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ラーメン屋である僕たちの物語2nd ⑨


「ロストマン」


前編











状況はどうだい?






僕は僕に尋ねる







旅の始まりを






今でも思い出せるかい?












2005年3月


AM8:00


鎌倉駅前「ら〜めん専門ひなどり」






ゴッ…



…ジャーーー



…パタン



「はぁ……」




「またですか?店長」



お腹を抑えてため息をついた僕に、Tっさんが心配そうに話しかけてきた。



「うん、今日もけっこう酷かったよ」


「心配ですね」


「うん、ストレスかなあ…Tっさんへの笑」


「それは間違いないですね!笑」


「わはははは!」


Tっさんとはいつでも冗談を言い合って笑っている。仕事も遊びも一生懸命に楽しめる最高のパートナーだ。


そんなTっさんが何を心配しているかと言うと、この頃の僕は酷い『血便』に悩まされていた。(汚い話で申し訳ないので、以後〈血便〉=『KB』とする)


僕のKBはかなり深刻で、血の量、その頻度がすごくて、僕も恐怖心を抱いていた。

ひなどりのトイレは和式なのだが、扉に血が飛び散っていた、なんてこともあった。



「一度、病院行った方がいいですよ」


「えー、俺病院嫌いなんだよ〜」


「死にますよ」


「ぐぬぅ…」


こんなやりとりを何回もしていた。


僕は病院が嫌いだ。


幼少期、ある感染症の疑いで藤沢市民病院で採血検査を何度も受けていたこともあり、病院には怖い印象しかない。


先日のバイク事故の時に藤沢市民病院に運ばれた時も、何をされるのかわからない恐怖で酷く緊張した。

いくつになっても注射とオバケだけは嫌いだった。


それでも、この先ずっとこの仕事をしていくのなら、診てもらった方が良いことは重々承知していた。


めじろ修行時代から、2人とも労働時間だけなら人の2倍は働いていた。


必死に、がむしゃらに、僕たちは働いていた。
給料も固定給、残業代なんてみなしで含まれるか、むしろ無いことが普通。飲食業界はそんな時代だった。


だから、もしかしたら、過重労働が原因で身体を壊しているのかもしれないとは思った。


「わかったよ、Tっさん。言う通り病院で診てもらってくるよ」


「その方がいいですよ。原因がわかるだけで対策が打てますし」



気は進まないが、前に進むためには必要なことだと自分に言い聞かせて、僕は病院を調べ始めることにした。



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ズッ


ズズッ


ズズッ



ランチ営業が終わり、Tっさんとバイトちゃんと賄いのラーメンを食べていると、Tっさんが言った。


「お!チャーシュー美味しくなりましたねえ」



「やっぱりわかる?だいぶ良くなってきたでしょ?笑」


「柔らかいのにジューシーで、ほんと美味しいです!」


バイトちゃんも笑って褒めてくれる。



僕はとてもとても嬉しかった。


実を言うと、僕はチャーシューを作るのがとても苦手だった。


めじろ修行時代、


「芳実、お前チャーシュー作ってみろ」


親父からチャーシューの仕込みを任された。


任されたが、作り方の全てを教わったわけではなかった。


親父はタレのレシピは教えてくれたが、肝心の「肉の調理の仕方」はなんとなく口頭説明しただけだった。


『で、肉がパンパンになったらサッととって、ドボンだ』




『肉にスッと竹串が入るようになったら、チャッチャッとして、ドボンしろ』



相変わらず、口頭説明もこんな感じだった。



その日から僕とチャーシューの苛烈な戦いの日々が始まった。


何度もの失敗を経て、めじろのチャーシューは親父からOKをもらえるようになった。


そして独立後も、煮豚にしたり、オーブンで焼豚にしてみたり、いろんな調理方法を調べ試したが、肉質が固くなりすぎたり、生焼けだったり上手くいかなかった。


味付けもしょっぱ過ぎたり、薄過ぎたり、バランスが悪くとても苦戦した。


また、品種や部位により、肉質も香りも違うのでこれもまた僕を手こずらせた。



現代とは違い、この頃は情報も少なく、すぐ手に入らなかった。

とにかくTry & Erorrしかなかったから、調べて作って改善点を探してを繰り返し、作りまくったのだ。


炙りチャーシュー
ひなどりのチャーシュー
美味しそう
久しぶりに作ろうかな


さて、そんな
【ひなどりのチャーシューの作り方】を
ここに公開しておこうと思う。


是非、作ってみて欲しい。


【ひなどり流チャーシューの作り方】

  1. 豚バラ肉の1kgの塊を用意する
    表面の汚れや、軟骨を取り除く

  2. 180℃の油で5分素揚げにする
    (多めの油で揚げ焼きにしても良い)

