ラーメン屋である僕たちの物語3rd 14
「夕暮れ」
2006年
5月下旬
KとGが去り、「麺やBar渦」開店まで後5日というところで僕は一人になってしまった。
アルバイトは2人残ってくれたので、なんとか「ひなどり」の営業はできたが、彼女たちも本業があり、開店前のホール準備や片付けなどで手一杯で、仕込みをお願いすることはできなかった。
僕は一人でひなどりの朝の開店前の仕込み、両替、営業中の調理、翌日分の仕込み、片付け、渦の開店準備を翌朝までこなしていた。
「僕がやらなければいけない」
その義務感だけが僕を動かした。
この5日間はいよいよ大詰めで、それこそほとんど寝る時間がなかったのであまり記憶に残っていないが、酒の量だけは異常に増えた。
酒は疲れを忘れさせてくれた。
朝から翌朝まで働き、酒を浴びる様に飲み、僅かな時間気絶する様に眠る日々を潰しているうちに、あっという間に『次の夢の停車場』を迎えた。
2006月6月1日
「麺やBar渦」
開店
流石に前後の三日間はひなどりを臨時休業にして渦に集中したが、渦開店3日目からはひなどりを昼営業、渦を夜営業の体制が始まった。
結局、渦のために考案した鶏白湯ラーメンは、仕込む時間がないためにお蔵入りとなり、ひなどりのラーメンをそのまま渦に運んで営業することになった。
僕は朝、ひなどりへ行き、スープの仕込みと朝の準備、入金と両替などをこなし、ランチ営業を終え、片付けをして翌日分の仕込みとスープを仕上げ、冷却、夕方に母が車で食材を取りに来るので積み込んで運んでもらい、僕は原付で追っかけながら渦に向かう生活になった。
社員スタッフが全員去り、ただでさえ仕込みの手が足りない中で両店分の仕込みをする僕の負担は一気に増した。
それでも「ひなどり」を、天塩にかけて育て上げた店を閉店するという考えは微塵もなかった。
開店したばかりの「麺やBar渦」にはオープン景気もあり、鎌倉のお客さんも、また新しく地元鵠沼のお客さんも、そして親父の店「めじろ」のお客さんも連日顔を出してくれて、とても賑わった。
僕の目指した「ラーメンを真ん中にコミニュケーションを作れる飲めるラーメン店」の手応えがあった。
それから僕はまた毎日、今朝から翌朝まで働き潰した。
睡眠不足も、全身を支配する疲労も、この楽しさには勝てないと思っていた。
1日20時間以上働き、酒で疲れを忘れ、僅かな睡眠時間を貪る。
そんな生活を一月ほど続けていた、ある日
僕は
倒れた
2006年
7月某日
今日も僕はこの1ヶ月と同様に、背中に「麺やBar渦」を背負い、胸に「鎌倉麺や ひなどり」を抱え、毎日の膨大なルーチーンを消化していた。
KとGを辞めさせたのは自分の判断だ。
僕がもっと大人だったら、冷静な思考ができる人間だったら、この未来はまた違う形になっていたはずだが、そんなことは覆水盆に返らずである。
とにかく、両店共にやるしかない。
僕はやっと走り出した夢を乗せた列車から、途中で降りる決断ができなくなっていた。
「…ふぅー」
ひなどりのランチ営業が終わり、一息つこうとキッチンで座り込んだ僕は、しばらく立ち上がることができなかった。
そして冷蔵庫にもたれかかると、疲れた目を強く瞑り、天を仰いだ。
「店長、一人でかわいそう…」
その様子を見ていた高校生アルバイトちゃんが、涙を浮かべてポツリと言った。
「いやいや、これは俺が選んだことだから、いいんだよ!心配してくれてありがとう」
慌てて弁解するが、誰が見ても満身創痍だった。
これから、朝仕込んだスープの仕上げをしながら、翌日の両店の仕込みをして、片付けをしなくてはいけない。
「…っこいしょっと」
身体を椅子から引き剥がし、再び両店の責任をずしりと背負い抱えこむと、今日も終えたひなどりの片付けと翌日分の仕込みと、今日も始まる渦の夜営業のための準備にとりかかった。
同日
17:30
鎌倉麺や ひなどり
スープの仕上げをしていると、一台の青いステーションワゴン車が店の前で停まった。
母が食材を取りに来てくれたのだ。
店前の道は狭い上に、目の前の東急ストアの搬入口が近く大型の車が入ってくるので、駐車は難しい。
母に運転席で待機してもらい、僕は渦の夜営業で使う食材(スープ、麺、チャーシューやメンマなど)を荷台に積み込んだ。
「お袋、じゃあ頼むよ」
「忘れ物ないわね?じゃあ先に帰ってるからバイク気をつけるのよ!」
母はそう言うと、渦に向かって車を走らせた。
僕は急いで残りの片付けを済ませ、荷物をまとめ、店のシャッターを降ろし、駐輪場に向かい、原付に乗り、急ぎ渦へと向かった。
「ブロロロロロロロ…」
「着いたら、渦の開店準備であれをして、えーと他には…」
頭の中は常に、日々の仕事をこなす事でいっぱいだった。
仕事に追われ、毎日のルーチーンを消化しているうちに気を失い、目が覚めたら仕事に向かった。(入浴中の湯船で寝てしまうことも度々あった)
そんな毎日の疲労は、有り余る20代の体力でも補いきれなくなっていた。
「ブロロロロロロロ…」
…うとうと…
川名の交差点に差し掛かる頃、原付運転中の僕を猛烈な眠気が襲った。
夏の夕方の熱を帯びた風が、疲れきった身体に気持ちいい。
ヘルメット内のくぐもった音も心地良かった。
身体と魂が剥がされたような浮遊感があった。
…うとうと…
瞼が重い。
このまま、このまま少しだけ…
…うとうと…
………
……
…
「…はっ!」
一瞬。
ほんの一瞬、意識を失ってしまったことに驚いて、咄嗟にブレーキレバーを思い切り握った。
ギュゥゥゥゥ!!
