ラーメン屋である僕たちの物語1st ⑩
「SO YOUNG」
中編
三方を山に囲まれ、目の前には相模湾が広がる風光明媚な行楽地
800年余りの歴史と文化が交差する古都
鎌倉
鎌倉五山や大仏に代表する寺院に四季を問わず多くの人が訪れ、夏は海水浴客で賑わう、日本有数の一大観光地だ
人口17.3万人
年間観光者数738万人
鎌倉駅の1日平均利用者
7万9832人
(※2011年調べ。2003の情報知ってる方いらっしゃいましたら教えてください)
近代では文豪、文化人が好んで居住し、格式高い風土が醸成する街並みは、今では高級住宅地となっている。
そんな鎌倉の中心にある鎌倉駅の、目と鼻の先にある僕の店「ら〜めん専門ひなどり」の、本日のご来店人数は
5人だった。
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大嵐の開店日から1ヶ月が過ぎた。
開店景気はあっという間に過ぎ、まさに雲一つない台風一過の如く、お客さんも流れ去ってしまった。
俗に言う開店景気の後の閑散期、「死の谷」に入ったのだが…
僕とTっさんは、大きなガラス窓の向こうを沢山の人が僕たちの店に見向きもせず通り過ぎていくのを、厨房からただ眺めていた。
この状況を作った原因はただ一つ
「僕」だ。
開店前からいつまでも上手くいかぬ味作りの中、自信喪失しかけていた僕の心は変化していった。
僕は…
自分以外の全てを
否定するようになっていた。
「この味がわからないなんて、客の舌がどうかしている」
そんな風に思いこむようになっていた。
そして、スタッフであるTっさんへも当たりが強くなっていた。
「なんでこんなこともできないんだ」
「要領悪すぎだろ」
人の至らない点ばかりを探すようになった。
とどのつまり
僕は自分の臆病な自尊心と尊大な羞恥心を隠すため
「自分以外全員バカ」モードに
突入していったのだった。
そして、思考はやはり顔や言葉に出る。
お客さんに味について言われる度、不機嫌な顔をしてこう返した
「あなたの舌がどうかしてるんじゃないですか」
「もう来なくていいですよ」
勿論、お客さんは怒って帰る。
そんなことを日々繰り返してるのだから
当然、来客数は激減することになる。
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鎌倉はただでさえ排他的なきらいがある土地だった。
僕も商店街の諸先輩方や鎌倉在住の人たちに、いろんな洗礼を浴びた。
そんなことも重なり、その頃の僕には
お客さんが全員敵に見えていた。
「NO」という刃を僕に突きつける敵だった。
でもそれは、先に臆病な僕が抜き身の刀をお客さんに突きつけていたからなのだと後に気づく。
お客さんは僕の鏡にすぎず、僕は自分自身に刃を立てて、勝手に追い詰められていた。
そして益々孤独になっていった。
孤独を深め、人と自分を傷つけていくうちに、僕は、酒を飲むと泣く癖がついていた。
「男が人前で泣くもんじゃない」
と、こんな僕でも可愛がってくれる歳上のお客さんに飲みの席で諭されたが、仕方ない。
まだまだ生意気な僕は「余計なお世話だ」と思って聞いていた。(泣きながら)
自分でも止められない、何故だかわからず涙が溢れてくるのだ。
もしかしたら、自分の深層心理ではわかっていたのかもしれない。
「これは本心ではない。
このままではダメなんだ」
ということを
そんな有様のまま、数ヶ月が過ぎ、それでも変わらぬ僕の心は「売上」というわかりやすい形で現れてくるのだった。
「ら〜めん専門ひなどり」営業時間
11:30~15:00/18:00~21:00
1日平均来客数 5人
1日の売り上げは一万円を裕に切っていた。
僕の身体に突き刺された刃は、ゆっくりと深部に到達しようとしていた…
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さて、めじろを飛び出し、物件を紹介してもらいお店を開いたが、実はその間に僕は融資を受けていた。
内訳は
自己資金100万円
お袋や親族からの借入350万円
そして、国民生活金融公庫から750万円の融資を受けていた。
合計11,000,000円の借金をしたのだ。
その中で店の造作費や備品に900万円使い
(居抜きではなかった)
運転資金に300万円を残していた。
この資金を体力に、ここ鎌倉で地元に根ざした人気のラーメン店を作ろうと夢見ていた。
しかし、「無知無力なる全能」の僕のせいで
運転資金は開店より半年後には
18万円を残すのみとなった。
家賃35万円
仕入れ業者への支払いウン十万円
雇用スタッフ1人。(Tっさん)
資金は完全にショートしてしまった。
「終わった…」
預金通帳を前に僕はポツリと呟いた。
飲食店の一年以内の閉店率は30%だという。
30%という数字の中にこの店も入るのだ。
鎌倉の800年の歴史を前に
ら〜めん専門 ひなどりは
開店より半年で力尽きようとしていた
…to be continued➡︎
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