ゾンダーコマンドたちの証言【NHKスペシャル】アウシュビッツ~死者たちの告白
明るい気持ちになるものではないので、あえて「見たい!」という気持ちになるものではない。しかし、ホロコーストの現実にはしっかり目を向けていなければならないと思っている。ナチスは大量虐殺の事実を隠そうとし続けていたし、ガス室も破壊し、痕跡を消そうとした。それでも、事実は明らかにされなければならない。
今も修復士たちにより、アウシュビッツから掘り出された遺品やメモの復元作業が行われている。最新のデジタル技術で、すでに文字が判読不可能になっていたメモ・ノートの内容が分かるようになった。ガス室周辺の地中に、ガラス瓶に入れられて埋められていたメモから、ゾンダーコマンドと呼ばれる人たちの生々しい告白に注意が向けられるようになっている。貴重な映像集だ。
裏切り者・ゾンダーコマンド
ゾンダーコマンドとは、ユダヤ人でありながら、ユダヤ人の大量虐殺の片棒を担がされた人たちのことだ。その職務には、ユダヤ人をガス室に送り込むことや、その死体処理(クッション用に髪の毛を切ったり、金歯を抜いたりすることも含まれていた)・焼却・灰をすりつぶして川に流すことが含まれていた。
いっぽうナチスの親衛隊は、虐殺のすべてを見ることはなかったので、罪の意識を感じずに済んだのだという。ゾンダーコマンドたちが、凄惨な虐殺のすべてにかかわった。ナチスの陰険な方法が明らかだ。ゾンダーコマンドは、罪の意識にさいなまれつつ、生きるためにナチスの指示に従うことを選んだ。ナチスは彼らを肉体的にも精神的にもコントロールしていた。
アウシュビッツ周辺の地中からは、ユダヤ教の指導者のひとりであったラングフスの手記がたくさん発見されているが、彼は、幼いユダヤ人に「同じユダヤ人なのに、よく仲間をガス室に送ることができますね。殺人者として生きることがそれほど大切ですか」と言われたと書き残している。また、彼はその時は気づかなかったとはいえ、最愛の妻と息子を自身の手でガス室で「処理」したのだ。「私の恥はどれほどか」と述べる。
戦後、わずかながら生き残ったゾンダーコマンドもいたようだが、彼らが口を開くことはなかったようだ。罪の意識と共に生きたのではないか。現在93歳の元ゾンダーコマンド(15歳で徴用)のインタビューでは、とにかく印象に残っているのは「飢えと空腹」だという。彼らも生きるために必死だったのだろう。そして、気がつくと、ナチスの陰険な作戦の最前線にいた。
ゾンダーコマンド自身が戦後に書き記した本としては、下記のものくらいしか見当たらない。
告発者・ゾンダーコマンド
ゾンダーコマンドとして選ばれたのは、様々な地区から来たユダヤ人たちで、言葉も通じないことが多かった。ナチスはあえて、そのような選別をしていたようだ。互いにコミュニケーションができなければ、連帯感が生まれづらいからだ。
しかし、そのような中でも、だんだんゾンダーコマンドたちの中にナチスに反抗しようという気概が高まっていく。残されたメモからは、1944年夏に計画されたガス室爆破計画の詳細が分かる(計画は頓挫)。
また、ゾンダーコマンドたちは強制収容所内で、ポーランド亡命政府の諜報員と接触しており、大量虐殺の事実を世界に知ってもらおうと発信を続けていた。ポーランド亡命政府は、その情報をイギリスに伝え、連合国軍側はこの事実を知っていた。
1943年1月にイギリスからアメリカにあてられた書簡が発見されている。イギリスはこの事実を世に明らかにすることで、ナチスがユダヤ人虐殺を止め、ユダヤ人を国外退去させる戦略に変更することを恐れた。大量のユダヤ人難民が連合国側に入ってくると、政府への不満が高まることは明らかだからだ。そのため、大量虐殺の告発は握りつぶされることになった。
なんという無念なことだろう。誰も、ユダヤ人の命を本当に救おうと思ってはいなかったのだ。一人のゾンダーコマンドのメモには「私たちは見捨てられたのだ」と書かれている。
消された・ゾンダーコマンド
終戦間際になると、ナチスは口封じのためにゾンダーコマンドたちを次々と「消す」ことに取り掛かる。発見されたメモには、死を覚悟する彼らの気持ちが書かれている。「ナチスは大量虐殺を隠そうとしているが、この事実を世界に広めてほしい」「地中に埋められたメモを発見してほしい」という必死の願いが書き綴られている。
終戦から数十年を経て、デジタル処理で文字が復元されて、彼らの無念の気持ちがようやく果たされ始めた。ゾンダーコマンドに関する資料は少ない(ドイツ軍が残した公式な資料はない)が、徐々に彼らの言葉が世界に届き始めている。
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