ストーカー被害と境界線について考えた【感想】ディア・ペイシェント~絆のカルテ~
コロナ禍の中で、医療従事者感じる負担は非常に大きなものだっただろう。しかし、このドラマを見ると、コロナどころか、医師たちは社会のひずみを正面から受けるポジションにいることが分かる。見ていて苦しくなるような場面も多く「あれだけの教育と費用をかけて、医師の待遇って報われないなぁ」と感じてしまった。
*完全にネタバレなので、これから見る方は要注意
主人公の真野千晶(貫地谷しほり)は志を持つ若き女医。毎回、クレーマー患者に面する。しかし、その背後には社会全体が抱えるひずみ、それぞれの患者に複雑な事情が隠されているのだ。トランスジェンダーの問題、8050問題、認知症介護の難しさ、病院経営の余裕のなさ、産後うつと家庭崩壊、、、そして、最後の最後まで、主人公を苦しめるモンスターペイシェントの座間(田中哲司)さえ、社会から転がり落ちそうになっている犠牲者なのだ・・という設定。
医療系ドラマというより、社会派ドラマ。ヒーロー的な医師の姿は描かれていない。医師も一人の人間として描かれており、悩み、苦しみながら、患者と向き合っていく。原作は実際の医師(南杏子)なので、リアリティがある。初回から最終回まで続く、ストーカーのモンスターペイシェント、座間との戦いは、若干ストレスになる(誰か、守ってあげて・・・)。
最終回は全体的に「救い」のある、明るいテイストで幕が下りるのだが、現実に、医療者が立ち向かっていく時代の闇を考えると「救い」はない。それを考えると、一言では評せない独特な味わいのあるドラマだった。
「自分を守ってください」
これは、主人公の女医、千晶が、最終回でモンスターペイシェントだった座間にかける言葉だ。反省し、涙を流す座間に、千晶が「私がずっと一緒にいるから」と声をかける。感動のラストシーンではあるのだが、この千晶の姿は、あまりに痛々しい。座間にあれだけ、陰湿に追い詰められ、暴力を受け、疲弊させられたのに。
むしろ、私は千晶に「もっと、自分を守ってください」と言いたい。
千晶は、座間に限らずモンスター患者を次から次へと引き受けてしまうが、そこで感じるのは、彼女の「境界線」の無さだ(参考:黙っていても人が近づいてくるなら境界線(バウンダリー)の危機であることを知ろう。)。千晶には、依存的な相手が入ってきた時に「ここまで」と拒む一線がない。患者に感情移入し、とことん動き回り、振り回される。最後はどの患者とも涙を流しながら打ち解け合うが、このスタイルでは、千晶に限界が訪れよう。
そもそも、座間を操っていた黒幕の沼田(浜野謙太)が千晶に目をつけたのは、彼女がどんなことがあっても「患者を投げ出さない医師だったから」だ。自分を守らない千晶の姿勢を知った上での攻撃だったのだ。卑劣ね。それにしても、医師やカウンセラーのように、深く相手と関わり合う職業に従事しているなら「境界線」に関する知識は不可欠だ。
千晶が信頼する女医、陽子先生(内田有紀)は、最初から最後まで患者の側に立つ医師で、優しく強く、患者を支える。陽子先生は、成熟した大人の女性の魅力にあふれている。しかし、彼女は医療訴訟を抱えて、最後は自死を選ぶ。保険金を賠償にあてるためだ。
陽子先生は、最後まで、患者の味方であるという信念を貫き自分の命すら投げ出してしまう。自分よりも患者のほうが大切なのだ。その陽子の志を千晶は継いでいく。そうだとすると、同じ結末になることが怖い。笑顔のラストシーンの背後に、やがて疲弊し燃え尽きてしまう千晶先生の姿を想像してしまった。
ストーカー対策をもっと
もうひとつ、気になったのがストーカーの座間が何度も、深夜の病院で千晶を襲う姿だ。座間は、千晶が当直のタイミングで夜中に表れるのだ。一度は実際に暴力を振るわれる。誰もいない診察室で襲われて、撮影をされたりもする。あのままではレイプされていてもおかしくない。あのような状況を知りつつ、見過ごし続けた病院や上司たちが、免罪されるのは大変よろしくない。「次は警察に相談しよう」って、「次」はないかもしれないのに。
