見出し画像

ラーメン屋である僕たちの物語3rd 15














世の中に冷たくされて








一人ボッチで泣いた夜









もうだめだと思うことは









今まで何度でもあった










真実(ホント)の瞬間はいつも









死ぬ程こわいものだから









逃げだしたくなったことは









今まで何度でもあった















「終わらない歌」






前編














2006年





7月下旬









『ひなどり、閉めようと思う』









母にそう伝えてからすぐに、僕はひなどり閉店の準備を始めた。





不思議と自分の中でも閉店をすんなりと認めることができたのは、死線を越える寸前まで夢にしがみついたことで、自分の限界を飲み込むことができたからかもしれない。







そして…







誰かに閉店を許してもらいたかったんだと思う








『ひなどり、閉めたら?』







あの時の母の一言が、僕を救ってくれたのは間違いなかった。



その意味では、僕は再び母に命を授けてもらったのだ。





さて、初めてのお店の初めての閉業になるのだが、そう簡単なことではないことがいろいろ調べてみてわかり、僕は狼狽えた。


まず、ひなどりの入居している「企業プラザビル」の契約書には「退去の3ヶ月前に告知すること」とあった。


これは今すぐ(7月下旬)に退去予告をして閉店しても、賃貸契約がすぐに解消できるわけではなく、次の契約者が現れなければ10月下旬までの賃料が発生してしまうということだった。


鎌倉駅前に位置する、ひなどりの賃料は7坪35万円/月(1坪5万円)なので、3ヶ月分となると105万+税。大きな金額である。



更に契約書には「退去の際は原状回復させて引き渡しのこと」とあった。つまり造作の一切を取り除き、所謂「スケルトン」状態にして引き渡すことが条件になっていた。



僕は解体業者に見積もりをお願いしたが、什器の搬出、造作物の解体と廃棄で、ざっと300万円はかかるとのことだった。



つまり、ひなどりを閉店するだけで、賃料3ヶ月分+解体費用でおよそ400万円の出費となる。



それらにはまず、開業前に貸主に支払った敷金を当てて相殺したいところだったが、契約当時お付き合いしていた彼女のお姉さんと貸主ビルオーナーのご縁もあり、契約時の敷金は『賃料の3ヶ月分』と、鎌倉での賃貸物件の中では破格の条件で契約させてもらったのだ。
※周辺の物件はほとんど賃料の10ヶ月分だった



だから相殺できる金額は35万円×3ヶ月分の105万円ということになり、残りの約300万円は自己負担となってしまう。




「退去するだけでこんなにかかるのかよ…」




全ての見積もり計算をした僕は頭を抱えた。



これから「麺やBar渦」一本に絞るとは言え、できたばかりの新店舗を軌道に乗せるまでには時間がかかる。



かつてのひなどりと同じ轍を踏まぬためにも、運転資金はできるだけ備えておきたかった。






「進むも地獄、退くも地獄か…」




しかし、打開策がないわけではなかった。







「居抜き譲渡」という方法である







♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢



「居抜き譲渡とは?」



運営中の店舗の内装や什器などをそのままに店舗を売買する方法。


新規出店側は出店費用を大幅に抑えられたり、撤退側も退居費用を大幅にカットでき、更には居抜き料として大きな金額が入ったりと、双方共にメリットが大きい。
※2020年のコロナ禍以降は、居抜き料はほとんどとれない状況が続いているそうだ。


デメリットとしては、レイアウトの変更などの自由度が低い、設備や什器の寿命が短い、前店舗にマイナスイメージがあると影響を受けやすい、などがある。




♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢





この居抜き譲渡であれば、できるだけ早く契約者変更することで賃料の負担もなくなり、かつ「居抜き料」として今の造作を売ることができる。




現状を好転させるには、これしかない。








可能性は…







ないわけではない、と思った。





鎌倉駅前のこの場所に「美味いラーメン屋がある」という認識をしてもらえるくらいには、ひなどりを繁盛店にすることはできた。
(現代的に言うなら、坪売上40万円/月に達していた)