  3. 大きな鍋にお湯を沸かし、生姜スライス、長ネギの青い部分を入れる。素揚げにした肉を入れて、沸騰しないように火加減を調整する。(95℃くらい)

  4. 90分前後を目安に固さを確認して引き上げる。(トングで優しく掴んで、『プルプルクタッ』とするくらい、5分おきに確認して自分の好み、最適解を探す。プルプル強め、クタッ弱めが良い)

  5. タレに半日漬け込んで、引き上げ、冷蔵庫で保管する。一週間以内に食べる。



【ひなどりチャーシュータレ】


  1. 醤油1,000cc、酒250cc、水250cc、生姜、にんにく一欠片ずつを鍋に入れる

  2. 鍋を火にかけて沸騰する直前に火を止めて、三温糖500gを加えて溶かす。

  3. 粗熱が取れるまで常温、冷めたら冷蔵庫保管
    ※肉を茹でてる間に作っておく。
    ※つけ終わったタレは少し煮詰めてチャーシューご飯のタレなどに使用



このチャーシューを7mmほどにスライスし、網で炙ってラーメンに乗せると、香ばしい脂がスープに溶け出す。


後に「炙り焼きチャーシュー」という、ひなどりの名物になっていった。


僕はチャーシューもメンマも、醤油ラーメンも塩ラーメンも味噌ラーメンも不得意なものが多かったが、とにかく諦めずに作り込んだ。


うまくいかず、何度も自信喪失しそうになったが、自分を奮い立たせて挑戦し続けた。
(今でもしょっちゅうあります)


その度に少しずつ改善されていき、それが僕のモチベーションに繋がっていった。


だから、いま味作りに悩んでいる若手の子たちも諦めずに作り続けてほしいと思う。
(いつか必ず限界突破する日が来るから、頑張ってほしい)




「ご馳走様でした!」



皆んなで手を合わせた。


賄いを食べ終えて、片付けをしているとバイトちゃんが言った。


「そういえば、藤沢本町に店長の病気に詳しい名医がいるらしいですよ」


「え、そうなの?」


バイトちゃんにも、僕の最近の症状を相談していたので調べてきてくれたようだ。


「はい、私の知り合いが通院してて、おじいちゃん先生ですけど腕がいいって」


病院を探そうにも、どう探していいものか困っていたので、これは渡りに船だった。


「ありがとう!助かるよ」


「おじいちゃん先生に俺のかわいいお尻見せつけてくるよ!」


僕はバイトちゃんにお礼を伝え、不安を誤魔化すために減らず愚痴を叩いた。


僕も自分なりにKBの原因を調べていた。


最悪の場合は悪性腫瘍(癌)から出血している可能性もあるとのことだった。



万が一、そうなのだとしたら、早めに対策しないと20代の癌の進行は早いという。



まだ死ねない。


死にたくない。


僕たちの旅は始まったばかりなのだ。




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3月某日 快晴


藤沢本町駅前




「ブロロロロロロロ…」




ギィッ



僕は新車の原付を停めてエンジンを切った。


チョビを失ってから、電車通勤をしていたが、やはり不便を感じていたし、走る楽しさは忘れられないので原付バイクを購入した。


今回、単車にしなかったのは、あの事故への恐怖心も少し残っていたからだ。


新しい相棒はHONDAのZOOMER(ズーマー)



名前はまだ無い。


無骨なデザインと、憎きTWを彷彿とさせる太いタイヤについ惹かれてしまい購入を決めた。


加速や馬力に不満はあるが、仕方ない。
速ければ、馬力があれば、僕は調子に乗ってまた事故を起こしてしまうだろう。


今の自分にはコイツがちょうど良いのだ。


さて、藤沢本町の名医院前に停めたはいいが、いざこれから、となると勇気が出ない。


「どうしようかな…」



時計を見ると11:30になるところだった。


「あ、そうだ!昼飯食べてから行こう!」



心の準備と腹ごしらえ、両方できるぞ!