恐怖に慄きつつも千晶は、いつも座間に一人で対応してしまう。そして仲間の医師たちや看護師たちも千晶を助けない。(唯一、先輩医師の陽子だけは介入した)。千晶が信頼を寄せる、元警察官の警備員、蓮見さんも登場タイミングがことごとく遅い。暴力事件に巻き込まれつつある千晶を心配しながら警察に相談しない。病院の経営陣は「患者様第一」を掲げて、できる限り問題を表面化させないので、クレーマー患者は、どんどんと増長する。
この病院では、患者による医師への傷害事件も起きるが、これは起きるべくして起きたことだ。
最終回の座間と千晶の心の交流を見て、複雑だったのは、本物のストーカー事件は、こんな風にキレイに落着しないからだ。座間は、明らかに異性として千晶に好意を持っていただろう。これほど、感情を共にしてくれて、後になって千晶が一線を引こうとしても、もう遅いだろう。医師のように深くかかわりあう相手にストーカーが発生してしまうのは防げないかもしれないが、ストーカーと必要以上に関わってはいけない。
それこそ、組織として、みんなで千晶のような女医を守らなければ、彼女はストーカー患者に確実につぶされてしまうだろう。命さえ奪われてしまうかもしれない。恐怖の力を侮らず、逃げるところは逃げるべきだ。病院をやめたっていい。自分の命を賭して、ストーカー患者に向き合い続ける必要は全くない。
本当の「強さ」とは
千晶は、ロシアの軍隊で用いられる格闘技術「システマ」を習っている。そこでは、毎回、暴力に対応する教訓が与えられる。平常心を保つこと、攻撃してくる相手の動揺を突くこと、呼吸法でリラックスすること。座間が現れるたびに、千晶はシステマの独特な呼吸法を行って、彼の凶行に備える。
ただ、一度だけ同僚医師が刺されたときに、ナイフを取り上げる技術が役に立った。しかし、これがまた、、、劇中では、システマが座間の攻撃に役立つことはない。毎回、動揺させられパニックになる千晶。システマで何を学んでいるんだ(涙)
千晶は、どんな時でも「平常心」で患者と向き合いたいと願っている。つまりは、「もっと強くなりたい」のだ。
この千晶の姿は、何度も限界を迎えつつも「もっとメンタルを強くしなければ」と念じる自分の姿と重なって苦しかった。(参考:不安障害は簡単には治らない。何度もぶり返し、繰り返す戦い。)。コロナ禍で強制的に休業状態になり、おかげさまで色々落ち着いて考えることができるようになり、いま、思うことなんだけど、無制限に強くなる必要なんてないのかな?ってことだ。っていうか、無理だし。
怖い時に怖いと思うのは当然のこと。疲れた時に疲れたと感じるのは当然のこと。辛い時に辛いと感じるのは当然のことなのだ。むしろ、その感情がなかったかのようにふるまうほうが危険だ。いつもポジティブにふるまい続けて、命を絶ってしまった陽子先生のことを思う。強くなろう!強くなろう!の呪縛からは、早いところ抜けなければならない。
むしろ、感情に敏感であることを強みに変えよう。感情はまだ面していない危険や、自分の限界も教えてくれるサインなのだ。
感想まとめ
全体的には楽しんだドラマだったので、ドラマ自体に文句をつける気はない。主人公の貫地谷しほりの演技もナチュラルで素晴らしかった。内田有紀の美しさは、まぶしいほどだった。田中哲司の怪演は語り継がれるほどだ。しかし、これほど、現実の社会の闇を描き出したのであれば、安易なハッピーエンドで終わるのは、ちょっとどうかなと。
社会には、医師と患者の絆の力を信じるだけでは乗り越えられない問題が山積している。去り際に事務長(升毅)が「病院経営は甘くない。それを忘れるな。」と述べたが、まさに理想論では語れない問題がありすぎる。
千晶のような、自分より相手を大切にする医師の存在が美化されると、現場の医師はもっと疲弊するだろう。実際の医師たちは、どんな感想を持ちながら、このドラマを見たのか、、気になるなぁ。原作は医師の南さんなんだけど。もしかすると、医師の側から見た、ある種の「希望」や「理想」が描かれているのかもしれないね。