいた。
何も知らない呑気な参拝客たちが次々にやって来ては、神様に向かって手を合わせている。昨日この群れの中に、オレたちも、そして彰司も確かにいたのだ。
なのに今、彰司はもういない。
存在自体が夢だったかのように、この世からいなくなってしまった。
「……やっぱり、あの黒い年賀状のせいなのかな」
境内の隅に腰掛けて呆けていると、隣の陸がぽつりと言った。
「な……何だよ! 考えすぎだ、って言ったのは陸だろ!」
食ってかかる自分の声は、情けないくらい震えていた。
「アレを出してきた奴が、彰司を呪ったって言いたいのか? ンな馬鹿みたいなことあるか!」
「違うよ」
同じく震えている陸は、ゆっくりと首を横に振った。
「『彰司を』じゃない。きっと……『ぼくたち全員を』呪ったんだ」
「…………っ!」
何も分からない。
どうしてオレたちが、呪われなければならない?
理不尽だ。小学六年生の新年を楽しく迎えて、彰司とこれからもずっと仲良くやっていくはずだったのに。
怖い。こんな時、漫画だったら「霊能力者」とかが現れて、格好良くスパッと解決してくれるはずなのに。
「なんでオレたちが、こんな目に……!」
焦りと恐怖を込めて呟く。
「……勇真。ほんとに心当たりがないの?」
しかし。隣の陸は、そんなことを言った。困惑しているような声色だ。
「ぼく、思うんだ。これは、」
と、その時。びゅうっと木枯らしが吹いた。
神社の隅で結ばれているおみくじがカサカサと揺れ、そのうちの一つが破れて落ち、こちらへ向かって飛んできた。
陸の足元に落ちたそれには。
はっきりと分かる漢字一文字。
「凶」
「あ、あ……わあああああああああーっ!!」
直後。真っ青になった陸の口から、悲鳴が発された。
何事かとこちらを見る参拝者たち。オレが止める間も無く、陸は弾かれたように立ち上がり、何か訳の分からないことを叫びながら走り出した。
「え、ちょっ、おい!」
一瞬固まったものの、すぐにオレも陸を追って走る。
八幡神社を出てすぐのところにある車道。陸はそこを駆け抜けていく途中、あっ、と雪で足を滑らせた。
目の前には大型車のタイヤがあった。
悲鳴。
ブレーキ音。
白い雪が、赤く染まっていく。
一昨日。彰司が死んだ。
昨日。陸が死んだ。
今日、オレは死ぬのだろうか。
階下は騒がしかった。少しずつ集まり始めた親戚が、久し振りの再会を喜び合っているのだ。
いつもならオレも、何でもないような顔をしてそこに混ざり、お年玉という有難いものを受け取っているところだ。今はといえば当然、そんな気持ちになれるはずもなく。父さん母さんも「無理して顔出さなくていいからね」と言ってくれた。
「…………」
やがて宴会が始まった。
オレはそっとベッドを抜け出し、足音を殺して階段を下り、玄関から外へ出た。
向かい風が吹き付ける。負けるものかと、オレはずんずん歩みを進める。
……死んでたまるか、と。
辿り着いたのはとある一軒家。
かつては子ども向けの書道教室をやっていた、大きな家だ。しかし今は教室も閉業し、住人は引っ越していき、唯一残った老人が寂しく居残っているばかり。
ぎぃ、と軋む門扉を開けて玄関先まで侵入すると、オレは一つ息を吸い、そしてインターフォンをグッと押し込んだ。
……しばしの後。色あせた扉が開き、今の家主である老人が顔を出した。深く皺が刻まれた、灰色の髪が汚らしい老人だ。
「……なぁ」
向こうが何か言う前に、オレは口を開いた。
「黒い年賀状送ってきたの、淳太だろ」
オレたち三人に共通していること。
陸が言った「心当たり」。
ずっとベッドにこもって考えて、そしてようやく思い至った。
これは「淳太の呪い」だと。
小学三年生の時。オレたちと同じクラスにいたのが、淳太だった。
女みたいに色が白くて、背が低くて、運動も勉強もぱっとしない奴。ただし実家が書道教室だったこともあり、字だけは異様に上手くて、コンクールではいつも上位の賞を取っていた。
オレはそれが気に食わなかった。
だから立場を分からせてやった。「墨が好きなんだろ」と言って、教科書やノートを墨汁で塗りつぶしたり、トイレで墨汁を飲ませたりした。書き上げたところの作品を破いたり、筆を地面にこすり付けてバサバサにしたり、文鎮で頭を叩いたりしたこともある。
乱暴な彰司は、それ以上に色々やっていたらしい。優しい陸はどうしても手を出したがらないので、代わりに見張りをやらせていた。
それが理由だったのかどうか知らないが。
四年生になると同時に、淳太は転校していった。
そこからは知らない。淳太の存在が消えると同時に、オレたちもまた淳太のことを忘れていった。
そして今。オレはようやくそのことを思い出し、こうして淳太が元々住んでいた家にやって来た、というわけだ。
ポケットから当該の黒い年賀状を取り出し、突きつける。
「淳太、帰ってきてんの? これについて訊きたいんだけど」
「…………違う」
オレの問いに対し、淳太の祖父はゆっくりと首を振った。
「違う。それを君たちに出したのは淳太ではない……このワシだ」
「……え? は、はァ!?」
多少強引にでも淳太に会わせてもらい、直接問い詰めようと画策していたオレは、思わぬ事実に仰天した。
「なんでそんなこと……!」
「その前に、君に見てもらいたいものがある」
淳太の祖父はオレの言葉を遮り、大きく玄関扉を開けた。
「入ってくれ。中でゆっくり話そう」
――危険じゃないか?
