見出し画像

ラーメン屋である僕たちの物語3rd ⑧


「These Days」









「店長!久しぶりですな!」






「…Tっさん!」





買い出しから戻るとTっさんがいた。



懐かしい姿がひなどりにあった。



僕は嬉しくて飛び上がり、Tっさんに抱きついていた。




「なんだよ!お見舞いも断るし、退院してから今まで来ないし!つれないじゃんかよ!」




そして思いの丈をぶつけた。


「いやあ、すいません。ちょうど病院が混み合ってて、脳神経外科の病棟に入れられて、正面の爺さんはずっと私を凝視してるし、隣の爺さんは飯のたびに痰をバキュームしていたり、ヤバかったんで、来てとは言えなくて笑」



Tっさんは困った顔をして返した。



Tっさんとは、ひなどり退職後もちょこちょことメールでのやり取りはしていたので近況は聞いてたが、夏に退院してから一度も会ってはいなかった。



なんでも、資格をとるため大学へ再編入する学費を稼ぐのに、朝から晩まで平塚にある車のシート工場で忙しく働いていたらしい。




そして学費は貯まり、いよいよ来年4月から編入学するそうだ。



「まぁ、それは聞いてたけどさ…。それはそうとTっさん、…早く着替えて来いよ」




「へ?」




「仕事しに来たんだろ?」




「ああ、そうそう!現場に破壊と混乱を与えるために来たんですよ!…って、おい!」




「わははははは!」




しばらく会っていなくても、少し話せばすぐに昔の仲に戻る。




僕とTっさんはそんな幼馴染なのだ。






「あの〜、店長」



2人で盛り上がっているところをGが割って入って来た。




「こちらがあの『Tっさん』ですか?」



「ああ!そうそう!これがTっさん!2人にも話したけど、俺を包丁でめった刺しにしようとした人ね!」



「ちょっ!店長〜!もうそれは言わないでくださいよ〜泣」



僕の腕にしがみついて来たTっさんの手を、僕はなるべく、できるだけ、冷たく払ってやった。



そういえばKとTっさんは面識があったが、Gは初対面だったことをすっかり忘れていた。



2人は初めましての挨拶を交わした。



「えーと…」



Gとの話が保たない人見知りのTっさんが沈黙に負けて、くるっと僕に振り向いて言った。




「それはそうと店長、そろそろ川崎の開店じゃないですか?行くんですか?」




「川崎の開店?ああ!めじろの!もちろん行くよ!Tっさんも一緒に行こうよ!」




2004年10月に代々木に移転した「七重の味の店めじろ」の2号店が、2005年12月に川崎BE(現アトレ川崎)と言う駅ビルの地下にある施設「ラーメンシンフォニー」に出店することになったのだ。




