演劇とトランスの共通点:質的学習を引き起こす
先日、知人の林さんが主宰するワークショップに参加してきた。 演劇で行われるワークをもう少し一般の人向けにアレンジしたものだ。 ワーク内容そのものも面白かったが、特に興味深かったのは、このワークショップの内容が自分が興味を持っているテーマ「無意識の活用」「人が変化を起こすコミュニケーション」「トランス状態」などと関連していたことだ。
演劇とトランス誘導の共通点
心理カウンセリングやトランス誘導において重要だと言われていることは、演劇においても同じように重視されているらしい。
具体的な共通点としては以下のようなことが挙げられる。
他者をよく観察する
他者をそのまま肯定的に受け入れる
周りの目を気にせず、自分の直感的な反応をストレートに表に出す
何を感じても考えても言ってもよい
心理的に安心安全な場を作る
失敗を歓迎し、新しいチャレンジに踏み出す
これらの共通点についてもう少し詳細なワークショップ内容にも触れて説明しよう。
「Yes, and」の精神
このワークショップは「Yes, and 体験会」と銘打たれていた。
「Yes」とは、他人が自分に差し出してきたことをまずは否定せずにそのまま受け止める姿勢で対応すること。
「And」とは、その受け入れたものに自分なりに新たなものを付け加えること。
この二つを両立させることで、建設的にやり取りが発展する。演劇では重視されるそうだ。
たとえば、みんなで輪になって順に一言ずつその場でポンポンと言葉を言って話を作っていくというワークがあった。
「今朝」「私は」「キッチンで」「目玉焼きを作っていたら」「こがしてしまって」「泣きたい気分になって」「いのちの電話に電話をしたら」「傾聴してもらえた」…みたいな感じで人を変えてテンポよく話を即興で作っていく。
このとき、「Yes」の要素が抜け落ちると、前の人が言ってきた話の流れを無視したり、否定して打ち消したりする言葉を入れることになる。「泣きたい気分になって」「でも、よく考えたら泣きたいわけではなくて」とか。しかし、これは極力避ける。必ず、前の人達が出した言葉を受け止めてそのままそこに乗ったうえで自分の言葉を出す。
一方、「and」の要素が抜け落ちると、同じような話を延々とし続けて新しい要素が入らなくなる。「目玉焼きを作った」「それはとてもおいしくて」「黄身が綺麗な黄色をしていて」「火の入れ方がよくて表面もプルプルで」こんな風に話が流れていくと、目玉焼きに話題が停滞しつづけてしまい、いっこうに話が前に進まない。状況に変化が起こらない。
安心を手に入れて不安定に飛び込む
林さんは「舞台に立てる状態」として「安心を手に入れて、不安定に飛び込む」と説明してくれた。話を展開させるということは不安定なところへと飛び込むことだ。人間は基本的には安定に向かう。そこであえて不安定な変化に飛び込むためには、「Yes」の安心感が必要になる。
そして、このような状況を作るための心構えとして以下の3つを林さんはあげてくれた。
判断しない。
失敗を歓迎する。
期待しない。
「判断しない」とは、演劇中の行動や発言内容から、その人の普段の人となりをジャッジしないということだそうだ。「演劇の中でこんなことを言っていたから、実際もそういう人なのだろう」とか。そうやって日常の関係にも悪い印象が及ぶと思うと、怖くなって演劇の中で自由にふるまえなくなる。いつもの人間関係、いつものセルフイメージ、いつもの価値観、そういうものに常に縛られ続けることになるわけだ。それでは、演劇の中から新しい価値あるものは生み出せない。
「失敗を歓迎する」というのも「判断しない」と地続きであろう。判断から切り離された試行であるからこそ、失敗を歓迎することができる。失敗というのは新たな試みにチャレンジしたことの証である。うまくやろうとすると、うまくやれることをやる。だが、そこには新たなものは生まれない。
「期待しない」とは主に「自分に期待しない」「結果に期待しない」ということだそうだ。 うまくやれる自分を期待しない。 うまくやってまわりから称賛される自分を期待しない。 ベストを尽くしてやれることをやるのだが、一方で結果に期待をしない。
やはり、こういうワークをやると「うまいことを言おうとする」気持ちが出てきたりする。 でも、実際のところ、うまいことを言いたい人は、そのうまいことを言いたい感じが自然と言葉や態度ににじみ出て鼻につく。
そこで、そのとき瞬間的に感じたことをそのまま率直に述べる。ただ自然体でいる。意識的な強い意図を持って自分の望む結果を作り出そうとしない。 そうできる人は一緒にいて安心感があるし、関わっていて気持ちがいい。