ゴ
オ
ォ
ォ
ォ
ォ
ォ
ォ
ォ
!
次の瞬間、大型トラックがものすごいスピードで目の前を掠めていった。
少しの間を置いて、トラックの後を追いかける大きな風が僕の身体を乱暴に攫おうとする。
僕はいつの間にか赤信号の交差点に、停止線を大幅に超えて侵入してしまっていたのだ。
「……死、死んでた…」
最悪の未来が目の前に横たわっていた現実に、ぶわっと冷や汗が滲んだ。
「…っぶはぁ〜…」
肺の中の空気を全て吐き出し、ハンドルバーに突っ伏しながら、まだ息ができていることを実感した。
バクバクと心臓の回転数が上がり、身体中に血液が一気に送られたことで、眠気が吹き飛んだ。
「…行かなくちゃ。…行かなくちゃ。」
信号が青に変わると同時に、スロットルを全開に交差点を突破した。
僕は鮮明になった頭で、三途の川を直前で渡らずに済んだことよりも、僕を待ちうける仕事のことばかりが気になっていた。
同日
18:30
麺やBar渦
シ
ャ
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無事に帰宅した僕は母の車から積荷を降ろすと、自宅のシャワーでサッと汗を流し、急いで身支度を整えて、「渦」のキッチンに向かった。
連日、今朝から翌朝までの間に休憩を取る時間もなかった。
母と共に30分後に迎える開店に向けて準備をしていると、ふと感じたことのない浮遊感を得た。
「…おっ、と…?」
身体は重くなり、意識はふわっと軽くなったかと思うと、世界が反転した。
「あ、あれ?」
うっかり落としたビデオカメラの録画映像の様な、くるくると的を得ない景色が脳内のスクリーンに映し出され、
–ブツッ–
僕の電源は切れた
日時不明
所在地不明
「…う、…ん…」
眩しさに目を細めると、真っ白い天井と真っ白いカーテンが見えた。
「…え?…どこだ、ここ!?今日の営業は!?どうなった!?」
事態を飲み込めず、身体を起こそうとする僕を、白衣を着た女性が制止した。
「そのまま寝ててくださいね。いま先生を呼びますから」
そう言うと、女性は立ち去った。
僕は事態を理解しようと周りを見渡した。
眩しい蛍光灯、真っ白い天井、真っ白いカーテンの仕切り、清潔な真っ白いベッドにシーツ、僕の腕に繋がれたブドウ糖のチューブ、微かな消毒薬の匂い。
病院?