閉店までに《その価値》を含めて居抜き購入希望者を探せば、もしかしたら…



しかし、契約書には「スケルトン」引き渡しの条項がある。ここは貸主に交渉しなくてはいけない。



僕はまず、ひなどりの営業最終日を決め、閉店までの段取りを始めた。












同月末





僕は今まで通り「昼ひなどり」「夜渦」の瀕死のループの中を泳ぎ続けていた。



ひなどりの閉店を決めたからと言って、『その日』を迎えるまではやることが変わるわけではなかった。



それでも「この生活にも終わりがくる」という事実は、僕を土俵際で踏ん張らせる力になった。




僕は仕込みの間を縫って、ひなどりの入居している「企業プラザ」のビルオーナーであるTNK会計事務所の田中所長に連絡をし、退去の申し入れをした。



「…そうですか。せっかく軌道に乗っていたのに残念です。でも事情も事情だし、居抜き譲渡も致し方ないと思います。決まり次第、すぐに連絡をください。身体を大切に、2号店でも頑張ってください。」



田中所長はとても親身に話を聞いてくれて、居抜き譲渡についても承諾、そればかりか激励の言葉さえくれた。



※この時のご縁は続き、2024年現在も弊社の経理相談、決算はTNK会計事務所にお願いしている。



さて、次に連絡すべきは、親父の代からお世話になっている製麺所、肉屋、問屋、八百屋などの食材業者さん、水道、電気、ガスなどのインフラ事業者さんたちだ。



こちらは2号店の「麺やBar渦」でも引き続きお世話になるので、ひなどりの分の解約だけお願いをした。



そして、ホームページと店頭に閉店を公開した。























8

2
5













3


















僕はひなどりのガラス窓に、閉店の告知を貼り出した。




「え!閉店しちゃうの!?」




「せっかく鎌倉に美味しいラーメン屋ができたと思ったのに!」



有難いことに、店前を通る人や常連さんはとても残念がってくれた。



しかし僕はこの時、不思議と寂しさや悲しさは感じなかった。



「やっとこの生活が終わる」という安堵感と「麺やBar渦」一本化へ、僕の意識はもう向かっていた。






さて、ひなどり閉店の各所連絡と、お客さんへの告知は終えた。






残すは至上命題たる





「居抜き購入者」探しである












同月末



某日



自室





「P!P!P!P!…P!」





「…Trrrrrrrrrrrr」




「…Trrrrrrrrrrrr」






「おー、大西くん、お疲れ〜!」



「あ、I村さん!おはようございます!今、電話大丈夫ですか?実は…」




僕はまず、i村さんに連絡をした。



近頃イケイケの「横濱中華そば いまむら」なら鎌倉出店も相談できるのでは、と思ったのだ。



もし検討の余地ありなら、僕にもi村さんにも利になる話である。





「うん、うん…、えー、そうなんだ。うん…」





最初は興味深げに耳を傾けてくれていたi村さんだったが、店舗の賃貸条件の説明に入ると、電話の向こうの顔色が曇ったのがわかった。



「いやぁ〜、鎌倉は家賃高すぎるからやめとくよ!力になれなくてごめんね!」



i村さんはそう言うと、「俺も他のやつに当たってみるよ!じゃあ大西くん!また飲もう!わはは!」と笑って電話を切った。







「はあ、やっぱり家賃がネックか〜」




僕はケータイを閉じて、重い身体を椅子の背もたれに投げた。




いちいちクヨクヨもしてられない。




ダメで元々なんだから、鎌倉出店に興味がありそうな人には片っ端から連絡してみよう。




「P!P!P!P!…」






「…Trrrrrrrrrrrr」





僕は再びケータイを開くと、電話帳をスクロールさせながら救世主探しを続けた。