一瞬、脳内で黄色信号が点滅する。だが結局オレは淳太の家に踏み込んだ。
もう片方のポケットの中でスマートフォンを操作し、録音モードを起動する。サイドボタンを連続で押せば緊急電話にも繋がる。
だいいち。淳太ごときの祖父に怖がるなんて、格好がつかないと思った。
「すぐお茶を淹れてくるから」
オレを和室に案内すると、淳太の祖父は一旦部屋を出ていった。座るよう勧められてはいたが、和室に通された瞬間から、オレは完全に凍り付いて動けなくなっていた。
床の間に置かれた大きな仏壇。
その脇に、黒い縁取りの淳太の写真が。
「……見てもらいたいものというのは、それだ」
背後で声がする。お盆に湯呑みと茶菓子を乗せた老人が、悲しそうな表情で立っていた。
「引っ越していった先でも、結局学校には通えなくてな。やがて部屋で首を吊った。長らく植物状態で留まってはくれたんだが、二ヶ月前ついに、逝ってしまった」
座ってくれ、と再度促される。
オレはギクシャクと体を動かし、どうにか座布団の上に腰を下ろす。
「部屋には遺書があった。相変わらずの達筆で、君たち三人の名前が書かれていたよ。どうして僕をいじめたの、ともな。……許せないだろう、そんなものを見てしまっては。だから君たちの住所を調べて、あの墨塗りの葉書を出したんだ」
正面に座る老人の目には、涙が浮かんでいた。
「済まなかった。可愛い孫に先立たれた老いぼれの、八つ当たりだったんだ。彰司君と陸君の訃報を知って、ようやく気付いたよ。ああ、とんでもないことをしてしまった、とな。まさか本当に呪いが成就するなんて思わなかったんだ」
べたり、と。
淳太の祖父はその場で、オレに土下座した。
……その間も、オレの思考回路は必死に助かる路を探し出そうとしていた。
録音はすぐに消そう。オレたちが淳太をいじめていたことがバレたら、大変なことになる。このジジイはどうしよう。オレたちのことを言いふらしたりしないだろうか。淳太の両親はどうだ? 引っ越していった先から、怒って帰ってくるかもしれない。
どうしよう。どうすればいい?
クソッ! 淳太の奴、最後の最後まで!
「お願いがある」
顔を上げた老人は、目元の涙をぬぐいながら言った。
「ほんの少しでいい。仏壇に、手を合わせてやってくれ」
「……はい」
オレは渋々立ち上がる。そして仏壇の、淳太の写真の正面に座り直し、ゆっくりと合掌し目を閉じた。
「ああ、本当にとんでもないことをしてしまった」
目を閉じた暗闇、背中の方から、老人の声がする。
「呪いが成就するなんて思わんかったんだ」
溜め息混じりに。
「ワシが全員殺すつもりだったのに」
どずっ、と。
右脇腹に衝撃が走った。
「…………え?」
ゆっくりと目を開け、視線を下へ。
包丁が深々と刺さっていた。
直後、燃え上がるような激痛が駆け抜けた。
「ひ……ぎっ、あ……!」
傷口を押さえ、その場に倒れ込む。そうしているうちにも引き抜かれた包丁が再度振り上げられ、今度はオレのみぞおちの辺りに突き立った。
「げふっ!」
数秒置いて、口から血が溢れる。
胃液と混ざった血液は、どす黒い色をしていた。
そう、まるで墨汁のように。
「許すものかぁ!!」
包丁が抜かれる。刺さる。
抜かれる。刺さる。
「淳太を返せ!! 返せ!! 返してくれぇっ!!」
老人は泣き叫びながらも手を止めなかった。
もはや痛みすらない。
視界が黒く、黒く、染まっていく。
もし、あなたのところにも真っ黒な年賀状が届いたら。
どうかよく思い返してみてください。
誰かの怒りを、怨みを買うような真似を、していなかったかどうか。