トランス療法との接点
林さんのワークは短時間の間にじっくり考える余地なく、何かに対応しなければならないタイプのものが多い。2時間もやると頭が疲れて強烈な眠気が襲ってきた。
これはぼくがトランス状態に入りつつあったからだろうと思う。意識で処理しきれないレベルの負荷があるとき、人は混乱し、結果としてトランス状態に入る。トランス状態は、意識変性状態とか催眠状態などと呼ばれたりすることもある。とにかく普段よりも意識の働きが沈静化し、無意識が活性化している状態だと理解しておけばよい。
学習の方向性は同じまま、知識と体験の量を積んでいくことを「量的学習」、学習の方向性自体を変えたり、幅を広げるようなタイプの学習を「質的学習」などとぼくは呼んだりしている。量的学習は比較的簡単に起こるが、質的学習は起きにくい。今までとは異なる方向性に興味を持って向かうというのはなかなか難しいわけだ。だが、質的学習が起きやすい状態というものがある。それがトランス状態である。
「Yes, and」の精神はトランス状態との親和性が高い。相手の話を受け入れつつ、そこから連想された新たなことを口に出すというのは2023年8月から始めるエリ研の新テキスト『やさしいトランス療法』のOASISモデルにも通じる。せっかくなので少しトランス療法の概観にもついても触れておこう。
(↑上記動画は『やさしいトランス療法』の連想に関しての話)
トランス療法のOASISモデルは以下の5つの要素から構成される
観察
連想
混乱
間接的
何か
まずは相手をよく観察する。観察には相手の身体的な動作や表情などの視覚情報だけでなく、相手が発言している内容や口調、言葉のトーン、などの音声情報を受け取ることも含まれる。
次に、それらすべての観察内容をふまえた上で直感的に湧いてくる自然な連想に注目する。連想は自分の中にも相手の中にも生まれてくるので、そのどちらにも注目し、必要に応じて話題にする。
連想というのは意識的な理屈でわかるものばかりではない。論理的な飛躍を伴うことが多く、それを日頃の使い慣れた意識のやり方では説明できない。今まで気づいてこなかったもの、目を向けてこなかったものが唐突に目の前に現われる。こうして混乱が生じる。この混乱は役に立たない意識の働きを鎮静化させ、無意識への探索を開始させる。これがトランス状態である。
トランス状態に入った我々は無意識レベルで新たな解決法を試行錯誤で組み立てようと努力する。そのプロセス自体は無意識下で秘かに起こるため、我々からはよく見えないし、探求や試行錯誤が実感されることもない。どこへ向かうのかもわからない。全ては間接的にぼんやりと進んでいく。
そして、最後に無意識が答えを見つける。それは本人にも自覚されない形で認識や行動の変化として表れることもあれば、ふと思いついた新しいアイデアとして浮かび上がってくることもある。とにかく、何か新しい変化がやってくる。
この一連の流れを支えるものがまさに「Yes, and」の精神だと言える。自由に連想の羽を伸ばし、無意識の探索活動を行うためには「何を言っても大丈夫」という安心感がなによりも必要なのだ。
そして、意識が使い慣れたやり方で目の前の問題に対処しているときには、新しいものは生まれない。 意識ではうまく対処しきれない問題が目の前に現われて、それにどうしても対処しなければならないとなった時、人は意識を手放して無意識の中を探索し、新しいやり方を生み出す。 そのときにトランス状態へと入る。林さんのワークにおいては、瞬間的に多くのことを考慮に入れてとっさに反応しなければならない状況が常に生み出されるが、これこそが無意識の探索が始まるきっかけとなる。
このようにトランス療法が目指していることは、林さんの演劇ワークにおいても自然と実現される。ジャンルは違えども、どちらも似たようなところを目指して動いているようだ。
エリ研と林さんの演劇ワークショップ
非常に面白いワークショップであったので、めんたねのオンライン読書会内でも話題に出してみた。参加者が興味を持ってやってみたがったため、ZOOMを通じてではあるが、ワークの一つを試しにやってみることにした。ワーク内容は以下の通り。
いざやってみると、実際にワークに参加した人にとっても、ワークを見ていた人にとっても刺激的だったようで、色々な感想が語られることになった。みんなの反応がとても良いので、いずれ林さん本人を招いて、めんたねでもワークショップをやってもらうことにしようかなと考えている。
なお、エリクソン研究会の詳細、参加申し込みは以下のリンクからどうぞ。新テキスト『やさしいトランス療法』は2023年8月から開始します。