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ラーメン屋である僕たちの物語3rd 16
「終わらない歌」
中編
2006年
7月末
「ブロロロロロロロ…」
カミカゼを出た僕は、町田街道のレッドバロンを左手に過ぎて、無遠慮に追い越していく車を横目に下り坂に入る。
女性のボディラインの様な、スムーズなカーブを下った先は、あの事故現場だ。
あれ以来なんとなく避けていた事故現場も、僕以外の人にとってはなんでもない日常の通過点だな。
そんなことを考え、身体の強張りを感じながら白旗歩道橋を走り抜けた。
そのまま藤沢方面に向かい、銀座通りに入り、デニーズを過ぎたら花月嵐を右折して路地へ入る。
「ブロロロロ……ン」
「…ギッ」
原付を停めて、ヘルメットを脱ぐと、馴染みのある置き型電飾看板が僕の顔を照らした。
「居酒Barなまず」
今、この全身に溜まった悪い気を、ここで酒と共に清め流しておきたかった。
「ガラララララ…」
「こんばんはー」
なまずの重い格子ガラスのドアを開け、店内へと進んだ。
「おお〜!芳実じゃん!いらっしゃい!」
「あら、いらっしゃい」
笑顔のRYUJIさんとTERUちゃんがいつもと変わらぬ様子で迎えてくれた。
それだけで僕の気持ちは少し軽くなるのだ。
「お、兄貴じゃん」
ふいに、カウンター席に座ったカップルの1人に声をかけられた。
「おお、祐貴!」
仕事終わりの弟が、グラスを片手に煙草を燻らせていた。
「お兄ちゃん、こんばんは〜」
祐貴の右隣、奥の席からひょっこり顔を出した女性が僕に挨拶をした。
「おお!M子ちゃん!久しぶり!」
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M子ちゃんは中森明菜に似た美人だ。
僕の中学の先輩に当たるのだが、この「なまず」で祐貴と出逢い、付き合い始めたらしい。
中学時代いわゆる「不良」だったM子ちゃんは、中学一年生当時の僕には怖い先輩という印象だったが、今はすっかり落ち着いた大人の色気のある女性で、女好きの祐貴が惚れてしまうのも無理はなかった。
僕は祐貴の左隣の席に座り、RYUJIさんに生ビールといくつかのフードをお願いした。
「はい!生お待ち!」
「かんぱーい!お疲れ〜!」
僕のドリンクが揃うと、改めて3人でグラスを交わし合った。
「…兄貴、鎌倉の店どうなりそうなの?」
グラスに一口つけると、唐突に祐貴が僕に尋ねる。
「うん…。全然進展ないよ。」
僕は深いため息と共にそう返した。
「そうかー」
祐貴はそう言うと、タバコをふかしカウンターの向こうのTVを見つめた。
諸事情を知っている祐貴には、多くを語らなくても伝わったようだ。
僕もなんとなくばつが悪くなり、TVに視線を逃がした。
そしてしばらくの沈黙が続く中、僕は頼んだ生ビールを飲み干してしまった。
「RYUJIさーん!おかわりください!」
「はーい!」
キッチンで忙しく調理をしているマスターに声をかける。
「RYUJIさん!オレもー!」
祐貴もそれに乗り、おかわりをお願いした。
「RYUJIさん、あたしもー」
M子ちゃんもそれに乗った。
この時、僕は一瞬ギクリとした。
ここまでこのnoteを読んでくれている熱心な読者諸君はご存知かと思うが、僕たち兄弟は酒癖があまりよろしくない。
しかしこのM子ちゃんは、僕たちを上回るほどの酒癖武勇伝をいくつも持つ猛者なのだった。
その武勇伝の数々を本人の許諾なしに書くのは、流石に怖いのでやめておく。
「M子ちゃん?今日、何杯目?」
僕は素知らぬ顔で尋ねてみた。
「うんと、3杯目かな?」
M子ちゃんはニッコリと笑った。
そうか、3杯目なら大丈夫。
…なのだろうか??
「はい!おかわりお待ちー!」
RYUJIさんが、順繰りにドリンクを渡してくれた。
各々がおかわりのグラスを受け取り、口をつける様子をチラッと見ながら、僕は今夜この中の誰かが「やらかす」のではないかという胸騒ぎをうすうす感じていた。
「え!?RYUJIさんのオヤジさんてそんなすごい人なの!?」
飲み始めて2時間が過ぎた頃の「なまず」に僕の驚嘆の声が響いた。
「ははは!そうだよ!すごいかどうかは知らないけど!笑」
丸い目をした僕が可笑しいのか、RYUJIさんは豪快に笑った。
「祐貴は知ってた?」
オーダーの落ち着いたRYUJIさんと話す中で驚愕の事実を知った僕は、タバコをふかしている祐貴に振り返り尋ねた。
「うん、オレは前に聞いた」
僕よりもなまずに入り浸っている祐貴は、この事実を既に知っていた様だった。
「マジかー、すげ〜」
僕が驚いた理由…
それは、RYUJIさんのオヤジさんの仕事が
「天皇の料理番」
だったからだ
♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢
天皇の料理番とは?