「…はい。はい。そうですか。わかりました。すいません、突然こんな電話しちゃって。それでは、失礼します」




その後、何人かの飲食同業者に当たってみたが、やはり店舗賃貸条件の話になると皆一様に顔色が曇った。



ケータイの電話帳の「あ行」から「わ行」まで、可能性のありそうな人は全て当たってみたが、誰1人として最後まで話しを聞いてはもらえなかった。




「うわ〜、詰んだ〜」



手持ちのカードのほとんどを切ってしまった。





このままでは解体費用300万円の支払いが確定してしまう。




僕は途方に暮れて、じっと両手を見つめた。




重さを増す心と体を支えきれなくなり、デスクに突っ伏して目を閉じた。








「…ぐぅ〜」










突然、腹の虫が鳴った。



僕がどんなに困っていても、この腹は勝手知らずに減るもんだなと可笑しくなった。




部屋の壁掛け時計を見ると、時刻は18:00を過ぎていた。




そういえば、昨日は食事を取る時間もなかったことを思い出した。





そしてこの日も、朝から何も食べていなかった。




「あ、そうだ!」




僕は慌てて身体を起こし、ヘルメットと原付のキーを掴んだ。








「K志くんのとこに行こう!」

















同日



18:30





「ブロロロロロロロ…」





忌まわしい記憶の残る白旗交差点を避けて、夏の夕暮れの中を、藤沢本町の線路沿いから善行駅に向かう。







善行駅西口のすぐ近くに、僕の目指す店はあった。




「…ギッ」




僕は側道に原付を停め、ヘルメットを脱ぎ、その看板を見上げた。






「中華そば カミカゼ」







元々、横浜市泉区立場にあったお店だが、諸事情により、この善行駅前に移転してきたのだ。

※2024現在は屋号を「自家製麺カミカゼ」に変更し、戸塚で営業している。




「カララ…」



古めかしいガラスの引き戸を軽やかな音を立てて開き、昭和グッズで埋め尽くされたレトロな店内に入った。





「お、よっちゃん、いらっしゃい!」




僕とは対照的な、浅黒い肌の細身で切長の目をした店主が迎えてくれた。




「K志くん、お疲れ様です」



この人は大山K志くん。


「中華そばカミカゼ」の店主であり、i村さんと同じく僕が尊敬するラーメン職人の一人だ。



そしてi村さんもK志くんも、親父の店「七重の味の店めじろ」によく来てくれていて、僕は一つ二つ年上の彼らを「いろいろ話せる近所のお兄ちゃん」として慕っていた。



「どうしたの?疲れた顔して」



開口一番、僕の様子を気にしてくれるK志くんに涙が出そうになってしまった。




「えへへ、ちょっといろいろありすぎまして」




「とりあえず、塩ラーメンください」



僕はラーメンを注文するとカウンター席に座り、お冷を一気に飲み干して、キッチン内のK志くんに近況報告を始めた。












「…でこんなんなっちゃって、今に至ります」




僕はラーメンを作るK志くんに簡潔にだが、ひなどり閉店への経緯を話した。



「…なるほど。それは大変だったね」



K志くんは手際良く手を動かしながら、僕の話に耳を傾けてくれていた。



僕はK志くんの仕事ぶりに見惚れながら、ラーメンが仕上がるのを待った。



「はい!お待ちどうさま!」



トンっと出来上がったラーメンがカウンターに置かれた。



「うお〜、美味そう〜!」




僕はたまらず目の前のラーメンを覗き込むと、立ち上る香りを胸いっぱいに吸い込んだ。



カウンターの照明に照らされて、琥珀色のスープに浮かぶ香り油の粒がキラキラと光る。
綺麗な麺線を描くザックリした極細麺、肉の旨みを残した程よい柔らかさのバラ煮豚、綺麗に刻まれた葱、香り高い海苔、そして…焦がし葱。



