ラーメン屋である僕たちの物語1st ⑧
「All The Young Dudes」
清々しいほど綺麗な夜空だった。
厚い雲は星を隠しながら重く垂れ下がっていたが、僕の空は晴れ渡っていた。
見慣れた信号機や、車のテールランプすらキラキラと眩しかった。
めじろを辞めるその夜、Tっさんと2人で
「お世話になりました!」
と親父に当てつけるように深々と頭を下げた。
親父がなんと言っていたのかは覚えていない。
僕の心は言葉にならない開放感で満たされていた。
店を後にした帰り道、仕事で使っていたボロボロの靴を、近くの自販機のゴミ箱に叩きつけるように捨てた。
Tっさんは僕が辞めるにあたり、めじろに残るかどうか聞いたら、僕に着いてきてくれると言った。
僕は、ラーメン店を開店しようと思っていた。
「あのいい加減な親父がやれたんだ。僕にだって余裕でできるさ」と、めじろで働いた2年数ヶ月、美味いラーメンを作ることはできる、と自負していた。
『根拠のない自信と万能感』に支配されていた当時の僕に、怖いモノなんて一つもなかった。
他店で改めて勉強する必要なんてないし、
美味しいラーメンさえ作れれば、商売は成功すると思っていた。
「チョロいもんさ」
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早速、翌日から2人で物件探しを始めた。
めじろのある藤沢駅周辺は避けた。
せめてもの筋だと思ったし、親父の近くにいることが嫌だった。
大船、善行、戸塚周辺を探してみたが、僕たちにピンとくる物件はなかなか見つからなかった。
物件を探し初めて2ヶ月、25歳になった僕はなかなか開けぬ展望に、少し焦り始めていた。
12月中旬、当時お付き合いしていた彼女のお姉さんに、鎌倉駅前の物件の大家さんを紹介してもらえることになった。
鎌倉駅東口のバスロータリーを左手に見ながら由比ヶ浜方面に。
すぐに見える東急ストアの搬入口の斜向かいにある、若者の起業支援をしているとういう「起業プラザビル」という建物の一階がテナント募集していた。
鎌倉駅から徒歩2分という好立地だった。
店舗は7坪、家賃は一月35万円〜という物件だった。
一坪5万円という高単価に怯んだが、一回場所の確認に行ってみようということになった。
(後日知ったのだが、鎌倉には賃貸物件の「相場」がなく、大家の言い値で決まるのだそうだ。観光地ですからね。そりゃそうか、と)
僕たちは夜気の中に単車を飛ばして、134号線を周り、いざ鎌倉へ物件の下見に向かった。
単車を停め、冷えた身体を摩りながら、2人で物件を確認する。
鎌倉には不似合いな緑色の4階建てのビルがあった。
店舗のシャッターは降りているので中は見えない。
近くのコンビニで缶コーヒーを買って、Tっさんに渡す。
カコッ
閉じ込められていた湯気が鼻先を湿らす。
チンチン…とエンジンの熱が冷たい外気に溶けてゆく音が聞こえる。
耳がじんじんと熱くなってきた。
「立地いいね」
「内見お願いしようか」
「そうだね」
僕たちはそれぞれに未来を想像してワクワクしていた。
ここしかない、と思った。
(1番ダメな感覚ですからね。これから独立する人は気をつけて)
鎌倉という歴史ある土地。ブランド。
若い僕たちはそこにも惹かれた。
そしてTっさんの親父さんが、店舗向かいの鎌倉東急ストアで店長をしているというのも運命じみたものを感じ、後押しした。
家賃は高いが、大丈夫。
経営なんて勉強したこともなかったけど、絶対いけると思った。
(無知ってすごい)
「めじろみたいな繁盛店に
すればいいんだろ」
「やってやるよ」
「見てろよ」
僕は緑色のビルを睨みつけながら、独り言ちた。
振り返り、空き缶を踏み潰す。
眠りかけたエンジンを叩き起こして、僕たちは再び夜の中に飛び込んだ。
得体の知れない万能感に支配されながら、何でもできると信じていたあの夜。
とめどなく溢れてくる自信に、どこまでも走れると思っていた…。
…to be continued➡︎
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