天皇皇后両陛下の日常食をはじめ、宮中晩餐会や皇居内で行われるさまざまな祭事の食事を担う料理人である。
皇室の食を担う宮内庁大膳課に属する料理人は五つの係に分類され、厨房一係は和食、ニ係は洋食、三係は和菓子、四係は洋菓子・パン、五係は東宮(皇太子御一家のお食事)を担うことになる。
RYUJIさんのオヤジさんは一係の和食担当の料理人だった。
♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢
「はぁ〜、道理でなまずの料理は美味いわけだわ〜」
僕はしみじみと感心した。
「まあ、うちは居酒屋だけどね!笑」
「ガキの頃から家でオヤジがもらってきた献上品を食べてたりしたから、美味しいものに目がないんだよ!」
RYUJIさんは山菜採りや、美味しい食材を手に入れることに時間と労力を惜しまない。
そのバイタリティの源泉を見た気がした。
「おれはオヤジの味と、TERUちゃんの味で育ってるからね。それがおれの味になってるんだよ」
続けて言ったRYUJIさんの言葉に、僕たち兄弟もまた、親父とお袋の味で育ったことにハッと気付かされた。
「そうか、俺と祐貴も親の味で育ってきたんだよな…」
僕は顎髭を触りながら、ポツリと独り言ちた。
その時、祐貴が灰皿にタバコの灰をトントンと落としながら、目線を落としたまま僕に聞いてきた。
「そういえば、うちの親父は元気なの?」
その様子を見た僕は、未だ二人に残る「親子のわだかまり」を感じ取った。
「親父?お客さんに聞く限り元気みたいだよ」
祐貴にはソレを悟られないように、なるべく自然に返事をした。
祐貴と親父の間には、祐貴がめじろを辞めてからも続く、埋められない溝が未だあるようだった。
「ふーん。そっか。」
そう言いながら「フー」とタバコをふかす祐貴。
「親父のこと、気になるのか?」
僕は祐貴の顔を見て尋ねてみた。
祐貴はゆっくりと煙を吐き出し、灰皿に灰を落とすと、少し間を置いて言葉を紡いだ。
「…親父から、連絡あった」
「え!?そうなの!?」
意外なその答えに僕は目をむいた。
と、同時に祐貴と親父の繋がりが切れていなかった嬉しさと、じゃあさっきの質問はなんだったんだ?という疑問が湧き起こった。
「まあ、メールだけど」
祐貴はそう言うと、いつの間にかオーダーしていたペルノソーダをぐぃと飲み干し、おかわりを注文した。
RYUJIさんはグラスを受け取ると、流石の手慣れた動きで素早く、静かにおかわりを差し出した。
「で、親父からはなんて?」
僕は祐貴の顔を凝視しながら、その言葉を待った。
「……店、手伝ってくれないかって」
「…!」
僕は耳を疑った。
なんということか、親父は性懲りもなく、また祐貴を巻き込もうとしているのだ。
藤沢のめじろで祐貴へしたことを忘れてるんじゃないか?
