ラーメン屋である僕たちの物語1st ⑦
「Don't look back ln anger」
「てめえみたいなひよっこが
勝手な真似するんじゃねえ!」
まだ一日の熱気が残る店内に轟く怒号。
久しぶりに店に顔を出した親父は、今夜も絶好調だった。
その酒臭い怒号は僕に向けられていた。
店のチャーシューの味付けを親父に黙って変えたのだ。
そりゃ怒られて当然なんだけど、僕には僕なりに悩んだ末の行為だった。
Tっさんがめじろに入り、人手が3人に増えた。
僕は朝から夕方までが基本シフトだった。夕方からは親父とTっさんのシフトに変わる。
Tっさんに仕事を教えるためだ。
その頃、僕は親父から店長を任されていた。
と言っても裁量がどの程度あるのかもよくわからない、数字管理もわからないほどの、勉強不足のお飾りもいいところの存在だった。
親父とTっさんが一緒に働き始めて数週間経った朝、親父から電話がきた
「おれは体調が良くないから
これからは芳実、頼むわ」
そこから、僕とTっさんツーオペの営業体制になった。
(親父は任せられる人ができると、任せきりになり店に来なくなることが度々あったそうだ)
ここでTっさんの簡単な紹介をさせてほしい。
彼とは幼稚園で同じ女の子を好きになったライバルだった。
小学校の学区が違ったが、一年生の途中、僕と同じ小学校に転入してきてからは、遊ぶときは大体一緒にいる仲になった。
そして中学に上がる頃、Tっさんは茅ヶ崎に引っ越したので僕たちはバラバラになった。
だが高校でまた再会し、そこからずっと縁は続いていた。
Tっさんは大学を卒業するも、就職氷河期の煽りをくらってフラフラしていたところを、僕が声をかけ、一緒に働くことになったのだ。
僕が店長、Tっさんが部下。
なんか気恥ずかしかったけど、僕は「一緒に働ける仲間ができた!」と嬉しかった。
さて、仲間ができたらまずやりたかったこと
それは…
店の大掃除だ
めじろは…汚かった。
とにかく汚かった。
親父は掃除が苦手だった。
僕も頑張ったが、今まで蓄積された汚れには敵わなかった。
そこで親父に断りを入れて、休日返上してTっさんと2人で厨房の床のスノコを剥がし、窓を外し、五徳を外し、調理台を外に出し、バックヤード、トイレも含めて深夜まで掃除した。
(当時のめじろの厨房にはグリストラップがなかった。よく認可が降りたものだと不思議に思った)
店の内装も、自費で体裁良く揃えた。
(これも僕がやりたかったことなので、親父に断りは入れた)
久しぶりに店を覗きに来た親父が嬉しそうに驚いていたのを覚えている。
親父はたまに店に来ては
「おい、酒くれ」と、飲みながら
「あのレシピをこう変えろ」
「このレシピをこう変えろ」
と僕らに伝えたら帰ってしまう。
やはり、味見はしない。
僕たちは言われた通りレシピを変えるのだが、
常連さんからは
「息子に代わってから味が落ちた」
「この前の方が好きだった」
と言う声を聞くようになった。
僕も言われた通りやったことで、常連さんからそんなことを言われるのは面白くなかった。
僕は親父に電話した。
「頼むから一度仕込みを見にきて、ラーメンを食べてほしい」
親父のイメージした通りの仕込みを、僕たちができていないのかもしれない。
今のラーメンを食べて確認をしてほしい。
そんな気持ちからだった。
翌朝、親父は店に来てくれたが、仕込みの途中で味の確認もせず、ふっと帰ってしまった。
〈ああ、やはりちゃんと見てもらえないのか〉
とガッカリした。
それがあってからは親父に相談することを、やめた。
見てくれないなら、僕たちなりにやるしかないと思ったのだ。(これを読んでるそこの若いの、真似しちゃダメだぞ)
チャーシューの味付けを変えた頃、常連さんが「味が違う」と親父に連絡したようだった。
その夜、親父は店に来ていつも通り「酒をくれ」と言い、チャーシューを味見し、激昂した。
「てめえみたいなひよっこが勝手な真似するんじゃねえ!」
親父が怒るのも無理はない。
店の味を勝手に変えたのだ。
でも、そうでもしなければ確認もしてくれなかったろう。
「親父、勝手な真似したのは悪かったけどさ、たまには店に来て味を見てくれないか?」
頼み込む僕に親父はこう返した。
「誰に向かってそんな口聞いてんだ!」
次の瞬間
「ヒュッ」
「パリン!」
氷の入ったグラスが僕の頭の横を掠め、背後の冷蔵庫に当たって、コナゴナに砕け散った。
〈…おれを狙った?〉
僕の心に、ドロリとした赤黒い炎が、じわりと冷たく宿る。
僕も返す。
「おれだって色々言いたいこと溜まってんだよ!」
〈やめろ…〉
「ああ、そうか!なら言いたいこと全部出せばいいだろう!」
〈やめてくれ…〉
〈やめて…〉
〈………〉
僕はそれ以上、親父に何を言われても返さず
深く、静かに
心を閉じた。
一切の反応がない僕に
「芳実、お前もう店辞めろ」
親父が言った。
少しの沈黙の後、僕は返した。
「…ああ、辞めるよ」
そうして僕は再び
「父親」と決別した。
24歳の秋だった。
…to be continued➡︎
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