さて、今日の藤沢本町ランチは…


「あそこだな!」


今日はHに行こうと決めた。


Hは分厚いチャーシューと濃厚な味噌スープ、自家製麺が人気の老舗のラーメン店だ。


僕はここの味噌つけ麺とご夫婦の柔らかい人柄が大好きだった。


Hの麺は珍しい「無かんすい麺」だ。

20年ほど前に一時ブームになった「無かんすい麺」はいつの間にか下火になったが、Hの麺はうどんのような、それでいてラーメンしている不思議な魅力を持っていた。


また、このHは取材拒否のお店としても有名だった。


昔、あるメディアに「Hに取材の許可をとって欲しい」と頼まれた親父が、取材のお願いに行ったことがある。

Hのご主人も「めじろの親父の頼みなら」ということで、普段断っている取材を快諾してくれたそうだ。 


そんな話を思い出しながら、僕はいつも通り、味噌チャーシューつけ麺を注文した。


肉厚で食べ応えのある柔らかいチャーシュー


魚介出汁のきいた濃厚な味噌スープ


不思議な食感がクセになる盛りのよい、香り高い自家製麺


「美味い!美味い!」


一心不乱にズバズバーっと食べ切る。


「ご馳走様でした!」


待ちのお客さんのことも気になるので、僕は食べ終えて、すぐに会計をして退店した。


カラカラと扉を閉めて、目の前の青空を見上げて気づいた。



「あ、やばい。つけ麺に夢中で心の準備してないや…」


時計は11:50。


12:00から15:00は受診していない。


「えーい!行ってしまえ!」


僕は急ぎ足で駅前に戻り、おじいちゃん先生の名医院の扉の前に立った。



ドクン


ドクン




次第に早くなる胸の鼓動を感じながら、僕は覚悟を決めて重い扉を開けた。





➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖







「力抜いてくださいね〜」




キュッ、キュッ




ゴム手袋を装着する音が聞こえる




「ゆっくりいきますからね〜」 



入店←から、あれよあれよ言うままに触診検査になった。



僕はお尻を出したまま横向きになって、27年の純情を捧げる瞬間を迎えようとしていた。


声を出したら負けな気がする。



歯を食いしばった。




「では、いきますね〜」







僕は…




負けてしまった。





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翌日


AM8:00



「Tっさん、おはようー!」



「店長、おはようございます!」



昨日は検査の後、脱力し放心状態だったが、一晩寝たらすっかり回復した僕は、昨日の検査結果をTっさんに報告した。



「…かくかくしかじかで、触診検査になったんだけど、特に問題は見つからなかったって」



おじいちゃん先生に説明された通りにTっさんに報告する。



「え?では原因はわからなかったんですか?」


Tっさんが眉をひそめた。



「いや、だからね、それが…」


僕は言い淀んだが、思い切って伝えた。





「痔だろうって」





「…………痔?」




Tっさんの思考が一瞬止まった。





「ぶっ!」


「わはははははははは!!」




どちらともなく笑い出し、2人で涙が出るほど笑った。




「痔ですか!やりましたな店長!勲章を得ましたな!」


「そんな勲章いらないって!いやいや、とにかく心配かけてすいませんでした」




僕はTっさんに照れ臭そうに謝った。



「まあ、痔で良かったですよ。痔で!」



「しつこいから!笑」



「わはははははは!!」


ひとしきり笑い合い、お互い今までの不安を吹き飛ばした。



「まあ、そんなわけなのでそんなに心配しなくても大丈夫だから」



「わかりました。まあ、なんにせよ、良かったです」



「じゃあ、今日も頑張ろうか!」



僕がTっさんに声をかけると



「店長」



急にTっさんが神妙な顔になり僕を呼んだ。



「ちょっと私もお話がありまして」



いつになく、真剣な面持ちだ。



「うん、どうしたの?」



ちゃんと話を聞きたくて、2人でテーブル席に向かい合った。 



「えーとですね…」



Tっさんが一旦言葉を飲み込んでから話し始める。


「…実は、店長と同じくらいの時期から私もKBが酷くて、昨日私も検査に行ってきたんです。」


「えっ」


僕は驚いた。


Tっさんも僕と同じ症状に悩まされていたという。


僕はそれに全く気づいていなかった。


Tっさん曰く、僕がそんな症状が出ている中、余計な心配をかけたくなくて黙っていたらしい。


僕はそんなTっさんの気遣いの欠片も気づかず、自分の心配でいっぱいいっぱいだった。



「え、で、それで検査結果は出たの?」



時計の針の動く小さな音が、だんだんと大きく聞こえるほど、空気が張り詰めていく。



「詳しい結果はこれからなんですが、内視鏡で見た限り、大腸に沢山のポリープができているみたいで」



「うん」


「悪性の可能性が高い、とのことでした」




「え、それって…」



空気が冷たさと重さを増した。



Tっさんが、目に力を込めて僕を見つめた。





「癌、ということです」








カチ




カチ





冷たい海の底のような世界に、時計の音だけが大きく響いていた。








to be continued➡︎




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