まさか、集合施設の常設店に親父が出店するとは思わず、僕は大変驚いたものだ。





「いや、それがですね…」



Tっさんが言い淀んだ。



「その事で相談があって、今日は来たんですよ」



なにやら不安そうな顔をしたTっさんと、久しぶりにテーブル席で対峙することになった。












「え!?親父から誘われてるの!?」




「はい。どうしたものかと思いまして、店長に相談しないと、と思いまして。」




話によると、数日前に親父からTっさんのケータイに着信があったらしい。




その時に「めじろ川崎店で働かないか」と誘われたとのことだった。



しかしTっさんは返事を保留して、僕に相談に来たのだ。





「う〜ん。やめておいた方がいいんじゃないかなあ。Tっさんも実はそう思ってるでしょ?」



あの人ったらしめ、と思いながら僕は正直に答えた。



めじろ修行時代、何度か僕たちの給料の遅延、未払いがあった。



その時にTっさんはバイクのローンを組んでいたが、銀行口座の残高が足りず、ローン会社から督促を受けていたことがあったらしい。



また同じことが繰り返されるような気がしてならない。




「はい。親父さんのことだからもしかしたら…とは。それに学校も始まると基本、土日しか入れませんし」



Tっさんもそれは危惧していたようだ。



「うん。すぐにきちんと断った方がいいよ。その方が親父もすぐ他に人を探せるし」



「そうですね。わかりました。ありがとうございます。」



Tっさんは座ったまま、深々と頭を下げた。




「そういえばTっさん、学校始まったら夜は時間あるの?」



僕はふと湧いた疑問をぶつけてみた。



「いえ、大学は夜間なので、どちらかと言えば昼の方が時間があります。」



Tっさんの返答を聞いて僕は興奮した。




「え!じゃあさ!『渦』手伝ってよ!」



「へ?」



「渦のランチ営業一緒にやってほしいんだよ!
実はうちも『人』が足りなくてさ!Tっさんが手伝ってくれたらすごい助かるよ!」



またTっさんと働ける。僕は嬉しくて捲し立ててしまった。




しかし、



「いやいや!飲食はもう体力的に無理ですって!」



Tっさんは両手を前に振りながら断って来た。



「えー、なんでよー、大丈夫だよー」



僕は口を尖らせて抗議した。



「もう一年近く現場から離れてしまって、いろいろ自信がないんです。わかってください。」



「それでも男ですか!軟弱者!」


両手を合わせて懇願するTっさんに発破をかける。




「店長、本当に勘弁してください。」



どうやらその意思は固いようだった。



「ふーん、入院してる間に冷たい男になりましたな〜」



僕は半ば拗ねていた。



「すみません。」




「まあ、いいや。この話はやめておくよ。今は。」



「今は?」



「諦めてないからな!」



僕は立ち上がりTっさんを指さして宣言した。



「必ずもう一度一緒にやるからな!」



「いやいやいやいや、私の意思は?笑」



「そんなもの、知らん!」




「まーたこの人は…」



Tっさんは困って苦笑いしていた。









2005年



12月26日




七重の味の店めじろ


ラーメンシンフォニー


川崎店開店






めじろが2号店をオープンした。


ファンの間では大きな騒ぎになっていた。



ラーメンシンフォニーはラーメン店の集合施設で神奈川県の有名店が多く出店していた。



2005年の開業時出店ラインナップは



なんつっ亭


 横濱中華そば いまむら


 くにがみ屋


 らぁめん大山


 塩らー麺 本丸亭  


七重の味の店めじろ



※「いまむら」はあのi村さんの店である


錚々たる面子に、開店から連日大賑わいだと聞いていたので、僕は一か月ほど経ってから行くことにした。











2006年


2月




怒涛の正月を超えて、飲食店が落ち着く2月になると、僕はやっとラーメンシンフォニーに足を運んだ。



KとGにも「勉強になるから」と誘ったが、それぞれ「予定があるので」と断られてしまった。




そして、Tっさんにも断られてしまった。



「親父さんの誘いを断った手前、行きづらいのでやめておきます。」



それはそうか、と結局僕は1人で向かうことにした。




川崎駅に電車で向かい、改札を出て右へ。


階段を降りたら、右手の川崎BEに入り地下へ向かうと、





「ぃいらっしゃいー!」




「ぁありがとうございまぁす!」





沢山のお客さんでごった返す中、熱気のある大きな掛け声が響き渡っていた。



僕が降りた階段の一番近くに「めじろ」はあった。



早速めじろを覗くと数人の行列になっており、周りの他店も同じ様に混み合っている




「ぃいらっしゃいませー!」




その中で、一際大きな声を出しているのがめじろだった。



僕はその声の主に声をかけた。




「Y太!お疲れ様!」





「あ!芳実さん!お疲れ様です!」


「ちょ、ちょっと待っててください!」



「はい!ら〜めんお待ちー!」





この元気の良い青年はめじろの社員のY太。




代々木に移転しためじろにやってきて、



「どうか使ってください。」



と、親父に頼み込んだという。


親父曰く「当時はそんな風に頼み込んでくるやつが多かった」らしい。



Y太はそのままめじろに入社、親父の元でら〜めんを学んでいた。




そしてこのラーメンシンフォニー出店は、Y太がやりたがったから決めた、と親父は言っていた。



元々、ボクシング経験者のY太は体力もあり、気合もある真っ直ぐな青年だ。



自分でやりたいと願った店ができて、モチベーションも高く見えた。




「芳実さん!お待たせしました!」




「ああ、これ差し入れね。親父は?」



僕は調理の合間を縫って来てくれたY太に、持って来た差し入れを渡した。



「ありがとうございます!」


「親父さん、ちょっと今出ちゃってて、すいません」



「そうか、じゃあラーメンだけ食べて帰るよ。」



「すいません!ありがとうございます!」




僕は行列に並びながら、店舗に併設された製麺室をジロジロと見ていた。



親父は代々木に移転してから、念願だった自家製麺を始めた。


そして、ここ川崎店でも製麺機を導入し、毎日親父が製麺しているそうだ。


以前、親父に理想の麺の話を聞くと、


「ご飯の様に毎日食べられる麺を目指している」と言っていた。



その頃の僕にはピンと来なかったが、今ならわかる気がする。



ジロジロと製麺室を見ているうちに、カウンター席に案内された。



「お願いします。」



僕は食券をY太に渡し、めじろのら〜めんを待つ。



藤沢で食べたあの一杯を思い出す。



僕の目標の味を、もう一度この舌に、脳に叩き込んでおきたかった。





「麺、上がりまーす!」




チャッ


チャッ

チャッ





手際よくY太がら〜めんを仕上げていく。



代々木での研鑽が見られた。



期待が高まる。





「お待たせしました!」





コトッと目の前に置かれたら〜めんを覗き込む。



キラキラと光る香り油、トロリと柔らかい豚バラチャーシュー、大きいがサクサクと歯切れの良いメンコめんま、1センチ角に揃えられた「めじろネギ」、そしてスープとネギ油を吸わせて楽しむ海苔。




ゴクリと生唾を飲み、僕はたまらずに丼に顔を近づけて、ら〜めんの香りを浴びようとした。




「ん?」



あれ?なんか違うぞ?



藤沢で嗅いだ、あの食欲を猛烈にそそる香りではない。



もちろん、良い香りには違いないのだが…





「ズッ」




僕は迷いながらスープを一口飲んだ。



「え?」



なんと言うか旨味の淡い、単に言えば物足りないスープだった。





「ズズッ」




麺をすする。



あ、麺美味い!シコシコツルツル!




チャーシューも柔らかく、肉の旨みを感じられたし、メンマも美味しかった。



しかしスープと香り油が、僕が求め描いていた藤沢のめじろのものではなくなっていた。


環境が変わり、まだ調整が落ち着いてないのかもしれない。


ラーメンにはそういう難しさがある。




「ご馳走様ー、Y太頑張れよ、また来るよ」




「あ!芳実さん!ありがとうございます!」




僕は見送るY太に手を振り、川崎BEを後にした。



車窓からの流れる街並みを横目に、少しガッカリした気持ちを抱きながら、ひなどり開店時の自分のことを振り返り、まためじろ川崎店の成長を見にこようと決めた。



親父のセンスとY太の素直さがあれば、すごいラーメン店になると信じていた。












しかし




数日後








事件が起きた












2006年



2月某日





「Prrrrrrrrr」



「Prrrrrrrrr」




夜営業に向けて仕込みをしていると、Y太から着信があった。



「P!」




「はい、もしもし」








「芳実さん!助けてください!」







Y太の悲痛な叫びが受話口を超えて、ひなどりに響き渡った。








to be continued➡︎




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?