そんな考えが浮かんだ僕は腹立ちまぎれに、飲みかえた焼酎のロックをグイと飲み干した。
一体、親父はどんな神経で再び祐貴に声をかけたのか、僕には理解できなかった。
「で、なんて返事したんだよ?」
僕は少し苛立ったままそう尋ねた。
「…返事もしてないよ。今の仕事も楽しいし」
祐貴はため息を吐く様に「フ―」と煙と吐いた。
「そうか…」
僕も祐貴も、幼少の頃から父との付き合いは希薄だった。
そのためか、「父親を知りたくて」一緒に働いたが、共に親父に絶望し、その元を離れたのだ。
「…ッ…スン…ッ…スン…」
そんな青い季節を思い出していると、僕の隣から鼻をすする音が聞こえてきた。
「おい…」
横に目をやると、祐貴がカウンターに突っ伏していた。
突っ伏したまま、祐貴は泣いていた。
「…ヒック…ック…」
鳴き声を堪えようとしているのか、大きな肩が震えていた。
「祐貴…」
「…ック……ヒック…」
僕は丸い祐貴の背中に右手を当てて、むかし母が僕たちにしてくれた様に、その背中をさすった。
M子ちゃんは心配そうに見守っている。
僕たち兄弟は酒癖がよく似ている。
酔うと、泣くし、怒るし、よく笑う。
どうやら、今夜は祐貴の「泣き上戸」が少し顔を出してきただけのようだ。
僕に背中をさすられながら、祐貴は苦しそうに言葉を絞り出し、その心の内を吐露していく。
「…オレが…ッ…どんな…気持ちで…ッ…親…父の…ッ…」
寂しかったこと、悔しかったこと、だから父親を求めたこと、そんな想いが涙と共に溢れ出ていた。
僕は祐貴の涙交じりの言葉の中に、自分の想いも重ねながら耳を傾けていた。
ここで全部出してしまえばいい。
全部置いていけばいい。
スッキリして、また明日から自分の選んだ道を歩けばいい。
弟の背中をさすりながらそう願った。
「…誰も…ッ…オレの…気持ちなんか…ッ…わかッ…らないんだ…ッ…」
ここで想いの丈のほとんどを吐き終わりかけた祐貴の言葉に、僕は少し頭に来た。
≪親父が出て行った後、家族を守るため家に残った俺の気持ちも、グレて好き勝手やってたお前にはわからないだろう≫
そんな言葉が頭をよぎった僕は、なんだか目の前で泣いてる祐貴が急に憎らしくなった。
あの時の、僕の気持ちは未だ成仏できず燻ったままだ。
抑圧されたエネルギーは、今もこの腹の中に眠り続け、爆発の時を静かに待っているのだ。
僕は弟の背中をさする手を止めて、作った笑顔のまま苛立ちを隠し味に、祐貴に慰めの声をかけた。
「そうか~、祐貴も辛かったんだな~」
我ながら意地の悪い顔をしていただろうと思う。
でもコントロールができなかった。
「親父のことを求めっちゃったもんな~」
≪やめろ、かっこ悪い。最低だぞ。お前≫
僕を見下ろす僕が言うが、僕は聞く耳を持たなかった。
すると、その時
「…やだ」
「なんか、やだ」
祐貴の背中を見つめるM子ちゃんが口を開いた。
「お兄ちゃんの言い方、なんかやだ。祐貴くんに対して優越感を感じてるみたいで。なんか、やだ」
そう言って僕の目を射抜くM子ちゃんの視線に、ドキっとした。
心の内を全て見透かされているような気恥しさが、僕を襲った。
それとほぼ同時に、腹の底から怒りが湧いた。
腹の中で眠る不発弾の信管は、M子ちゃんの言葉に触れて作動した。
そのエネルギーは爆発音となって僕の口から飛び出した。
「うるせえな!
俺たち家族のこと何も知らない奴が!
ぐちゃぐちゃ言ってくるんじゃねぇよ!」
一気に爆発した感情は、言葉の暴力となり、「なまず」に響き渡った。
…やってしまった。
僕は自分の感情の大きさに面食らってしまい、我に返った。
僕に怒鳴られたM子ちゃんは泣き出してしまった。
RYUJIさんはずっとその様子を見守っていた。
その時、
「……う……うわあああああああん!…」
祐貴がカウンターの椅子を倒しながら、大きな泣き声と共に外に飛び出していった。
「祐貴!?おい!待てよ!祐貴!」
祐貴のあの様子は、なにをするかわからない。
僕は慌てて弟の後を追って外に出た。
「祐貴ー!!」
外に出た僕は、弟の姿を探した。
「祐貴のやつ、どっち行った?」
キョロキョロと辺りを見渡すと
…いた。
祐貴は一本松の踏切方面に向けて、足早に歩いていた。
僕は走って後を追おうとしたが、
「祐貴くん!?」
同じく「なまず」から飛び出してきたM子ちゃんの声を背中に受けた途端、また感情が爆発した。
パァン!
僕は電柱に括り付けてあった、立て看板を思い切り殴った。
そして、腹の底から溜り切ったエネルギーの全てを吐き出すように叫んだ。
「あーーーーーー!
なんなんだよ!
どいつもこいつもよーーーーー!」
青黒かった空は深海の様に街を飲み込み、湿度を帯びた重い夜気が僕の叫びを飲み込んでいく。
「芳実!手、大丈夫かよ?商売道具なんだからそういうのやめろよ!」
僕たちを追ってきたRYUJIさんに、そう叱られた。
結局、祐貴とM子ちゃんとはその場で別れ、僕もそのまま家路についた。
思い返せばこの日「やらかして」しまったのは僕だった。
そして、後味の悪い思い出を引きずり、なんの進展も見えないまま一月が過ぎ去り…
「鎌倉麺や ひなどり」は
最終日を迎えることになる
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