なんとなく事態が掴めた頃、声をかけられた。
「おお、目が覚めたか」
先ほどの女性と一緒に、白衣を着たおじいちゃんが側に立っていた。
「具合はどうだい?あんた、仕事場で倒れてここに運ばれてきたんだよ。お母さんに事情を聞いたけど、あんた、働きすぎだな」
このおじいちゃんはこの病院の先生らしく、その話では、開店準備中に倒れた僕は、母と近所の人の助けを借りて近くの病院まで運ばれたそうだ。
「そうですか…」
この時の僕は、営業に穴を空けてしまった悔しさと、やっと休む許しを得られるという妙な嬉しさが混じった気持ちがあった。
「この点滴が終わったら今日は帰っていいから、自宅でよく休みなさい。」
おじいちゃん先生はそう言うと、立ち去った。
点滴が終わるまで後一時間ほどだと言う。
僕は大きく息を吐き、目を瞑ると、休める免罪符を得た安堵からか、あっという間に眠りの谷に落ちた。
2006年
7月下旬
17:30
鎌倉麺や ひなどり
世間は夏休みに突入し、鎌倉も夏の観光シーズンに突入した。
しかし僕は、今日も変わらず朝から翌朝までのルーチーンの中を無我夢中で泳いでいた。
あの日からすぐに仕事復帰した僕は、仕事のやり方を変えられずに、やはり全てを抱え込む自虐的な毎日を過ごしていた。
疲労困憊で思考停止した頭では、全てを守るためにはこの戦い方しか思いつかなかった。
疲労はやはり蓄積する一方で、あれからもう一度点滴を受けにおじいちゃん先生の病院に行った。
点滴を受けると、瞬間的には体力が回復するのだ。
「そろそろ、3回目の点滴を受けに行こうか」
渦の夜営業ための荷造りをしながら、ぼんやりとそんなことを考えていると、店の前に青いステーションワゴンが停まったのが見えた。
今日も母が食材を取りに来てくれたのだ。
僕はいつも通り荷台に食材を積み込んだ。
「忘れものないわね?」
「うん。お袋、今日は俺も車乗せて行ってよ」
自分の疲労の限界値を理解した僕は、今日も原付運転中に寝てしまいそうだったので、母の車に乗せてもらった。
明日は電車で来て、帰りに原付を拾えばいい。
僕は助手席の椅子に身体を預けた。
車は鎌倉駅前のバスロータリーを回り、若宮大路のある大通りへ向かいながら、信号で右折。
一の鳥居を過ぎると、目の前に由比ヶ浜が広がる。
久しぶりに眺める海に、僕の心は震えた。
由比ヶ浜の交差点で右折し、134号線を江ノ島方面へと向かった。
「麺やBar渦」のある本鵠沼は、江ノ島を少し過ぎた所にある。
僕は車窓から流れる海を、ただ眺めていた。
「身体の具合はどうなの?」
母がハンドルを握りながら聞いてきた。
「うん、まあ、なんとか」
僕は母に向き直らず、水平線を眺めながら答えた。
それ以上、母は何も聞かなかった。
しばらく沈黙が続くと、稲村ケ崎に差し掛かかった辺りで、僕はカーステレオの再生ボタンを押した。
※イヤホン推奨
この頃は音楽を聴く余裕もなかったので、少しでも気分を変えてから渦に着きたいと願った。
再生ボタンを押してから、少しの間を置いて小さなメロディがスピーカーからこぼれてきた。
「あ、これ。…そうか、CD借りっぱなしだったっけ」
スピーカーから「THE BLUE HEARTS」の曲が流れてきた。
Tっさんに借りたCDをカーステレオに入れっぱなしだったのだ。
僕もTっさんも「THE BLUE HEARTS」が大好きで、めじろでの修行時代から独立後も、仕込み中に二人でよく口ずさんでいたのを思い出した。
「青空」「キスしてほしい」「ハンマー」「チェインギャング」「人にやさしく」「リンダリンダ」…
長時間労働でクタクタだったあの頃、独立してから上手くいかなかったあの頃、辛い時にはいつも二人で歌ってたっけ。
「そういえば、Tっさんがいなくなってからは歌わなくなったな…」
そんなことを思い出し、僕は海を眺めたまま小さな声で歌詞をなぞった。
「ひとりぼっちじゃ…いぜ」
「ウ…ンクす…るぜ」
漏れる声が震える。
情熱が感傷に置き換わり、声を出すと涙まで溢れてきてしまう。
僕は母に気づかれたくなくて、歌うのをやめて、ただ海を眺めた。
夕刻の渋滞にハマり、車を停止させた母が僕に声をかけた。
「芳実」
「…うん」
「ひなどり、閉めたら?」
「……」
夏の夕暮れにはまだ早く、太陽は自分の力を誇示して眠らない。
車窓の向こうには、大きな海がキラキラと、ただ静かに横たわっていた。
翌日
自宅
AM7:00
「おはよう」
「おはよう」
「お袋、ちょっと話したいことがあるんだ」
起き抜けの僕は、母と顔を合わせるなりリビングのテーブルを挟んで向かい合った。
母がお茶を淹れてくれたので、一口啜って口を湿らせた。
熱いお茶が胃を温め、もやのかかった頭を少しずつ晴らしていく。
しばらくの沈黙の後、僕は湯呑みを見つめ撫でながら、言葉を搾り出した。
「ひなどり、閉めようと思う」
走り出した夢の列車。
しかし、夢にしがみつき続けるには、とうに僕は限界を迎えていた。
僕は
夢を一つ降ろす決断をした
そんな僕の決断を、母は黙って聞いてくれていた。
…to be continued➡︎
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