『週刊FLASH 2025年2月4日号』 沖侑果 レビュー
よく晴れた1日だ。
区役所に行って、さっさと終わったのでグッドマンの『世界制作の方法』を読み始める暇もなく、定期が切れる直前でラッキー!
5月の文学フリマ(文フリ)以来、ずっと足の遠のいていた七月堂の敷居を初めてくぐる。
詩集はデザインから目を引くもの、パラパラッと読んで一体感を得られるもの、有力な企画、そういえばZINEという小規模なグループから出す詩集を私は文フリで沢山手に取ってみて楽しかった、今もそんな気分だ。
入って正面に、柊有花さんの詩を展示していて「旅の心を取り戻す」というのが店のテーマになっているらしい(1/11~1/27)。滑らかですんなり心に入ってくる素敵な詩だ。カウンター正面の棚には七月堂出版の、名だたる詩人の詩集がこんもり重なる。
自己紹介は先送りにしている。詩を読む方も、もっと心から好きになれたら先のアメリカの大統領就任演説のように、心からの感動は起こるだろうか。帰り道、豪徳寺まで歩いて見つけたポテトアップルパイ
ここでやるのは今日が最終だと、看板の方が雄弁でおじさんとおねえちゃんはニコニコして待っていた。
代々木上原かぁ、いいとこですね、(少し遠いなあ)
裏切らない甘みがあって、沁みてくるのが美味しい。
1/21(火)日付が変わり、コンビニで『週刊FLASH2月4日号』を購入する。沖侑果 2nd写真集の彼女はバリ島へ遊びに行くのではない、世界の頂点を再定義するその第一歩を標すべく飛んでいったのだ。
だからアイドルの人脈を生かす彼女は一球入魂ができた今年の初舞台から、9月の穏やかな滑り出しから10月末を見据えたように、達成を確信できる次の目標を探っている考えすら広い肩からホッと透かしてみる。
今回は、そんな彼女の25歳最初の写真集へ前哨を兼ねて考察する。(2025/1/22(水)深更)
【【【沖侑果2nd写真集 2025/2/26 発売】】】
遊 泳 解 禁
「もっと すごいの」
探せと言っている、落とし物だ。
羽衣と言葉
表紙の、一枚
沖侑果は、夜を照らすし自分が太陽の化身となる。
そのために自ら輝く瞬間は見逃せない。
身に纏う貫頭衣のような、めくれるカーテンの袖を引っ張る格好をして振り向くのは、世界にお別れを告げるため
太陽の降りしきる未知の海を漕いで、雨期に挟まれた島に辿り着きスパイスを一袋だけ求めた船の舳先から、船員達が釘付けになる、異教の寺院の弟子には似ない、笹の葉を提げた童子の面影を、サムライは指摘するだろうか。
天に近づきすぎて、墜落するなんて、私の居場所を知らさないで、と。
鳥に微笑む夕暮れ。
個人的な嗜好、と言うと バズったら彼女は答えを知りたい子どもに教えを授けるように語りかけるだろう。それだけみんな縛られていたのか。
彼女は消えそうな光に代わり時代ごと持って行く、ふと胸に手を当てて考えると、自由と安定は両立するふうに考える向きもあるので複雑な気持ちだ。
20代を無駄には出来ない、安楽な詩はかえって魂を曇らせる。
紙面で、再発見された彼女は驚きをもって人々の朝のニュースの登るだろう。
3枚
バスタブは卵専用のカプセルホテル 彼女はいじらしいが照れていて日光に同化しない真っ白な笑顔が素敵だ。滝や沐浴やバタフライ、といったエキゾチズムは彼女のおでこがさらさらで綺麗だから、想像の続き。
座り込んだらランジェリーは真っ赤な太陽のかけらみたい、リボンを巻いてめちゃくちゃセンスがあるブラで変身できたから。
パンストを脱いだら、下から行くのかな、無理してないかなと思うけど
でもシャツのタイは伸びてもずっとリボンで、花に口を預ける白いアゲハのようで、見知らぬ土地の健全な因習を呼ぶ。おでこで見せるとはサラリーマンがよくやるシゴデキのスタイルの一つだ。
BACKにすぐにはなびかない、だから尻だ、尻だと叫ばれると、「ま、いっか」と言うのも撮った後だと知ると可愛い。
木立のそよぎ
耳を澄ませば、もう一度 暗闇の底で透かしてみた鏡のように、エステで安心な肩甲骨は、そっと玄関を開け放つや、風があなた掌から止まっている!
そのマントはレースの縫いかけでペチコートのようなピンクの香りを今度は仕舞っておくふうだった。
残った数だけ桜の小さな花弁の笑顔は永遠に散ることのないように、彼女は大切にしているから、24と数えて首をもう少しのところまで傾けていく。カメラをも温かい静寂から抱きしめていた布団から発掘し、遥か彼方の休火山がいびきを立てる隙にここの香りが恋しくなって抱きしめたくて、山小屋からはリップの乾くまでには帰ってくるのだ。
果物を頭にしょった女たちや、三輪でドライブする若者たちに紛れて、みんなの目が驚きから羨望に変わるその直前に。
彼女の屋敷には朝になると燕が歌いにやって来る。
”田んぼには何もなくなるのよ、生命の息吹を背負った者たちよ・・・”
彼女の開けた扉の先に明るい旅鳥が待っていて、北を目指す。
8年目
ここが、沖侑果にとってのネクストステージで良かった。
みんなが恩返しはもうできない、それは太陽の光を吸い過ぎたから
それでも、彼女の切り拓いたステージは想像と理解を呼ぶ余地に溢れているからこそ、自分を見つめ直せるのは楽しいのだ。
舞台を四度、彼女の過去と未来を占う表現の場はどうして、平和に終わることをためらったのか。キャラで生き続けることの強さ、サイドストーリーのワクワクは台本から彼女の場合は、もっと自分に引き寄せる。
沖侑果は24年の夏に4本の舞台に主演しているが、「みんな」とどこまでもやっていける彼女にとって座組の変転は、気持ちの整理くらいさせてよと声を振り絞る隙間もなく、何となく寂しかったのだ。
感想という名の、フィードバックは「みんな」の意見とは限らないし、そちらの方が書いても読んでも清々しい。そこに人が立ち上がるからだ。ただし、稽古中は静かな彼女にとって本番まで少しずつ組み立つ挫折や乗り越えは、彼女の思い出に不可欠で語る相手を見つけたら待っている。私は音楽祭の指揮者をやったときや、学園祭の企画で思い当たる節がある。
つまり、彼女にとってみんなの存在は仕事に向き合うエネルギーそのものに引けを取らない。だから、配信だと誰よりも気持ちに素直で、はっきりしたわがままがあるのが辛さの発露で、それまでは内省している彼女は可愛い。
紙面が尽きた、次稿を期す。
火山が目覚める 今にも落ちそうなココのヤシを薙ぎ払っていって、気づいたらあのアイスクリームが欲しくなってるから・・・24年の舞台の感想は、時計が丸くなって踊る前に語る機会を諦めないために書いて、思い出にまたは失敗に、笑うのって時々水になって頬を伝うだけさ。
アイドルから芸能人へ、8年目だからこそ跳び回る
いい香り また1ページ
おめでとう!
了