ラーメン屋である僕たちの物語1st 15
「ならず者アイムソーリー」
「よう。兄貴」
若宮大路の桜も満開を迎える頃、弟の祐貴が彼女を連れてひなどりに来た。
「おお、いらっしゃい」
僕の店は順調に、少しずつだがお客さんを増やしていた。
昼時の店内は満席だったので、ちょっと待ってもらってから入店してもらった。
祐貴は味噌ラーメン、彼女は醤油ラーメンを注文。
ゆっくり話もできなかったが、新聞配達の仕事をまだ続けていたようで、会社から表彰されるほど新規顧客を増やし、売り上げに貢献している様だった。
人懐っこい笑顔とお調子者のキャラクターは弟の最大の武器だ。
祐貴にはスッと人の懐に入り込む
不思議な魅力がある。
親父譲りの才能だ。
僕にはない才能なので正直、羨ましかった。
「ご馳走様」
「ありがとう。どうだった?」
やっぱり味のことが気になって尋ねた。
「ちょっと甘いかな」
と祐貴。
「甘い、か〜」
ひなどりの味噌ラーメンはめじろのレシピを踏襲していた。
そして、めじろの味噌ラーメンは砂糖由来の甘さが強かった。
僕も薄々そんな気がしていたが、めじろ修行時代にあんなことがあったので、タレのレシピを変えることに少々こころの抵抗があった。
「そうか、ありがとう」
「じゃあ、頑張って」
デートに向かう祐貴たちを見送った。
祐貴に指摘されたことが気になり、その日の営業後に甘さを少し控えめにした味噌タレを試作した。
後日、熟成を終えたそのタレで味噌ラーメンを試食した。
「…こっちの方が美味しい」
悔しいが、より美味しくなっていた。
その時、ふと思い出した。
昔から祐貴は味に鋭かった。
祐貴がめじろで働いていた時も、めじろの塩ら〜めんの香り油の量を親父に進言したらしい。
「塩の香り油はもう少し少なくした方が美味いと思う」
親父は祐貴の意見通り、香り油を少なくして試食したら、より美味しくなったそうだ。
「あの一言でめじろの塩ら〜めんは変わったな」
親父がひどく感心していたことを覚えている。
「甘味」だ「油」だと、人からしたらほんのささいなことかもしれないが、この小さなことの積み重ねが美味しいラーメンを作る。
そして積み重ねた数だけ
大きな「差異」が生まれるのだ。
その差が唯一無二の「個性」を生み、人々を熱狂させる。
親父もそんな「差異」を意識していたと思う。
…そういえば、随分めじろのら〜めんを食べていないな。
舌が恋しい記憶を思い出した。
口いっぱいにめじろのら〜めんの味が広がってしまった。
ネギ油と醤油と出汁の香り、シャリシャリと歯触りの良い「めじろねぎ」、焦がしねぎの甘苦い香ばしさ、脂の甘い柔らかい煮豚、コリっとした極太メンマ、食べ進めるほどに様々な旨味が浮かび上がるスープ、そしてそのスープの旨みをたっぷり纏ったぷりぷりの細麺をすする。
おっと、ネギ油とスープを吸った海苔も忘れてはいけない。
「ゴクリ」
生唾を飲み込んだ。
昨年は親父に心配もかけてしまったし、久しぶりにめじろに行ってみようかな。
口実はどうでも良かった。
嗚呼!
めじろのら〜めん食べたい!
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「ドッドッドッドッドッドッ…」
夜の営業が終わり、春の陽気の残り香の中をバイクで走り抜け、久しぶりにめじろのドアの前に立った。
「ふー」
「ギリギリセーフ」
久しぶりでちょっと緊張する。
めじろを飛び出したあの日から、親父とは会っていなかった。
でも、お互いの店の常連さん伝いに、お互いの様子はわかっていた。
大丈夫。
もう、あの頃の僕じゃない。
小さなドアノブを回して、ドアを開けた。
「久しぶり」
「おお、芳実か!どうだ?店の調子は」
親父が機嫌良さそうに聞いてきた。
「なんとかやれてるよ」
「そうか」
久しぶりの会話にちょっと照れ臭く、嬉しく思った。
店内には数人のお客さんがら〜めんを味わっていた。
うなぎの寝所のみたいな小さな店が懐かしかった。
そして店の変化に気づく。
店内に漂う「香り」が違う
ら〜めんの香りだ。
僕がいた頃の、ネギ油と出汁と醤油が渾然一体となっためじろのら〜めんの香りではない。
あの頃よりも、ずっと食欲をそそる良い香りがする。
「これは、一体…」
僕はたまらず、券売機で「醤油ら〜めん」の食券を買った。
(この頃は一文字メニューでは無くなっていた)
手前のカウンターの一番奥の席に座り、親父に食券を手渡す。
「最近なあ、丼を小さくしたんだよ。茶道の茶器みたいに手で包み込んで食べてほしくてな」
ら〜めんを調理しながら親父が楽しそうに話す。
「はい!お待ちどうさま」
手際よく、ササっと仕上げられたら〜めんがカウンターの上に置かれた。
僕は慎重にカウンターにら〜めんを下ろした。
頭上の電球色のライトに照らされて、スープに浮いた油がキラキラと光る。
作家の手の温もりさえ伝わりそうな、ゴツゴツと厚ぼったい、両手に納まってしまう程の小さな丼に、麺やメンマ、チャーシューなどがギュッと凝縮したような盛り付けのら〜めんだった。
「スープも少なめにしたんだよ」
小さくしたらお客さんから不満が出てくるんじゃない?
