【感想】目撃!にっぽん「もう一度笑かしたい~“伝説のハガキ職人”再起の日々~」
今回の主人公は、かつて「伝説のハガキ職人」と呼ばれ、やがて構成作家として認められた経歴を持つ「ツチヤタカユキ」さんだ。1日2000個のネタ作りを自分に課し、空いている時間は街中をめぐり面白いものを写真に撮っては、ネタを考え続けている。ネタを考え続けて鼻血が出ることもある。学生時代からお笑いにのめりこみ、ラジオやテレビ番組にネタを送り続け、約1000本のネタが採用された。
ツチヤさんは「笑いのカイブツ」という異名を持つ。オードリーのラジオファン「リトルトゥース」なら、一度は聞いたことがある名前だろう。
才能が認められ、せっかく構成作家としてデビューできたのに、彼は自ら可能性を没にしてしまう。そのころは「おごり」が強く、他の人を見下していて、人間関係のトラブルが絶えなかった。結局、逃げ帰るようにして仕事を投げ出して実家に戻ってきたのだ。あの時から7年が経ち変化を遂げたツチヤさんが、再起をかけて新作落語を書く日々を追う。
再起、落語との出会い
笑いを追求する努力は本物。とにかく、笑いを取るためだけに、ネタを考え続けてきた、その発想力は圧倒的だ。何を見ても「笑い」に転換できる脳になっている。一度は、すべてをあきらめかけたが、ひとつの落語で人生が変わった。落語が持つ、人間の奥深いところを表現する「笑い」に惹きつけられた。
落語は、一生懸命生きている人の姿が、時に滑稽であり、周りから見ている人の笑いを誘うのだ。昨年には落語協会の新作落語の台本を書き、上位5作に入賞した。落語の世界に触れ始めてからは、まだ期間が短いが、やがて、ツチヤさんによる新作落語を披露できる機会に恵まれた。やはり、笑いのセンスに天性のものがある。
他者と折り合う技術
しかし、だからといって、新しい道も順風満帆ではなかった。彼の落語を演じてくれる落語家との打ち合わせの時に、台本への率直なダメ出しを受け続けたツチヤさんは切れてしまう。「批判をするなら代案を出すのがプロだろ。頭おかしいんじゃないか!(怒)」。結局、このケンカで、落語家との関係は断絶。落語家は出演を辞退してしまう。何度も何度も繰り返されてきたことが、再び生じた。
カメラが回っているのに「頭がおかしいんじゃないか!」は、ないな~と思った。思っても言わないのが大人。あれじゃ、人間関係がうまくいかないのも当たり前だ。自分のセンスに絶対の自信を持つあまり、他者の批判を受け入れることができないのだ。最初から最後まで、一人で完結する作品を作るならまだしも、他者との関わりの中で才能を発揮したいと思えば、他者と折り合う技術は必須だ。
強すぎる自己愛との折り合い
ツチヤさんの自叙伝でもある「笑いのカイブツ」のレビュー欄に彼の本質をついたコメントがあった。かなり、キツイレビューだが、愛にあふれているとも思う。こういうレビュー(批判)を受け止められるかどうかがカギなのではないかと感じた。
「笑いに対して純粋じゃない人、お笑いの業界に存在するお笑い以外の要素(営業活動的なことだったり)は認めない、というのが彼の一環した姿勢です。多くの人を笑わせることより、自分の笑いを大事にしているという印象。つまり何が言いたいかといいますと、ツチヤさんの自己愛がツチヤさんの天才の開花を邪魔しているのではないかと思います。他人や社会や業界の構造が彼の活躍を阻んでいるのではなくて彼自身の自己愛がそれを阻んでいるのではないか。」
今回のドキュメンタリーのタイトルにあるように「笑かしたい」と思っている限り、その才能は十分に開花しない。ツチヤさんは「笑いだけが認められたもの。これがなければ生きている価値がない」と語っている。確かに、ツチヤさんにとって「笑い」は自分のためのものだった。
率直に言えば、ツチヤさんには、社会経験が少なすぎるように思えた。学生時代から家にこもってお笑いを見て、ネタを書いてきたけど、生身の人間と触れ合う機会が少なすぎた。パートナーである落語家にブチ切れる映像を見ていて「こりゃあ、最低だな」とつぶやいてしまった。そして、誰よりも本人がそのことを自覚していた。
誰かのために書くこと
ただ、今回のツチヤさんは以前とは違った。このままでは、貴重な落語作家としての道も閉ざされてしまう(自分で閉ざしているんだけど)ので、ケンカ別れした落語家に謝罪の手紙を書いて、別の落語家を紹介してもらうことができたのだ。今回の新作落語のテーマは「母と息子の物語」だ。
シングルマザーでずっと寄り添ってくれた母親のことを考えて、ツチヤさんは台本を書き続ける。ツチヤさんは、一時期、母親を恨んでいた。しかし、上京した時に、一生懸命仕送りをしてくれた母のこと、彼がどれほど落ちぶれても、挫折して腐っても、いつでも離れないで支えてくれた母の愛を感じて感謝するようになっていた。そして、今回の新作落語にツチヤさんは母への感謝の気持ちをぶつける。
あまりにも直球に母への愛情と感謝を伝える、ツチヤさんが書いた落語の台本に、なんだか涙が出てきた。そして、これだろうなぁと思った。これ。つまり、コンテンツ(「笑い」も含め)って「誰のために書くか」ってことが大事なんだよなぁってこと。その思いが背後にあるからこそ、コンテンツってのは人を動かすんだ。
最後の最後で、彼の新作落語「婚活親子」を聞きながら、ツチヤタカユキさんは、再起するかもなぁって漠然と思った。感謝の気持ちとか、愛情とか、ポジティブなメッセージを「誰か」に伝えたいと思って作られるコンテンツは心地が良いものだ。それは、誰かを「笑かせる」ことからくる優越感とは全く種類の違うものだから。
やっぱ、コンテンツは「愛」だなぁと思ったもんね。
蛇足:才能とマーケティング
少し話はそれるけれど、才能が世に受け入れられるためには「マーケティング」的観点が必要だ。下記の記事で書いたけど、しりあがり寿さんは、かつてサラリーマンだったので、マンガ家になってからも、他者(特に発注者)と折り合うことを大切に考えている。いくら、作り手が満足するものを生み出しても、発注者が満足しなければ、その作品は世に出ない。
自分の才能を腐らせないためには、折り合いは不可欠だ。コンテンツメーカーでありながら、マーケッターである人は少ない。もし、そうであるなら、他者の意見を聞きながら、少しずつマーケティングの視点を取り入れることが、長くコンテンツメーカーとしてやっていく道なんじゃないか。