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『若草物語』観て出自を呪った話
映画『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』を観た。
原作はめちゃくちゃ有名な『若草物語』。いつ知ったか忘れたってくらい著名なタイトルだが、どんな話なのか全く分からないまま観た。“むかしむかしあるところに〜系”のストーリーなのかな、くらいの予想のもとに。私には教養がない。
開始10分。まず美人4姉妹の登場。……さて、このなかの誰がイジめられるのかな? 魔法と縁深いエマ・ワトソンかな? と思った私は、完全にシンデレラに引っ張られている。教養がない。
……とか、そんなことを考えるとともに感じたのは、「これ4人それぞれの人間ドラマを2時間で描くってんなら個々のエピソード薄っすくなるなぁ…」ということ。連ドラととちゃうんやから、ひとり1話づつ見せ場ないで? と。それができるのは「ルーキーズ」と「ごくせん」だけやで? と。(ここ笑うところです)
それから2時間。……何じゃこりゃ、、Mccya-E〜話じゃん!!!!! こんな名作あったん!? 逆に日本の古典、浦島太郎から何を学べばいいんだよとキレたくなるくらいの良作。教養がないのは生まれた国のせいだ。
過去・現在を行き来する時間の切り返し、それが繰り返されることで生まれる重層感と物語の広がり。たった7年ほどの物語のはずなのになんだか人生の理をみたような気さえする。「1人づつだからエピソード薄くなる」なんてのは大間違いだった。
4姉妹に、その親族に、その近隣の人たち──。すべての登場人物が主役で、それぞれがこれでもかってくらいのメッセージ性を放っていた。
そして、ラスト10分。「ジョー、早く彼のこと追っかけなよ!」と馬車にライドオン、軽快な音楽流れ出し、急にディズニー映画っぽくなったので「あぁ〜結局ウォルト系ね?」とほくそ笑んだのも束の間、それを裏切るラストにもMccya-E〜!が飛び出してしまった。まさかのミスリードかつ、それが『若草物語』それ自体の著者であるジョーの哀愁と意地が混じった決断に繋がっているなんて。
複雑な感動を呼び起こすこのラストは、ここ数年続く“自立女性礼賛系”のなかでも出色の出来だと言ってもいいんじゃないでしょうか。そうでしょうが。
そんな登場人物たちが、ただの人生の「教訓物語」のための役割を持ったキャラにならず、全員がしっかり画面のなかで生き生きとしているのが監督の手腕といったところか。みなそれぞれ推しキャラがばらけて観賞後のアフタートークは盛り上がるんじゃないかな。
全体を通して、さすが傑作『レディーバード』を撮ったグレタ・ガーウィグだけある(上から目線)なぁ。
というか、あのメリル・ストリープを起用できるようになったその凄さよ!(羨望の眼差し)
女性監督ですし、ジョーと人生がオーバーラップしてるんじゃあ〜。みて良かった。
一言で総括するなら
「ティモシー・シャラメちゃんペロペロ!!!!」