と思ったが、目の前から強烈に良い香りが漂ってきてもう辛抱できなかった。
丼からスープをすする。
「ズズっ」
「!!」
なんだこれは!
僕がいた頃のめじろのら〜めんとは別物だ!
何段階も美味しくなっている!
「ズズっ」
「ごくっ」
スープを飲まずにはいられない。
僕は夢中で親父のら〜めんを味わった。
「ズズーっ」
麺をすする。
麺も違う。かじや製麺のものに変わりはないみたいだが、以前の様なプリプリな麺ではなく、少しザラついているが小麦の香りが強くなっていた。
丼は小さくなり、スープは少なくなったのに物足りなさなど全くなかった。
むしろこの小さな丼に全ての美味しさが凝縮された様だった。
『丼一杯の宇宙』
本気でそんなことを思った。
「どうだ?美味いだろ?」
親父がニコニコして言った。
「すごいよ」
親父のセンスに当てられて、僕は放心状態だった。
「芳実、これからは『香り油』だぞ」
「香り油を極めろ」
そう言って笑った。
気づくと、親父の後ろの大型冷蔵庫の扉に
『今日の香り油』
『りんご』
『しょうが』
『ねぎ』
『にんにく』
…
と、今日の香り油のレシピが書いてあった。
今日のってことは、毎日違うのか…
スープの旨みもあの頃と違う…何が違う…
そんなことを考えていると
「ガチャ」
入り口のドアが開いた。
「らっしゃい」
親父と同年代くらいのお客さんが入ってきた。
「なんだ!昼も来たじゃない!」
親父がお客さんに嬉しそうに声をかける。
「だって、美味いんだもん笑」
お客さんが照れくさそうに言った。
そのやりとりを見て痛感してしまった。
僕は、僕のら〜めんはまだまだ親父の足元にも及ばない。
この一年、僕なりに向上を続けていたつもりだったけれど、親父の世界は更に上に行っていた。
僕は打ちのめされた。
今度は晴々しいほどに。
そして嬉しかった。
今度はきちんと親父を尊敬できたからだ。
僕たちの親父はすごい。
だからこそ、負けてたまるか。
僕ももっと頑張ろう、と素直に思った。
「親父、ありがとう。ごちそうさま」
「芳実、がんばれよ」
親父は笑って言った。
久しぶりの親子の再会を、一杯のら〜めんが胃袋だけではなく気持ちも温めてくれた。
帰り道、バイクに跨りながらさっき食べたら〜めんのことを考えていた。
「香り油…」
「香り油…」
「あ!」
「油のレシピ
書き写しておくんだった!」
「しまった〜。今度行った時にコソッと写しておくかー」
密かにそんなことを企てていたが、その後しばらくして「七重の味の店めじろ」は代々木に移転してしまう。
結局、移転までにめじろにいけなかった僕は、あの香り油のレシピを知る機会は二度となかった。
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数年後
親父にその時の香り油のレシピを教えて欲しいと頼んだ。
覚えてるかどうかは賭けだったが
「え?あの時の香り油?忘れちゃったなあ!わははは!」
とタバコを咥えながら笑っていた。
これはあまり公言していないが、僕にとって親父の最高傑作は、この時のら〜めんだと思っている。
そして
「この一杯」が
あの日から
今でも僕の目標だ
これも照れ臭くて親父に伝えていないが
今の僕にとって
親父は
「超えてはいけない山」
ではない
「いつか超えたくて憧れている山」
になった
気持ちよく親父を超えられるその日が来るまで
僕は自分のラーメンと向き合い続けると誓った。
人生を賭けて
そしていつの日か
きっと
『第一部 完』
…to be continued➡︎
【お知らせ】
いつも応援ありがとうございます。
10/25〜30まで、所沢さくらタウン内
「ラーメンWalkerキッチン」にてイベント出店しています。
準備など沢山あり、続きを書く余力はないので、イベントが終わってから書きますね。
楽しみにしててください。
イベントでも御雷店お待ちしてます。
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