この『焦がし葱』は僕とK志くんを繋ぐ薬味である。



親父の店「めじろ」に通っていたK志くんは、めじろ名物の『焦がし葱』がとても好きで、自分のラーメンにも採用したと言っていた。



「いただきます!」



僕はスープをレンゲで掬い、口に運んだ。



鶏の旨味、魚介の旨みが一体となって口中にじんわりと広がる。



続いて極細麺を啜り、ザックリとした食感を楽しむと小麦の香りが鼻を抜けていった。



「ああ〜、これこれ!今、これが食べたかったんだよ!」



蕩けるチャーシューを半分楽しみ、油を吸った海苔で麺を巻いて特別な一口を味わう。



香ばしい焦がし葱と共にスープを飲むと、僕の脳裏にノスタルジックな記憶が蘇る。




一啜り一啜り、カミカゼの一杯を舌と心で味わう。




そして丼を両手で抱え、スープの雫も残さず平らげた。



「はあ〜、ご馳走様でした!」



トンっと空の丼をカウンターに置き、生き返った気持ちの僕に、K志くんが声をかけた。



「そうだ、よっちゃん。紹介したい奴がいるんだ。」


「おーい!」



そう言うと、ホールスタッフの男の子を呼びつけた。


「はい!」


その青年は足早に僕たちの元にやってきた。



「こいつ、今iって言うんだけど、独立希望者なんだ」




「今iです!よろしくお願いします!」


紹介を受けた、小柄で短髪の、切長の目をした青年が元気に会釈した。




「今iくん、大西です。こちらこそよろしく。」



「こいつ、くじら軒や中村屋で働いて、今うちでやってるんだけど、そろそろ店を出そうと物件探してるんだよ」




K志くんが僕の話を聞いてか、僕が探し求めていた人物を紹介してくれた。



「へえ、そうなんだ!鎌倉はどう?俺がやってる駅前の物件が空くんだけど、興味ある?」








ドクン







まさか、犬も歩けば…なんてことが本当に起きてしまうのか。









ドクン









あの時、腹の虫が鳴ったのは…この出逢いのためだったのか。










ドクン









僕の胸は、これから起こる奇跡を目の前に高鳴った。



「鎌倉駅前ですか!いやぁ、家賃高いんじゃないですかあ?」



今iくんが分かり易い愛想笑いをしながら聞いてきた。



「坪五万、七坪の物件なんだけど」



僕は前のめりのなりそうな心を抑えて、極めて簡潔に伝えた。





「坪五万!?いやいやいや!無理ですって!」





今iくんは両手を振って断った。




「あはは、だよねー…」



せっかくのK志くんの図らいではあったが、やはりだめだった。



人生はドラマのように都合よくいくわけがない。



僕に神風は吹かなかった。



僕は勝手に膨らんだ期待の反動で大きく落ち込んでしまったが、二人に気付かれないよう努めて明るく振舞った。




「8月25日が最終日だからさ、良かったらラーメン食べに来てよ!」




「K志くんご馳走様!今iくんも頑張ってね!」




ばつが悪くなった僕は二人に挨拶をし、そそくさと席を立った。




カミカゼの扉に手をかけると、K志くんが僕の背中に声をかけた。




「よっちゃん!がんばってね!」




「…うん!ありがとう!」




じわっと滲みそうになる涙を堪えて、精一杯の笑顔を二人に向け、僕はカミカゼを出た。




ちらついた光に、軽々しく希望を見てしまった自分を恥じた。



ヘルメットを被り、原付のエンジンに火を点ける。



陽はすっかり暮れて、自分の心を映したような青黒い空を見上げると、僕は大きなため息を一つ吐き、排気音を響かせた。




そして、心と身体にまとわりつく湿度を振り払うために、あえて忌まわしい町田街道を走る選択をした。





負のエネルギーを全て吸い込み、これから全て吐き出すために。











目指すべき場所は決まっていた












…to be countinued➡





いいなと思ったら応援しよう!